散歩みち
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2010年5月4日(火) 連休
日曜日と月曜日に甲府に行ってきた。
恵林寺では
孫子から参考にした武田信玄が
おごりたかぶるから勝ち過ぎてはいけないとの碑がたっていた。
「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」ゆかりの地でもある。
早速三島に帰宅間際、短歌を二つ作った。
あとは甲府にある景色を見たりヤマダ電気に行ったり、
美術館に行ったり甲府城跡に行ったり
いろいろ話をしながら見て回った。
その他にもいろいろ知識をつけてもらった。
何が役に立つのかわからないけど
やる事があるうちは花である。
2010年5月5日(水) 「死刑」読売新聞社会部
犯罪者と被害者の両方の状況が
交錯し溝が埋まらないそんな印象を持った。
なかなか皆の気持ちが一つになる事は難しいと思った。
私は納得してないけど一応障害者手帳を持っている。
名古屋にいる時、生きようと思うと社会に反抗しているようなそんな気持ちにもなった。
正直何が自分を支えているのかよくわからない。
だから他人に自分の気持ちを伝えられているのかわからない。
それでも皆と気持ちを共有したい。
勝手ながら
多分裁判官も同じ気持ちかもしれないそう感じた。
また人それぞれそういう地道な努力が
社会をよい方向に持っていけるのではないかそう感じた。
2010年5月10日(月) 数学の本
本屋で1890円で「オイラーの贈物(吉田武著)」東海大学出版会
を見つけた。私の高校から大学までの数学が書かれている本である。
書かれてないのは群論だけである。
群論は修士時代に授業を受けたが実際に使った事はなかった。
名古屋にいた頃丸善で物理数学の本棚に群論があったので
今はもしかしたら大学で群論も勉強しているかもしれない。
だけど、参考書のみで中学生や高校生で読めれる数学の本が極めて少ない。
ガロアとかドイツの数学者のように数学は自分だけで本読んで勉強出来る分野なので
多分ドイツには中学生や高校生で読むたくさんの数学の本があるのではないかと
思ってインターネットで調べても見つからない。
ともかく、「オイラーの贈物(吉田武著)」は結構欲張った本である。
こんな本がたくさん出版されれば世の中は安泰である。
私はやりたい事が一杯あっていつ読む事になるかわからないけど
いい復習になればいいなあと思っている。
2010年5月12日(水) 記憶する事
記憶するという事は頭の中で何遍も繰り返す必要がある。
それだけでなく
覚えるスピードは頭が疲れないし余裕も無い遅すぎず早すぎずという微妙な線である。
覚えた後も忘れないためにはその後も繰り返す必要がある。
私にはそこまでして記憶したいなら
自分がしたい事を実現したい事のために記憶したい。
私が受験生でないからそんな事が言えるのかもしれないが
社会人にもなって自分の勉強した事が全然使えない事の方が異常である。
若いうちはいろいろな事が出来る。
いろいろな経験を積んで
自分の勉強をいかせられる事を願ってやまない。
2010年5月12日(水) アメリカと日本
結局の所
アメリカにとって日本は安心出来る属国である。
だから日本は高い技術力を持てるし貿易で利益も得れる。
そのためにアメリカには今後も頭が上がらないだろう。
私に出来る事はアメリカには無いものを生み出して
せいぜい日本を守る意識を持ってくれる事だろう
要するにアメリカ兵が沖縄を大事に思ってくれる事である。
正直、北朝鮮も核技術力より無防備な所にアメリカ基地を作った方が良い気がする。
そうしたら一層安定する。
中国も高い技術を持つには周辺国の安定なくしては望めないのではないかと思う。
そんな安定したバランスを求めないで生きる方法を
日本はアメリカに頼っている以上
アメリカ基地問題はなくならない。
2010年5月16日(日) 近況
現在
夏目漱石の「三四郎」を読んでいる。
先週は
夏目漱石の「こころ」を読んだ。
この次は
夏目漱石の「それから」を読みたい。
村上春樹の「1Q84」BOOK3も買ったけど読んでいない。
ドイツ語の学習書も読みたいし
現代文の学習書も読みたいし
生物の本も読みたいし
数学の本も読みたいし
どうも簡単に解決しない状況である。
他にはドラムやPCのプログラムとか仕事もあって
なかなか大変である。
正直悩んでいる暇がない。
けれど一つ一つ時間をかけていきたい。
2010年5月17日(月) 新しいIT技術
仕事していると新しい技術が次から次へとやってくる。
それだけにみんなにチャンスが生まれるだろう。
自分のやった事がむなしくなる程に便利になっていく。
その反面、自分の能力を高めるチャンスでもある。
私の能力開発自体がITの恩恵を受けていると認識している。
今の流行を考えたらITを使って能力開発する手段は有効である。
自分なりの利用方法を見つけるだけでもエキサイティングな程
ITが便利な世の中である。
2010年5月20日(木) 我が誕生日
今日が私の誕生日である。
もう36歳独身である。
あ〜あ、いつまで売れ残るんでしょう?
段々子供が成人する頃には60歳に近づきつつある。
子供の前途多難さを考えると
自分自身の許容量が60歳は限度ギリギリな気がする。
今でさえ単純計算で子供が30歳で私が66歳である。
老後ぐらいゆっくりしたい。
それを考えたら子供なんていらない現代社会もよくわかる。
自分の子供より他人の子供を考えた方が割りに合っているのは事実である。
何でなら自分の子供がいないからである。
それしか今の所私自身戦略の選択が無いのである。
そういう意味では私のホームページ自体がそういう戦略であり
悲しいけれど、もう段々自分の子供自体が
どうでも良くなる方向で歳をとっていると思う。
2010年5月22日(土) 昨日Googleアカウントを取得
Googleのサービスがどんなものなのか
興味を持ってアカウントを取得した。
今日はサイトを作ってこのトップページから「Using Tools」でリンクした。
今の所そんなにたいしたものでないけど
Googleドキュメントで作成したものなど
いろいろなものが貼付けられるみたいなので
新しいサイトに向けて今後の検討材料である。
時間をかけて構想をねりたい。
今日中に図書館に行ってくる。
夏目漱石の「こころ」と「三四郎」を読んだが
「それから」と「門」を読みたいなと思っている。
どうなる事やらわからないけど
やりたい事があればそれでいいかもしれない。
2010年5月23日(日) Googleサイト更新
今日Googleドキュメントで
Googleサイトによる「Using Tools」の補足事項としてプレゼンテーションを作成し
Googleサイトで作った「Using Tools」の後ろの方に貼付けた。
「Using Tools」は1ページだけど
Googleサイトは複数のページも作れる。
Googleドキュメントは、
文書、プレゼンテーション、スプレッドシート(表計算シート)、
(ユーザー集計用)フォーム、図形描画、フォルダ
が作れる。
Googleサイトから表示権限を与えられたGoogleドキュメントのデータを貼付けられる。
結構使える。私はそんな気がした。
2010年5月23日(日) デジカメ集をリンク
デジカメのデータをGoogleにアップデートして保存したので
「デジカメ集」を公開する事にした。
デジカメのデータ容量が1Gを超えないか少し心配である。
今は使用量5.16%だがアップデートする写真を選ぶ必要がありそうである。
それぐらいで他に何も問題が無い。
出来るだけ自分が印象に残る写真をとりたい。
2010年5月27日(木) 今年における今までの仕事
1月から3月までPrimeStoreの性能テストをチームで実施した。
性能テストを実施しながら性能テストで使う
BATを編集して実行するWindowsのTOOLをいくつか作った。
4月から今までは
センターサーバーのソリューションについての調査と
アンドロイドの調査と
クラウドコンピューティングの調査と
Skypeの調査を実施した。
アンドロイドの端末を
欲しいなあとは思ったが手に入れても来年にしろと
父親に言われアンドロイドの開発をやっても
実機で試せないのが現状なので調査は作れそうな雰囲気だけである。
特にクラウドコンピューティングの調査で
GmailとかGoogle App Engineの情報も得て
Googleに興味を持って先週Google アカウントを取得した。
Skypeの調査では
開発資料も作った。私自身誰かとテレビ電話したい人がいるわけでもないので
あまり興味が無いが時代は進んでいるとは思った。
ともかく一人ではなかなか進まないし出来ない仕事を
仕事仲間と話をしながら私自身が進めている状況である。
2010年5月29日(土) アメリカ軍基地について
沖縄が嫌がっているアメリカ軍基地が
沖縄にあるっていうのはやっぱり必要だからというのが
普通の考え方ではないかと思う。
もし百歩譲ってアメリカ軍基地が必要なければ
アメリカ軍基地の問題は存在しない。
だけど沖縄がどういう点でアメリカ軍基地について嫌がっているのか
一つ一つ吟味できている気がしない。
嫌な事を一つ一つクリアしていく政治こそ大事ではないかそう思う。
2010年5月31日(月) 我が家の議論から
あまり私自身議論が生産的に感じないのは
父親との議論が影響を受けているような気がする。
はぐらかされ迷走し結論は見出されず、むなしさしか残らない。
だから結局言いたい事言っておしまいである。
あまりその後の展開なんか期待していない。
だから議論を論破するなんて無理な気がする。
私の議論とは私の中で自分が言いたい事を言えればそれだけで良いだけである。
結局の所、議論から結論を得る気がしないのである。
議論しても自分にある事実しか見出せるものがない。
どうでも良い話ほど不毛に感じるのは私だけなのかわからないが
話題が必要に感じるか感じないかが議論を聞こうか聞くまいかの判断になっている。