散歩みち
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2016年12月1日(木) 雑記
<<追記20161201
今日は帰宅して外国語を入力した。
帰宅中に短歌を作った。
今週はやることやった気がする。
物理に関しては
私ができる事を全てやった気がする。
実験も知らずましてや実験値も知らず
物理の外観を構想した。
あとは実験も必要である。
誰も出来無いから私が出来たと思っている。
何で私がやれたのかそれは神しかわからない。
神が私を導いてくれた。ただそれだけである。
なんせ私だけが出来たからである。
何で私なのか私にもわからない。
それぐらい世界中見ても私一人である。
歴史も同じである。
日本人ただ一人である。
それぐらいスペシャルな私に文句言っている奴がいる。
何様のつもりなのか私にもわからない。
ただただ関係無いだけである。
昨日はネット検索で
ガラケーでインターネット出来ればAmazonの買い物出来る事を知った。
なんかスマートフォン必要なのか疑問に思えた。
しばらく時間が必要な模様である。
明日は金曜日である。
ボチボチやりたい。
<<追記20161201end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月2日(金) ツイッターより+8 外国語_part2
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 雨が降る朝が来るまで眠るなり元気出てくる休みの日かな 行有
---> 朝になり夏物しまう休みありすっきりすれば走り出すかな 行有
---> 富士川の富士にみとれて花が咲く大空に舞う気持ちのままに 行有
---> 苦労する人ごみのまま祭りあり人それぞれに笑顔あるかな 行有
---> 買物の楽しみこえて花が咲き何はともあれ帰宅するかな 行有
---> 家の中ゆっくりしたい気分あり風呂もあるなら夕食もある 行有
---> あしたこそ疲れて帰り休みあり静岡巡る楽しみ残す 行有
---> いつまでもやるだけやって過ぎてゆく信じられない世の中かしら 行有
---> 知らぬ間に救世観音のいただきを眼下にのぞむ静岡市内 行有
---> ありがたく水神さんの水がある祈りをこめて元気あるかな 行有
/*めざましき*/
/*いつか歴史に*/
/*名をのこす*/
/*とどろくものは*/
/*神のみぞ知る*/
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 落葉あり観音様を拝むかな 行有
---> 冬に入り静岡市内夢の中 行有
---> 黄落の駿府城あり笑顔あり 行有
---> 冬リンゴ食卓ならぶ朝がある 行有
---> 大根もまけてはいない主張あり 行有
---> 納豆のねばりがあってうまいかな 行有
---> 小春あり歩いて通る富士宮 行有
---> 富士宮焼きそば食べる小春かな 行有
---> 電車旅座って通る小春かな 行有
/*仕事中*/
/*さらばこの世に*/
/*冬紅葉*/
英語の掲示板と
ドイツ語の掲示板と
フランス語の掲示板に追記した。
<<追記20161202
短歌も俳句も松尾芭蕉かはたまた西行かみたいな所はある。
侘び寂びまである。
結局の所短歌と俳句とってもザ日本文化である。
それで基礎学力までしるしてしまった。
こんな巨匠いないなと自分でも思う。
それでも私に文句言う奴がいる。
ただただ私には無関係である。
私はひたすら自分の事やっているだけである。
何の問題も無い。それなのに文句言ってくる。
迷惑千万である。
これを犯罪と言わず何が犯罪なのか理解不能である。
私は何にも悪く無い。
他人の迷惑が悪いだけである。
<<追記20161202end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月3日(土) 近況
<<追記20161203
今日は修善寺駅からJRさわやかウォーキングに参加した。
何度目かの忘れ去られた冬紅葉だった。
歩き疲れていい気分である。
最後はプログラムである。
大学の頃はC言語とかFortranとかを履修した。
大学院の頃はサンマイクロシステムのソラリスを使ってC shellを使っていた。
emacsを当時使っていた。でもシステムエンジニアとしてはvi使った方がいいと思った。
viの方が間違いが少なくなる気がした。htmlは学生の頃には知識化している。
大学院修了後はオブジェクト指向のC++とかJavaとか格闘した。
PerlやRubyもかじった。
大体オブジェクト指向なら何でも出来る気にはなっている。
基本情報技術者試験とソフト開発技術者試験には合格した。
東芝テック子会社に6年在籍中にテスト技術者試験FoundationLevelに合格した。
その後
みちしる沼津に三年目になって今に至る。
最近は家に帰ってLISPとかCOBOLとか少し読んだ。
Perlのcgiも少し読んだ。
デバッグ技術無くして信頼のあるプログラムは無いというのが私の実感である。
したがってWEBプログラミングが主流にならないのは
そういった現状があると思う。
なのでプログラム的には
シェルスクリプトとかバッチファイルとかよりも
C言語とかC++言語とかJava言語なんだと思う。
大規模とかお金の計算とか機械の精密さとか要求すると
デバッグの環境も視野に入れないといけない。
こういう仕事ははっきり言ってめんどくさい。
実際何でもやらせるよなあと思う。
それぐらいやる人が限られてくる。
そんなんで仕事になるのかよと文句言いたい。
誰でも仕事が出来るように工夫するのが社会じゃあないかと思う。
だけど現実は出来る人が少ない。
そんな現実に絶望する。そんなんで世の中まわるのか私には理解不能である。
そうやって人材を有効活用しない世の中はまさに巨人と同じである。
私はアンチ巨人なのでそんなんありえないようにしか思えない。
それが私の文句たらたらの状態なのである。
多くの人が仕事が成立するように人材を有効活用すべきである。
なのにそれが実現していない。
それが私が悲観する現実なのである。
<<追記20161203end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月3日(土) 近況_part2
<<追記20161203part2
大槻教授のブログから意見を言う。
結局年金受給者の方が勝者なのである。
現実に働いている人の方が給料が少ない。
あんまり年収300万円も稼げない現役の人が多すぎるのである。
特に私みたいな時給生活なんて
年金暮らしの方が幸せなのである。
そんな世代間の不公平が世の中にあるってだけである。
現役の人が稼げない現状をどうにかしないと
社会はつぶれる。
そういう危機意識も無いまま発言してもなんの効力もない。
今のホワイトカラーは何をやっているのか私は文句たらたらである。
ちゃんと仕事していたら今の現状は打破できるはずである。
それが出来ないから
年金受給者が勝者になっている。
それは悲しい末路である。
結局どこもどいつも自分の事しか考えていない。
それが如実に大槻教授にしろ何にしろあらわれている。
結局誰も真剣に仕事していないってだけである。
ただのマネーゲームである。
それは日本人全体の問題である。
これだけみても他人はあてにならない。
誰もあてにできないのに
私をあてにしようとする。
それも悲しい末路である。
もうちょっと自分をあてにしてもらえるぐらい努力した方がいいと思う。
それが日本人に足らない所である。
そういう認識にたってどうしたらインフレになるのか考えた方がいい。
もう年収が少ない多いじゃあなくて
どういう努力をしたらいいか考えた方がいい。
つまり努力しようとする人を増やした方がいい。
それがインフレのコツである。
<<追記20161203part2end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月4日(日) 近況_part2
<<追記20161204
今日は昼間一時間歩いて
水神さんと墓参りした。
S-POTに寄って買物した。
比較的成熟した社会な場合
余計な事は考えず考えるべき事だけを考えれば
ピュアな精神状態まで持っていける。
それが出来ないのは
社会が悪い。
そういう時は勇気がいる。
一人だけ頑張ってもこころもとない。
それでも、これだけは言える。話をひたすらする事である。
私はそうやってのりこえてきた。
私が出来る事は話をする事なのである。
私が知っている事わかった事すべてを話する事である。
そしたら話して良かったか悪かったかわかる。
わかったら考える。
そういう私がいる今の世はとても成熟しているとは言えない。
結構勇気がいる世の中だと思う。
それは果敢に話をするしかないように思う。
結局話の出来ない人が困る世の中なんだと思う。
そうやって困った叫び声とか文句とかが私のストレスである。
話になっていないのが問題なのである。
意味不明で全然勇気を持てない。
どうやって勇気を持てというのか理解不能である。
結局私に出来る事は真剣に話をする事だけである。
本当にそれだけである。
逆にそれだけ考えているとも言えなくはない。
ボチボチやりたい。
それと思いついただけなら何の効果も無い。
それは当たり前である。
効果が無いからである。
しかし効果があれば思いついたで終わらない。
それが人間の人生である。
<<追記20161204end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月5日(月) 雑記
<<追記20161205
今日はカキフライと惣菜買って帰った。
新しい仕事が入った。
疲れたと言えば疲れた。
自分自身の許容量が超える事はあっても
他人に対して許容量が超える事があんのか私には全然理解出来ない。
私にとってあるとすればそれぐらいしか思いつかない。
そんな事あったら私は生きていけない。
組織には全然かなわない。
それに腹立ててたら何も許せない。
なのに私に組織で対抗しようとする。
今のところあんまり効力ないから平気だけど
複雑になればなるほど太刀打ちできない。
そうやって一人で作れるUnityみたいな2Dとか3Dとか
ゲームプログラミングソフトが出てくる世の中である。
物理も波に乗って一人でやったけど
波にのまれて普通である。
ここまで来て一人でブレイクスルーする自信は結構ある。
それでも組織あってこその私である。
それなのにそれが許せなくて生きていけない。
社会生活出来無いまでに許せなくなっているしか思えない。
それで何で私のせいなのか理解不能である。
神様のせいしか思えない。
そういう現実を作った神様のせいである。
それを私がどうしろというのか理解不能である。
そういう社会を認めなくて社会で生きていけない。
それが私の社会としての他者論である。
<<追記20161205end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月6日(火) 雑記
<<追記20161206
今日は帰り銀行に寄った。
師走になって粛々と年末モードである。
年賀状も面倒であるけどこんな時だから計画立ててやりたい。
今年も良くやった気がする。
新年もそういう風にしたい。
勢いはなるようになれぐらいである。
そうなるようにやっているつもりである。
冒険と言えば冒険のように勇気はいる。
でも楽しくないと続かない。最終的に楽しんでいるか楽しんでないかが基準である。
それが他人によって
あいつは楽しんでいるから何やってもいいんだみたいな扱いを受けるのは
私にとってありえない。
一緒に楽しんでいる方があり得る。
私はそういう人間である。
楽しんでいればいいのである。それが他人のせいでつまらないおもいをするのは
他人が間違っている。
いろんな意見は聞くが
あんまり私は他人に正義を突きつけるような人間では無い。
どっちかいうと自己努力をうながす方である。
それが正義か不正義であろうとチャレンジする事である。
そこに人間的な営みがある気がする。
なのに他人はそれが理解出来ず私を不正義だと断定するのは
如何なものかと思う。
そういうレッテルのまま今日に至っている。
そしてそんな奴が天才なわけないときた。
やっぱりそんな生き方が間違っている。
誰が天才であろうと生きていく自分が必要である。
誰が正義であろうと生きていく自分が必要である。
何で事実をねじ曲げても受け入れられないのは間違っている。
何が起きても自分が生きていく自覚が足らない。
そうやって自分の考えた事がだけしか受け付けないのは間違っている。
他人の考えた事も世界の一部である。
それなのに自分だけが正しいなんてありえない。
そんな根性の無い生き方は間違っている。
何が起こっても生きていくそれが本当の根性である。
そういうひよわな生き方やめるべきである。
<<追記20161206end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月7日(水) 雑記_part2
<<追記20161207
今日は帰り肉屋に寄った。
帰宅中は短歌を作った。
帰宅後俳句を作った。
不正解には無限のパターンがあっても
正解には数パターンぐらいが自然法則である。
数パターンでも多いくらいである。
それを自分は私のようにはいかないというなら、
無限のパターンのうち、うまくいく数パターンになる根拠は無い。
それを私はどうしろと言うのかわからない。
結局タコの道戦略でしかない。
自分がタコの道選んでいると言う認識があるなら
タコでしかない。そしたら私なんかが何の関係があるのか理解不能である。
他人の自由である。私を巻き込んで私が悩む問題では無い。
正解は限り無く少ないのに自分は無理だと言っているだから
それなりに覚悟しているとしか思えない。
それが私に何の問題があるのか私には理解不能である。
結局自分がタコだと認めているにしか思えない。
それで私に何の関係があって
毎日ストレスを感じる必要があるのか理解不能である。
タコだと自分を認識している。それで終了である。
私とは会話が成立しない。ただそれだけである。
私は毎日どうしようも無い話を聞いて
どうしたらいいのか私にもわからない。
もう十分にラクになりたい。
会話の成立しない話は我慢ならん。
そんな暇あったら他の事考えたいのにストレスばっかり。
もうどうしようもない人はどうしようもないねえでいい。
そう言う迷惑な話ばかりである。
自分をタコだと言うからあんたはタコなんだで何が問題なのか私にも理解出来ない。
どうしようもない。
それを毎日聞いてバカみたいである。
なんかもうちょっと面白いだろとか楽しいだろぐらいないのかと思う。
ボチボチ私もやりたい。
<<追記20161207
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月8日(木) 雑記
<<追記20161208
今日はアトレの発券機に寄って帰った。
それなりに疲れて帰宅して
いい気分ではある。
明日の納期には間に合いそうである。
大学入って卒業して大学院に入って修了したのは
私が理数系だったから
幻聴のためキオクが苦手でも何とかなったのである。
それが大体文系の問題に少し対応出来るのは
高校受験の感覚があったからだと思う。
大学受験とは違うとは言え試験問題慣れしている。
どういうものかちょっとだけ慣れているためだと思う。
振り返ってみて試験で運命が変わるとも思えないのが私の第一感である。
人生なんのお役にもならないのが普通なんだから
試験ごとき何だと思う。
ただあるのは有言実行ぐらいしかない。
つまり逆に有言実行出来るのかと問われているのを認識していない人が
私に文句を言っているのである。
何でそんな人に文句を言われなああかんのか理解不能である。
言いたいだけ言って私を困らせているだけである。
それで何の効果も無い。
本当に試験しなくて済むなら有言実行をこころがけるべきである。
それが私の本音である。
有言実行もなく文句を言っているってだけである。
そんなん誰も受け付けない。
ひたすらに私は実行してきた。
それなのに実行もしない人から文句言われて腹が立たないのがおかしい。
悲しいけど
有言実行出来ないなら試験あるのみである。
それが私のサバサバした気持ちである。
私に文句言っている人は0点である。
それが私の気持ちである。
悲しいけど気持ちの共有とは実行の数で決まる気がする。
それだけが私と他人との違いであると思っている。
あとは全部同じである。
まあエライ違いとも言える。
<<追記20161208end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月9日(金) ツイッターより+8 外国語 雑記
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 富士宮元気出てくる小春ありすいも甘いもおのれ次第さ 行有
---> 写真から思い出深き桜島富士の高嶺と重なる心 行有
---> ゆっくりと時間をかけて羽根のばし気合がかかる期待をこめる 行有
---> 人生は何とかなるさくり返しやりたいようにやるまでかしら 行有
---> ゆっくりと元気あるまで家の中雑務残して脳裏によぎる 行有
---> 女こそ何が何だかわけわかめ何にもやらずお高くとまる 行有
---> 耐え抜いて今にいたれば不思議あり結果が出ない世の中ばかり 行有
---> あるがままこたえていけば不思議ありふんぞり返る世の中ばかり 行有
---> ドコモありお金のかかる話なりあきらめに似た気持ち広がる 行有
---> 仕事にも不安を残す感覚に疲れた身にものしかかるかな 行有
/*わからない*/
/*なんでそんなに*/
/*もめるのか*/
/*無関係こそ*/
/*先に立つなり*/
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 見渡せば冬紅葉あり立ち尽くす 行有
---> 落葉あり踏んで歩けばかみしめる 行有
---> 冬日から未来をのぞむ願いかな 行有
---> 歩いたら落葉ふみつけ元気あり 行有
---> 冬紅葉さらばこの世に別れかな 行有
---> 修善寺の冬紅葉から気合かな 行有
---> 山茶花をながめて通る道がある 行有
---> 冬の日にいつかどこかの心あり 行有
---> 心から別れを告げる冬紅葉 行有
/*北風に*/
/*負けじと進む*/
/*気合かな*/
英語の掲示板と
ドイツ語の掲示板と
フランス語の掲示板に追記した。
<<追記20161209
今日は夕食に焼き鳥買って帰った。
話の途中で長岡京市でマズイ餃子を食べたのを思い出した。
こちらの身も色々ふりまわされて生きてきた。
何にも悪い所無いのに全部他人のせいである。
私はひたすら自己努力してきたと主張している。
それでも私に悪いイメージを持つ人がいる。
あまりに変な奴が多すぎなのである。
それであんまり大阪にいいイメージが無い。
全員が有言実行型では無い変な奴から無責任な発言が目立つ。
それが全ての私の悪いイメージの元なのである。
私は極めて明るくはじけたパンチのある健康的で知的な精神的にやさしい女性が好きなので
まっすぐで楽しくて期待に応えて愛が生まれる夢を持ちたがる癖がある。
それなのに変な話がいっぱいある。
まさに都会病である。
どうしたらひねくれた性格をまっすぐ出来るのか処置のほどこしようも無い。
結局ほとんど他人の性格の問題である。
それを私がどうしろというのか理解不能である。
結局私自身も自己努力しかやりようが無い。
そうやって自己努力だけはしてきた。
それを批判する他人に私は戸惑うばかりである。
他人は自己努力しないのに何で私だけが自己努力するのかという問題もある。
ほどんど他人が私に文句言った所で自分の事は自分で出来ない人が文句言っているわけで
私にはどうしようもない。
それで私が成功してもそれが許せないなんて
なんか話が支離滅裂である。
私の意見なんて聞く耳も無いのにほとんど悪魔である。
お荷物としか思えない。
自己努力もしない意見も聞かない他人の成功も許せない。
ダメダメダメのオンパレードである。
<<追記20161209end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月10日(土) 近況
<<追記20161210
今日は午前中外国語を入力し
昼間一時間歩いて
帰宅後は片づけ掃除を少しした。
その後俳句と短歌を作った。
ここの所気になるのは年賀状ぐらいである。
今年も色々あったがおおむね良くやったと思う。
あえて言うなら絵を描く機会が少なかったように思う。
それもしょうがない気もする。
なぜなら書く事がいっぱいあったからである。
またいつか描く気になるまで待とうと思う。
今年は特に書く事減らしたら書く事が増えた気がする。
人生そんなものみたいである。
私的にはのどから出てくる書く事を増やす事が大切のように思う。
それは書きたくて仕方ない事を忠実に書く事である。
それが学生時代からそういう作文スタイルだったのが私に一因している。
それが絵を描く事も同じにならんかなあと思ったりしている。
描きたくて仕方ないようにならんかなあと思う。
あんまり私みたいな奴いないよなと正直思う。
それが私を批判から遠ざかっていると思う。
結局変人がより変人になっている。
それがますます現実味をおびている。
それが私の一年だったように思う。
まああしたもボチボチやりたい。
<<追記20161210end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月11日(日) 近況
<<追記20161211
今日は上大井駅からJRさわやかウォーキングだった。
ゴールは松田駅だった。
買物も出来て登りは疲れたが気分は良かった。
家に帰って俳句と短歌を作った。
その後写真をPCに取り込んだ。
久しぶりにキンドルで見て見ようかと思って写真をアップした。
これからビデオでも消化しようと思っている。
気分はどこか年末モードではある。
まあやる事やって新年に備えたい。
まずは片付け掃除年賀状かなと思う。
新年があらたまって私もあらたまるように日々を送りたい。
それが幻聴でいつもと同じになってしまう。
いつまで続けるつもりなのか私にもわからない。
間接的に男も原因しているように感じる。
それが私の悩みである。
他人に迷惑を与えるぐらいなら理想や理論なんて持たない方がいい。
他人に迷惑を与えない人が理想や理論を考えればいい。
それが私の実感である。
いつまでこんな状態を続けて物事が解決するのか理解不能である。
迷惑としか思えない。
それなのに毎日幻聴が聞こえて毎日同じ状態になる。
男も女もあきらめた方が私にとって都合がいい。
それが私の本音である。
なのに他人に迷惑与えてあきらめられない。
本当に悪魔である。
<<追記20161211end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月12日(月) 雑記
<<追記20161212
今日は静鉄ストアで夕食の買い物して帰った。
帰宅する頃は暗くなってきた。
段々年末モードである。
理想とか理論とか美しくなればなるほど
時間の無駄とか人生の無駄とかの戦いである。
特にデータが無い場合何を根拠とするか難しい問題である。
自分が経験したからとか自分が出来るようになったからとかもどっちかと言うとデータである。
私の永久機関もある意味データだった。
それが私の発想の元である。
それなりにデータを自分で生み出さなければ
理想やら理論の無駄になりかねない。
そういうおそれも必要である。
それを物理屋さんはあいつは物理を知らないとか形容したり
標準理論みたいに各分野の科学性を認識していた。
科学的かそれぞれが考えていた気がする。
私がこれまでやってこれたのは私の科学観がそうさせたように思う。
そして大学受験の失敗が
あらゆる角度でおぎなった結末である。
高校受験や大学院受験も関係していると思う。
こんなにやった人間そんなにいない。
そう思っちゃう私がいる。
多分間違っていないと思う。結局何が違うのかというと責任感が違う気がする。
私がやった全てを背負ってきた結果である。
結果が残らないのは
反対にほとんどはみんな逃げてきた結果である。
逃げたか立ち向かったかしかない。
それだけ私は立ち向かって悩んだのである。
まさに火事場の底力である。
なのに何で逃げてきた人に批判される理由があるのか理解不能である。
まあボチボチやりたい。
<<追記20161212end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月13日(火) 雑記
<<追記20161213
今日は肉屋に寄って天神屋に寄って帰った。
帰り際雨降ってた。
読書と短歌を電車の中でして帰宅した。
陽明学の「知行合一」を高校生ぐらいに本を読んだ気がする。
現代で言ったら基礎科学と応用科学みたいな感じである。
合わせて理工学部みたいな感じである。
プログラミングも数学的な解法が昔から発案されてて
人間がやれない計算をコンピュータが昔の数学的解法使って計算してしまう。
そういう意味ではプログラミングも数学的である。
それは基礎科学でも応用科学でも有用である。
私が言いたいのは知行合一というのは実行しているからこそ理解出来ているという事である。
理解してないからこそ実行していないという事である。
パソコンが計算しているとは言えパソコンを実行しているかこそパソコンがわかるのである。
それは外国語やら短歌やら俳句やらプログラムやら物理やらも同じである。
それを何で私が批判される対象になるのか理解出来ない。
私の方がたくさん実行しているからぐらいしかない。
それを何で批判される必要があるのか理解不能である。
同じように実行すればいいだけである。
実行が足らないだけである。
それを私がどうしろというのか理解不能である。
同じように実行するかしないかぐらいしかない。
実行もしないでエラそうなのは間違っている。
ただ物事を理解していないだけである。
もうこの辺でこの話は止めようと思う。
ただ現実にあるのは私はたくさん実行してきただけというのが事の真相である。
それだけ理解もしている所があるっていうだけである。
ただ理解していない人が私にストレスを与えているだけである。
もう私に出来る事はこの経験を伝えるだけである。
ボチボチやりたい。
<<追記20161213end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月14日(水) 雑記
<<追記20161214
今日は伊豆屋に寄ったが
昼間と夕食時しかやっていないらしかった。
天ぷらも天丼だけと言っていた。
仕事も一通り覚えたようである。
でもはんだ付けの仕事だけはまだやっていない。
まだスマホどうしようか迷っている。
そんなこんなで年を越しそうである。
何でこんな意味不明な叫び声で日本語が理解できるのか理解不能である。
そうやって何年も過ぎている。
ほとんど時間の無駄である。
私自身あんまり期待していない。
どうせこんな女のために頑張ったんだと思うと思っている。
そういう女の話にしか聞こえない。
だからサバサバしている。
毎日ストレスにしか感じない。
お荷物女のお荷物話にしか聞こえない。
どうしたらそれが要領を得た話なのか理解不能である。
だから私としてはお先真っ暗である。
何にも私なんか関係無いからである。
それで私が幸せになる根拠無い。
そんな女のために生きているんだと思うだけである。
自分が思うように生きた方がラクである。
くだらない女のために何で私が関係あんのか理解不能である。
何にも関係無いねえでいい。
一体それのどこに私が関係する話なのか点検して欲しい。
全く関係が無い。
私が好きなようにやってる方のがラクである。
どうしてそれで日本語が通じるのか点検して欲しい。
何も意味通じない。
それのどこがアホでバカでパーなのか点検して欲しい。
どうでもいいのオンパレードである。
どうでもいいを点検して欲しい。
一体それをいつまで続けるつもりなのか点検して欲しい。
いっぱい問題持ってて何で私が解決しなああかんのか点検して欲しい。
関係無いねえでいい。
どうしようもない奴がどうしようもないだけである。
それで私に何の関係があるのか理解不能である。
それでいつまでそんな状態を続けるつもりなのかわからない。
あと何年やるつもりなの?
あんまり期待していない。それが私の本音である。
<<追記20161214end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月15日(木) 雑記
<<追記20161215
今日も話をして帰宅した。
なるべくラクになるようにしたいが世の中次第である。
話の中でこんな弱者を困らせる世の中もどうかなと思ったりした。
世間の問題は知行合一が難しいと言った所のように思う。
IT技術が進みすぎて人間が追いついていない。
まるで共産主義みたいである。
理想が高すぎるのである。
そう言ったグローバリゼーションも同じなのかもしれない。
実行することは山積みでそこから知ることも少ないと言った所かもしれない。
そして私には旧態依然でいいのかという疑問もある。
先に進むのにもっと工夫があっても良さそうなのに
工夫が見られない。なんか世の中が無責任な社会に見えてしまう。
もっと社会を少しずつ変えていく必要があるのに
旧態依然である。
それでは人間が時代に追いつかないわけである。
私も例外にもれず私にとってもいい時代では無い。
それを穴埋めするのは知性かなと思う。
理論や理想では無く知性だ思う。
人間が知的になれる知性だろうと思う。
知性が人間を健康的にさせて実行をともなうと思う。
そして理想や理論に冷静さを取り戻せる。
なぜなら人間に知性があるからである。
それが私の人生観である。
人生にはそれなりの達観や冷静さが必要である。
それなのに舞い上がって実行の無い不健康に至る。
それでは人間に知性があるとは言い難い。
そうならないように私も努力しているつもりである。
ボチボチやりたい。
<<追記20161215end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月16日(金) ツイッターより+8 外国語 雑記
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 修善寺の冬紅葉からつつまれて元気をもらう心あるかな 行有
---> 修善寺を歩きまわれば元気あり気分も良くて事無きを得る 行有
---> 冬日からどうなる事か待ちわびてお天道様に元気をもらう 行有
---> 師走から今年一年振り返るどんな展開待っているやら 行有
---> 師走あり一年過ぎてそんなものどうなる事かたかが知れてる 行有
---> 仕事ありあしたをおもう帰宅あり心配してもあしたに続く 行有
---> おでんありあたたまるうち元気かなキオクに残るおもいとともに 行有
---> あたたかい何を求めてつめたくていきるものやらたまらないなり 行有
---> タコとして認識してるタコの道私何かが言う事も無い 行有
---> 正解にいつになったらたどり着く待ちくたびれて言う事も無い 行有
/*ただ単に*/
/*金のためなら*/
/*苦労せず*/
/*求めるものは*/
/*他にあるから*/
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 電車から冬夕焼で帰宅する 行有
---> 目につけばじっとするまで冬の色 行有
---> 冬木立未来重ねる心かな 行有
---> 枯葉からここまできたかもの思う 行有
---> 木枯に立ち向かうなり歩くかな 行有
---> 十二月さびしきものも一緒かな 行有
---> 冬草や掃除片付け夢の跡 行有
---> 仕事あり通り過ぎゆく時雨かな 行有
---> 歩いても元気あるなら冬の陽 行有
/*あの頃の*/
/*どうしたらいい*/
/*日向ぼこ*/
英語の掲示板と
ドイツ語の掲示板と
フランス語の掲示板に追記した。
<<追記20161216
今日は夕食にカキフライと惣菜買って帰った。
昨日は少し年賀状対策した。
まだ完成には程遠いけど一歩一歩である。
診察日でもあり仕事も何とか間に合った。
困っているのは女の問題ぐらいである。
毎日ストレスである。
女なんていなければスッキリするのにと思う。
それが不可能だから困っている。
どうして女の問題が私に関係あんのか理解不能である。
それが私の 人生をむしばんでいる。
神様に文句言いたい気分である。
神様のご判断をあおぎたい。
私としては神にゆだねる気分である。
タコの話ばっかりで私までタコな気分である。
どうしてみんなでタコな気分にならんといかんのか理解不能である。
それが毎日女のせいである。
一体それのどこが知性なのか私には理解不能である。
それを毎日くり返している。
私がそんなにストレスをためる必要があるのか全く会話が成立しない。
以上のように現状は変わらないので
しばらく追記を控えたい。
今年も書きたい事を書きまくった。
計画としては
外国語と俳句と短歌とJRさわやかウォーキングと新年の年賀状ぐらいにしようと思う。
なんかそう言って書き込んでしまう。
それも何かの縁だし
試みるまで試みようと思う。
<<追記20161216end
とりとめのない趣味の小話6
2016年12月17日(土) 再現性_part2
<<追記20161217
科学で扱えるのは再現性のあるものである。
再現性があれば科学になる。
なので科学=再現性である。
再現性を確かめる事こそ科学のあかしである。
再現性の確かめられない現在は科学にならない。
なので科学にする事こそ人間の営みである。
未来の科学も再現性が確かめれない以上科学にならない。
それが私の科学観である。
我々にとって
どうにかして再現性を具現化する事が大事である。
それが我々の未来を明るくするだろうと私は神に対して信じている。
ボチボチやりたい。
それで再現性一つ証明出来たらそれは理論である。
だけど量子力学のような標準理論はもっともたくさんの現象を証明しているあかしである。
それを動かすとしたら標準理論を変化していくぐらいが一般的だと思う。
ビッグバン元素合成標準理論を扱った経験が私にある。
どっちが実証しているか非標準理論使って標準理論の差の戦いである。
標準理論にも色々問題はある。
そうやって人間はより美しいものを求めるんだと思う。
限りなく実証値に近づいていく。
それが神の意図なのか私にはそれが神秘に思える。
何か神を信じたくなる。神様の言う通りのような気がしてくる。
私にも試練もあるかもしれないけど神が私を試している気もする。
まあともかくボチボチやりたい。
<<追記20161217end
直感とサイエンス今日は何かちょっと書き込んだ。
明日はJRさわやかウォーキングに参加する予定でいる。
ボチボチやりたい。
2016年12月18日(日) JRさわやかウォーキング_part2
今日は興津から由比まで薩埵峠を通ってJRさわやかウォーキングだった。
さらに由比から蒲原駅まで歩いた。
途中桜エビとシラスで昼食した。
帰宅後短歌と俳句を作った。
PCにデジカメを取り込んだ。
今日で今年のJRさわやかウォーキングは最後である。
ひたすらに年末にむかっている気がする。
クリスマスと年賀状ぐらいである。
今日も良く寝れそうである。
2016年12月23日(金) ツイッターより+8
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 師走から掃除片付け備えあり元気あるならまだまだかしら 行有
---> 冬の日に横になるなり休みあり何でもなるさおもいかさなる 行有
---> ことのほかもまれて登る大井町みやげ片手に景色あるかな 行有
---> 富士かくれ我が身にせまる富士見塚落ち着くほどにおもいがめぐる 行有
---> どんぶらこどうなる事かどんぶらこあしたになればわかるものかな 行有
---> いつまでも良くわからない話なり通じもしなくうるさいばかり 行有
---> めずらしく覚えて帰る仕事ありあしたも同じくり返しかな 行有
---> 健康にラクになるまで待ち続け年末来たるまだまだかしら 行有
---> タコのタコくり返してもタコのまま私になんか関係しない 行有
---> タコのタコ日本語ならずタコのままむなしいまでに年月かける 行有
/*あきれはて*/
/*何のためにか*/
/*もめるのか*/
/*まきこまれても*/
/*ストレスばかり*/
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 空風にもまれて登る大井町 行有
---> 富士見塚我が身にせまる冬の草 行有
---> 大井町みかん祭に舌鼓 行有
---> 冬の空めがけて歩く元気かな 行有
---> 草枯の心に残る一休み 行有
---> 師走あり早いものだと振り返る 行有
---> 冬の日に薩埵峠で見事なり 行有
---> 富士山に駿河湾あるみかんかな 行有
---> 食べつくし忘年会を祝うかな 行有
/*あかるさは*/
/*冬至を過ぎて*/
/*希望かな*/
2016年12月30日(金) ツイッターより+8 +書評ページ part2
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 一つずつ片付けていき師走なり色んな事が夢のようかな 行有
---> 冬の日に元気いっぱい歩くなりのどかな時も感じられつつ 行有
---> 富士山の薩埵峠で駿河湾絵になるほどに晴れ渡るかな 行有
---> シラスあり桜エビあり昼食は忘年会を兼ね祝うかな 行有
---> 納期まで仕事済ませて帰るなりそんなこんなで続いてるかな 行有
---> やりきって今年一年終わるかな新年に向け目標のぞむ 行有
---> 買物の笑顔あるなら話題あり歩く道にも時を忘れる 行有
---> 短日のわびしさ胸に帰るなり家の中ではトラブル続き 行有
---> アホなのか良くわからないバカなのかストレスたまる人間ばかり 行有
---> 先生が仕事をしない話なり仕事するのも先生がやる 行有
/*行く年も*/
/*万事備える*/
/*日を送り*/
/*めでたさ胸に*/
/*あらたまるかな*/
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2016… ---> 山眠り私も眠るおもいかな 行有
---> 年忘れうまくいくなら仕事かな 行有
---> 冬の夕たそがれながらバスの中 行有
---> いつまでも年月かけて師走かな 行有
---> 時は過ぎいつもながらのクリスマス 行有
---> めでたさもうすれゆくまで聖夜かな 行有
---> クリスマスフライドチキン手に入る 行有
---> クリスマスケーキにわいて祝うかな 行有
---> めぐりつつ年末モード備えあり 行有
/*年の暮*/
/*あらたまるまで*/
/*備えあれ*/
書評