散歩みち

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2016年8月1日(月) 雑記



<<追記20160801
私の学生時代にあんまり自信が無いのも
テストのせいのように思う。
頑張った割にどうもおかしい気が今している。
それとテンカンの薬で緊張すると筋肉が萎縮したのもある。
そんなこんなで妥当な視点が無かった。
それでも今があるのは読書が大きい。
読書さえしてれば前進出来る自分がいる。
ここが大学にいなくても可能な分岐点のように思う。
損得無しに読書するのは
私がクソ真面目なんだろうと思う。
そのクソ真面目が損得やテストには関係無いのが
私なんだろうと思う。だけどあんまり私にとってそれがどういう意味があるのか想像できない。
私って何みたいな所で私を語っている状態である。
それなのに読書したいのはクソ真面目なんだろうと思う。
ボチボチやりたい。
<<追記20160801end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月2日(火) 雑記



<<追記20160802
数学の本も最近はkindleで読めそうな本がある。
複素関数論やら群論やらもそうだし
物理数学でも結構良さそうなのがある。
それで私が何をやりたいのかあんまり方針が無くて
とりあえずストックされている。
他には機械学習やら最適化数学やらもあるのだが
あんまり深入りすると迷路にさまよって
人生を無駄にしそうな所もある。
私自身これぐらいなら許せる線でギリギリである。
法律や会計や哲学や古典などを中心に今の所読んでいるが
夢は数学や物理をやって
楽しむ事のように思ったりする。
そんな風になるように私なりに活動する事が
なんとなく私の使命である。
今までよくやっている。
考えられないぐらいである。
精神的な事はもうやりつくした。
何か次の展開も考えたい。
読書量を考えるとしばらく時間がかかりそうである。
ボチボチやりたい。
<<追記20160802end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月3日(水) 雑記



<<追記20160803
まあナンダカンダやってきて
権力除いて私ってエライなあと思う。
私としては何かそれだけで十分である。

再度掲示板の書き込みを減らす努力をしようと思っている。
第二次計画である。
利点としては時間が出来るという事であり
欠点としては頭が整理つかないという事である。

それでもアウトプットし続けた結果
あんまり他に言いたいことも無い。
そんなことするぐらいならインプットしたいなあと思い始めている。

今年四月に一度試みて
そのうちに思いつくことがあった。
今回もそうなるかわからないけど
試みるだけ試みてみようと思う。

書き込みは
短歌と俳句とウォーキングや登山と外国語ぐらいにしようと思っている。
キーワードはインプットである。
色々案は浮かぶが
ボチボチやりたい。
<<追記20160803end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月5日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 今にしてゆっくり進む登山かな眠る頃には天国かしら 行有 
---> ポケモンをやりたいほどに話題あり何の事だかついていけない 行有 
---> いきるとはいかなる事ぞ問いかけて見つける事は数知れずかな 行有 
---> 一時間歩いてゆける元気あり雀に会えて話題にのぼる 行有 
---> やかましい記憶に残る蝉の声くり返されるおもいとともに 行有 
---> いきてるとめんどくさいな人生はしょうがないのでボチボチですな 行有 
---> 息をつきイスに座って家の中パソコンあればおもいはめぐる 行有 
---> やり残す課題もあってどうするか時間をかけて解決したい 行有 
---> 昼飯を終えのんびりと昼下がりいつまで続く平和なおもい 行有 
---> 時を経て意味があるのか不思議なりやれるものならやっておきたい 行有 


/*八月の*/
/*おもいはどこか*/
/*うわの空*/
/*積乱雲に*/
/*聞いてみるかな*/

2016年8月6日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 蝉の鳴く通りを歩きうなるかな 行有 
---> おどろいてトカゲが隠れ夢の跡 行有 
---> 朝顔のオバケが咲いて母の声 行有 
---> 登山して元気をもらう声がする 行有 
---> 蝉の鳴く鏡はどこか問いかける 行有 
---> 七月のおいしい水に生き返る 行有 
---> 梅雨明のニュース流れて夢の跡 行有 
---> 梅雨明に背中押されて仕事かな 行有 
---> 登山から筋肉痛の翌朝よ 行有 


/*夏草や*/
/*勢いまさる*/
/*心かな*/


英語の掲示板ドイツ語の掲示板フランス語の掲示板に追記した。

2016年8月7日(日) 近況



今日は水生地から天城トンネルから天城峠から八丁池に行った。
朝方8:07ぐらいに登って
11:40ぐらいに八丁池で昼食して
12時過ぎに八丁池から下山して
2:30ぐらいに水生地に着いた。
朝方は涼しくて
八丁池も涼しかった。
下山した頃は水生地は暑かった。
今日もよく寝れそうである。

2016年8月11日(木) 近況



<<追記20160811
ゴールデンボンバーの「女々しくて」という歌が何か気になっている。
多分紅白などで数年前から知っているけど
度重なる放映で
何か気になり始めた。

自分を助けるのは自分しかないと思えば
女々しくならない。
現に私は障害者扱いだが
誰も私の周りの電磁波には話を聞いてもらえない。
人為的にもかかわらず障害者のような症状なので
しょうがなく薬をのんでいる。
誰もこの現状を私の病気のせいにしている。

こんなんだから誰も救ってもらえない。
私は私なりにやるしかない。
そう割り切れば
出来るだけ全部自分でやろうとする。
それでどこか女々しくなるだろうかと思う。

変な事はたくさんある。
私の体中が私がした事でもない事もある。
結局すべて病気のせいである。
それに私は抵抗して生きている。
女々しくなってたら生きていけない。

結局女々しいとは中途半端に誰かに頼る事何だろうと思う。
誰かに頼るだけの信念が無いから女々しいんだと思う。

私の活躍を許せないのも
中途半端に信念が足らないからである。
私とは関係無い関係になれないからである。
関係しないのか関係したいのか中途半端である。
ここまでくると迷惑としか思えない。
いくらでも私を無視しようと思えば出来るし
いくらでも信用しようとも出来るはずである。
なのにそれが出来ないのは私を利用しようとしているだけである。
それも自分のために中途半端に定説を作ろうとしている。
そんなん誰もそんな話聞きたくない。

結局
ご都合主義ってだけである。
それが女々しくてという事だろうと私は思っている。
<<追記20160811end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月11日(木) 追伸



昨日と明日有給休暇をとりました。
計画としてはゆっくりしようと思ってます。
昨日はベットの上で読書の時間が多かったです。
今日は藤堂でラーメン食べて
沼津で用を足しました。

今の所気分転換になっている気がします。
愛の金メダル発行したいなあとオリンピック見ながら思ったりします。
とりあえずボチボチです。

2016年8月12日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 意味も無く時を重ねてくだらないもめる女も近寄り難し 行有 
---> 我が部屋で極楽気分横たわり何とかなるや言い聞かすかな 行有 
---> こころして越前岳に登るなりジンギスカンもご満悦かな 行有 
---> 休みこそのりこえるべき用を足しみんなの力垣間見るかな 行有 
---> 色々と脳裏によぎるおもいにも忘れる我が身抵抗してる 行有 
---> 一定の仕事量やり家の中あしたのおもいふくらむかしら 行有 
---> 楽しんで生活できるありがたさかみしめるほど人間かしら 行有 
---> 人生はなんとかなるさ言い聞かせ時がたつなり人間かしら 行有 
---> 読書あり元気出てくるおもいありもうしばらくは八月かしら 行有 
---> 仕事量こなして帰る我が身から家の中でも健康でいる 行有 


/*テレビつけ*/
/*オリンピックの*/
/*金メダル*/
/*夢があるなら*/
/*次があるかな*/



英語の掲示板ドイツ語の掲示板フランス語の掲示板に追記した。

<<追記20160812
休みで読書して少し疲れている。
多分横になっている時間が多いのがいけない気がする。
今頃数学書読んで何になるんだろうと思うが
数学書を読む集中力が出てきたように思う。
今まで続かない感じだったように思うが
何となく自分に冷静さが戻ってきているように思う。
それが持続力につながっている気がする。

寝たきりになるまで物理やった手前
無理に無理を重ねてきた。
それが苦も無くなるのか私にはわからないが
やるだけの事はやろうと思っている。
それでも目標が定まらない。
どうするべきかボチボチやりたい。
<<追記20160812end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月12日(金) 追伸



<<追伸20160812
私の教養はあんまり加味されず他人がどうなろうと模索しても
私の教養は無視出来ない。

私の論理性は大学院の修士修了をもってつちかわれた。
大学の時は地学のテストで
今を振り返ると論理性をつちかうためだったんだと認識した。
その論理性とこの掲示板で表現してきた表現力は私の教養の一部である。

英語もドイツ語もフランス語も論理性や表現力や国語力に影響しているように思う。
今週も英語とドイツ語とフランス語のヒアリングをしている。
人生何が功を奏するかわからない。
そういう不確定要素が私にある事だけは事実である。

数学もそれなりに系統だった認識にはある。
こういう時にこういう数学があるみたいなものはある。
だからいざとなれば判断材料になる。

物理も系統だった認識とそれなりの哲学的認識にある。
特に自然現象はたくさんの力学による哲学的考察がある。

その上で私のプログラム人生がある。
テスト項目作るのだって国語力がいる。
英語を使うプログラムだって遭遇する。
物理を使って位置を割り出す計算もある。
数学もわからなくて計算も出来ない。
以下に教養が大事かわからなくて仕事は出来ない。

それを私をダシにして利用したってうまくいかない。
それぐらい教養は大事である。
プログラムマネージャーやってもプログラムの事を知らねばならない。
それでもプログラムをやりたければ
プログラムマネージャーになればいいと思う。
私はTEC時代の上司の意見が聞きたい。
私はそんな教養が無くてプログラムの仕事は出来ないと思うけど
私が困るぐらいだから上司も困っているかもしれないと思った。

結局そういう余分な教養で差がつくのが
仕事のように思う。
なのに得になる事しか考えない奴が仕事なんて不可能である。
おんぶにだっこぐらいが関の山である。
それを許すほど甘くないというのが私の実感である。

そして大学時代から社会人まで
結果はすべて保留である。
私が42歳にして社会的犯罪である。
すべて他人のせいである。

そんな人と比べては社会が成立しない。
結果のついている人と比べなければ社会がおかしい。
それを平気で比べようとしているのは
正気の沙汰ではない。

すべての結果が無い障害者を何と思っているのか
そんな障害者と比べて社会が成立するのかおかしい。

もっとまともな待遇をしてから
私を比べて欲しい。
私と比べる重責に耐えられない。

社会の責任を果たす大人がそういう判断が出来ない事を
私は恐ろしい事だと思っている。

もっと責任を果たす人が比較すべきなのであって
私のような弱者がする事では無い。

人間の許されない限界を超えている。
42歳の私は健康第一である。
若い人のようにはいかない。
なのにいまだに私の体をいじめている。
こんな犯罪をしてまで社会は成立するのか理解不能である。
どこにそんな正義があるのか理解出来ない。
そして私自身も正義は存在しない。
それが日本社会なのである。
それでいいのか私には判断つかない。
もっと頑張る人が頑張らなければ日本沈没である。

私は健康では無い。
健康な人が日本を引っ張るべきなのである。
それがまっとうな社会である。
愛らしい健康的なはじけるような精神こそが私の理想である。
なのに私はそれに遠い。
なので私は比較されうる人間では無い。

幻聴はそれに遠い。
まだ私の方がそれに近い。
でも病んでいる。
それがそのまま社会問題なのである。
<<追伸20160812end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月13日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> あの頃の記憶に残る蝉の音 行有
---> 夏の虫色んなものがとびまわる 行有 
---> 登山終えゆっくりすれば家の中 行有 
---> ナスありて食が進めば夢の跡 行有 
---> 気がつけば雨戸を閉めて西日かな 行有 
---> 雷に恐れをなして遠ざかる 行有 
---> 夕焼けにおもいをつなぎうわの空 行有 
---> 清水から水神さんの恵みかな 行有 
---> 時を経てなるにまかせた晩夏かな 行有 


/*あの蛙*/
/*旅に出るなり*/
/*元気あり*/

2016年8月13日(土) 近況_part2



<<追記20160813
私の小中学校時代は
個人が求める真偽も無く
他人をほっとくしか無かった。

私だけでも真偽を求める。
それが私の世間に負けない力である。

むろん大学院の二年間は
理論だったので観測値や実験値と合わせて理論が妥当か妥当でないかの研究をした。
それはそれで理論らしかったと思う。

いろんな考え方を持つべきでないとは言わないが
それが妥当か妥当でないかの判断が必要である。
それが不可能になると
大学の研究も出来なくなる。

それが小中学校では
判断が不可能だったのであんまり妥当か妥当でないか考える余地が無い。
そんな手前私だけでもまともでいようと思った。
今も同じ状態にいる。

私なりに妥当か妥当でないか責任を持ちたい。
それが私の使命だと思っている。
でないとみんなわけわからなくなる。
私はそれを最悪な状態だと思っている。

そういう意味で
小中学校は何を学んでいるのかわからない状態である。
何のために授業やっているのか皆目見当がつかない。
それが私の小中学校時代だった。

そんなのに負けたくない。それが私の本音である。
<<追記20160813end

とりとめのない趣味の小話3


2016年8月14日(日) 近況_part2



<<追記20160814
アイデンティティとは自分を自分として確認する事そして
普遍性は項目別のそれぞれの共通性と
私が思っている。
アイデンティティと普遍性が両立するには
アイデンティティには
毎回同じものと変化するものがなければ
普遍性が成り立たない気がする。
アイデンティティが変化して自分を認識する事もあれば
同じものだから自分を認識するとすれば
そこには変化にも同じものにも普遍性が存在出来る気がする。

私的には普遍性の無いアイデンティティなんてあるのか信じられない。
それこそ人間を神格化している気がする。
両方同じものも変化するものもなければ
私としてはアイデンティティと普遍性は両立しない気がした。

それでこそ人間は生物であり動物であり哺乳類であり霊長類である気がする。
<<追記20160814end

最近の話

とりとめのない趣味の小話3

<<追伸20160814
みんな同じという人に
みんな人間違うで話をまとめたいのは私にもわかる。
だけどそんな無責任でいいのかと私は思う。
その場しのぎにしかならない。

私自身そんなに性格が違わなくても生きていける。
特殊な人に特殊の話をするのも何となくわかるけど
そんな自然界な気が私にしない。
もっとサバサバと生きれるようにした方がいいと思う。
なのにみんなややこしくなっている。
人間はもっと簡単に生きれるそう言う人間になって欲しい。
それをややこしくするのは私は嫌いである。
特殊な人はどこまでも特殊である。

それを物理の世界でも排除しようと世界を守っているような気がする。
福岡の一般公開の質問で私は感じた。

それがこの世の現実のように思う。
それをありのままに私は表現している。
私なりにしょうがないから私は私で表現するだけである。
あんまりややこしい話をするのは世界が混乱するだけである。
それが日本にとっていい気がしない。

それが私の今のところの心配である。
<<追伸20160814end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月15日(月) 雑記



<<追記20160815
人生数学の問題考えたら
すっととけたらすっといく。
電車の中で院試の数学の問題やっている大学生がいた。
結構考えてた。
人間の人生を感じた。
今日も数学の本読もうかと思った。
数学を追っていると発想が必要なのがわかる。
それを自分自身で見つけるのはなかなか難しい。
結局慣れるまで追うというのが私の物理学的スタイルである。
だけど今日の電車の人は色々メモって考えてた。
だから人生色々である。何が正解なんか無い。
だから正義も同じ気がする。
言っとくけど私には正義が無い。
なのに他人の正義のせいで迷惑している。
他人が色々方針変えても
私はどうでもいい。
私は私で判断できればいい。

なのに他人の正義が何で私に関係あるのか理解できない。
全く関係が無い。
それなのに私を許せないのは正義のせいである。
正義なんてやめてしまえばいい。
数学の問題のようにいろんな方針があってもすっといけばすっといくのである。
全然ややこしくない。
それが私の人生論である。
<<追記20160815end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月16日(火) 雑記



<<追記20160816
最近また書き込みを続けてしまった。
何かことあるごとに文句言いたくなる心境になる。
それなりに勉強して仕事して生活するでいい。
それがややこしい話ではない。
あとは努力するだけである。
どう努力するかも本人次第である。
材料はそろっている。
私としてはやるだけやって表現した。

それで何で私が関係あんのか理解不能である。
ただの迷惑でしかない。
どうにでも判断すればいい。

私は正直ラクになりたい。
今まで苦しいだけである。
何で正義のために私が非難されなければいけないのか理解不能である。
そんな正義いらない。
そして私は正義を持ち合わせていない。
そんなために何で私が苦労せなああかんのか理解不能である。
そんなに他人の正義が必要なのか理解に苦しむ。
そういうのをふざけた正義というんだと思う。
ただ他人は努力すればいいだけである。
正義じゃ無い努力である。

それで何でややこしい話になるのか理解不能である。
そんな日本でいいのか理解に苦しむ。
総理大臣がまとめるような状況で無い。
ほとんどまともな話になっていない。
真実は他にある話になっている。

そんなんで日本はまとまるのか心配でならない。

中国語も漢字をたくさん覚えないと日記が書けないらしい。
だから頭のいい人しか日記書けないらしい。
漢詩もそれなりに漢字を知っていないといけない。
私が漢詩に近づき難いのも私だけでは無いらしい。
日本の日記や随筆の多さを考えたら
私も少しは日本人なのかなと思った。

そんなこんなで共通認識を持つというのが
日本の問題のように思う。
それなのに私含めて迷惑な話である。
もういい加減にこの辺でやめたい。

大体の事は実現する。
それなのに共通認識が持てないのは
悲しい話である。他人が実現しないのは私の問題では無い。
なぜなら私にも限界がある。
ほとんど本人の問題である。
そこまでやったのに共通認識が不可能になっている。
これは大学レベルで無いと不可能なのかと思ったりしてしまう。
そんなんでいいのか私は無抵抗である。
<<追記20160816end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月17日(水) 雑記_part2



<<追記20160817
大阪の島本町より高槻市の方が教育がいいとか先生は言ってたが
島本町の方が
他人をどうのこうの言うより自分の任務を遂行する事の大事を知っていた。
だから
私自身あんまり他人の話をするのは好きで無い。
自分の役割を果たす方のが私にとって大事なのである。
それが高槻の奴には全くそれが無かった。
決定的に民主主義じゃあ無い。
本当にめちゃくちゃである。
これのどこが教育に成功しているのか私には理解出来ない。
私が私の事やるのに誰も気づいていない。
これこそが教育の失敗である。
最低ランクの教育である。
他人が勝手にして私がやる事も気づいていない。
もう個人主義の最たるものである。
他人もやる事やって私がやる事も知る。
そうじゃあないとつり合いとれない。
ひたすら私が私の事やっているだけである。
そんなの一人で生きているのと同じである。
それを教育の失敗と言う。
<<追記20160817end

とりとめのない趣味の小話3

<<追伸20160817
全く色々参る。比較しないと自分がわからないのは
自分がする事を知らないだけである。
そんなの根性無いだけでしょう。何で比較せなあ自分がわからないのか理解に苦しむ。
他人と自分を比較せなあ生きていけないなんて
そんな甘っちょろい話無い。
そんな教育間違っている。
どうしてそんな状態で私が駆り出されて比較され
苦しむ必要があるのか想像して欲しい。
神様も許さない気が私にする。どうしてこれが共通認識にならないのか狂気の沙汰である。
<<追伸20160817end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月18日(木) 雑記



<<追記20160818
どうして努力しないのかの方が気になる。
努力に何で他人が必要なのかわからない。
自分で工夫して自分で努力して自分のものを作ればいい。
それで何で他人が許せないのか理解に苦しむ。
そんなの他人のひとりよがりである。

何でそこまでして他人が出てくるのか私には理解不能である。
そんな努力が出来なくて何で他人を批判するのか私にはわからない。

そして一言勉強にやりすぎはない。
徹底的にやればいい。
勉強もせず他人の批判することはやりすぎである。
何のために学校に行っているのか聞きたいぐらいである。
勉強のために学校に行っているのである。
そして勉強にやりすぎはない。
他人の批判はやりすぎである。
そんな暇があったら勉強すべきである。
学校卒業しても勉強すべきである。

そうやって努力して勉強もせず他人を批判するなんて人間のする事ではない。
<<追記20160818end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月19日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016…  


---> 我ながら心の里はどこかかなさまよいながらあてもない旅 行有 
---> ありがたく課題をこなし今がありやるべき事は山のようなり 行有 
---> 期待して鮎の塩焼き待ちわびるふくらむものは幸せかしら 行有 
---> 八丁池の夢のような一日振り返るなら家の中かな 行有 
---> 帰宅中暑さに負けて読書あり未来おもえばラクは出来無い 行有 
---> まとまらぬ先行く未来おもえどもやるべき事は山のようなり 行有 
---> ゆっくりと盆休みあり読書から計画立てて幸せかしら 行有 
---> ありがたく健康のある盆休みむかえるものは一息かしら 行有 
---> 盆ありておもいおもいの時間あり力にかえて気合をかける 行有 
---> ラーメンのチャーシュー五枚頂いてとろけるように満足してる 行有 


/*夕立で*/
/*父と二人で*/
/*雨宿り*/
/*何がご縁か*/
/*神のみぞ知る*/


<<追記20160819
今日は混乱して仕事が難しかった。
それでも仕事になってたらいいなあと思う。
一応最善は尽くした。
私は社会と戦っても勝てない。
いずれは負ける。
それでも最善を求めるのは一般社会人だからだろうと思う。
そんな事を求められる状況が無いのにほとんど無償の愛である。
結果は全然評価されていない。
それこそが無償の愛である。
それでも最善を選んでいる。
今日も混乱した割に何とかなるだろうと思っている。
そんな人生を選べない人に何言ってもしょうがない。
それが私の本音である。
なのに私の事に話をはさむのは迷惑としか思えない。
ほとんど私の問題では無いように思う。
本人の問題である。
それなりに最善が選べない。それが問題である。
それを私がどうしたらいいのか理解不能である。
ほとんど学校の先生が悪い。
自分の後始末ぐらい学校の先生として模範を示すべきである。
何で私が模範を示す必要があるのか立場が逆転している。
<<追記20160819end

とりとめのない趣味の小話3

2016年8月20日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 涼しさにいやされながら進むかな 行有 
---> 夏富士に空気いっぱい拝むかな 行有 
---> 登山後にジンギスカンはご満悦 行有 
---> 見上げたら入道雲がもの申す 行有 
---> 万緑の全盛期からとおるかな 行有 
---> ヒマワリがすくすく育つ鏡かな 行有 
---> 八丁池の涼しさに救われる 行有 
---> 夏の果八丁池にあらわれる 行有 
---> 朝食にならぶトマトに元気かな 行有 


/*元気ある*/
/*蛙ぴょこぴょこ*/
/*みぴょこぴょこ*/


英語の掲示板ドイツ語の掲示板フランス語の掲示板に追記した。

2016年8月20日(土) 近況



<<追記20160820
第三次計画に移る。
もういい加減これでいいだろと言うのが実感である。
何か同じことを繰り返している気もする。

あんまり私を引っ張り出さないで欲しい。
短歌と俳句と登山やウォーキングと外国語ぐらいで書き込みを減らしたい。

最近は数学書読めるようになっている。
今日は「オイラーの賜物」を読み終えた。
その後、複素関数論や物理数学や機械学習やテストや群論探して何やろうかと
少しナナメ読みした。
有力なのが複素関数論と群論である。
テストもちょっと気になる。因子でテストケースを選ぶのが気になる。

機械学習は何か少しAIとしての精度があんまりあるように思えない。
そんなこんなで順番が後ろになっている気がする。

平日は
会計とか古典の話とか科学史とか哲学とかになっている。

今の所私は将来何がやりたいのかが気になっている。
今までやりたい事をやってきて次のやりたい事探している。

未だ消化すべき事はたくさんあるがそれも時間の問題である。
ボチボチやりたい。
<<追記20160820end

とりとめのない趣味の小話4

2016年8月21日(日) 近況



<<追記20160821
明日台風が来るみたいである。
もしかしたら有休とるかもしれない。
朝に判断しようと思っている。

今日は二年前に自分の作った名刺見て
しびれてた。

日本の柿本人麻呂とか日本の松尾芭蕉とか
日本のソクラテスとか人類史上初の日本の物理学者とか
過去を振り返ると本当にウソみたいである。

それぐらい良くやっている。
ほめていい。

それを他人が認めなくても私が認める。
他人が許せなくても私が許す。
これを社会が認識出来なくても私が認識する。
失われた20年が何だというような勢いである。

後はどうでもいい。
全く天才ガロアのような気持である。
十字架をかつぐイエスのような気分である。

なるようになるだろうと思う。
当面は読書したいのが課題である。
やっぱり読書が基本である。

そんな人に社会が冷たい。
それが社会なんだろうと思う。
社会には参る。本当にこれで機能しているのか不思議である。
誰も信じられない。それが日本社会である。
誰がこの世を救えるのか知らない。
本当に混沌としている。
それが日本の実態である。
カオスすらなっていない。カオスとは準周期的な事である。

まあ私は高みの見物である。
そんな事より
次のやる事である。
ボチボチやりたい。
<<追記20160821end

とりとめのない趣味の小話4

2016年8月22日(月) 雑記



<<追記20160822
台風が来て一日家にいた。
家ではテレビつけて読書が中心だった。

ナンダカンダと元気になっている気もする。
少し本棚から本を探した。
だからと言って目標があるわけでもなく言ってみれば野心的かもしれない。
それがいいのかわからない。
何となく数学で閉じててもいい気がする。
私に何かわかりたい感じがある。
それが私を動かしている。

何はともあれ前向きになっているんだろうと思う。
どうなるかわからんが
少しずつの満足求めてボチボチやりたい。

それと第三次計画今日からスタートです。
それなりのフェイドアウト求めてます。
それでこそ好きな事やれる気がしてます。
正直好きな事やって暮らしたい。だからなるだけフェイドアウトします。
ファイト!!!フェイドアウト!!!
<<追記20160822end

とりとめのない趣味の小話4

2016年8月26日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 話して気持ちの整理おさまらず考えまくる人間かしら 行有 
---> 話から相手にならぬ常識を小中高と経てきた私 行有 
---> 盆休みやる事やれば仕事なりいつもと同じ時が流れる 行有 
---> 夕方に妹無事にやってきたらそれはそれでも盆たけなわ 行有 
---> シャギリから大社の祭りねり歩くおもいおもいの汗もありつつ 行有 
---> 読書から暑さ乗り切る我が身ありくり返されてのぞむものかな 行有 
---> たそがれる仕事帰りの電車かなやりたい事もまだまだあるさ 行有 
---> 仕事あり健康でいるありがたさかみしめながら課題をおもう 行有 
---> 迷惑に文句タラタラ続いてて休まるものは体操かしら 行有 
---> 仕事にもストレスたまる人生にラクになりたいおもいは募る 行有 


/*八月の*/
/*下旬に至り*/
/*情けない*/
/*もめる男女が*/
/*ボスモンスター*/

2016年8月27日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 秋立ちて元気あるならあと一歩 行有 
---> 夏惜しみ一息入れて読書かな 行有 
---> 夏終わり展開読めず走り出す 行有 
---> 夕食後ナシを味わう愛かしら 行有 
---> 夏が行き読みたい本が目白押し 行有 
---> ゆく夏に願いを込めて走り出す 行有 
---> 七夕に夜空眺めて願うかな 行有 
---> 満天に姿あらわす花火かな 行有 
---> 敗戦の哲学あれば憂い無し 行有 


/*残暑あり*/
/*思い出残す*/
/*私あり*/

2016年8月28日(日) 近況_part4



<<追記20160828
「ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人 (講談社+α新書) 新書 – 」

今日はこの本を少しナナメ読みした。
職場や学校や近所などの付き合いについて書かれてて
自分の「自立」や「自由」に関する問題であると言ってて
「他人の不幸は蜜の味」はヒドクなれば依存症らしい。
それが快感となって悪循環にはまって繰り返し
いわゆるイジメとか攻撃の原因のようである。

そして人間の生存競争として自分の「自立」と「自由」を
勝ち取って
今現時点で現代の人間が生き残っている意味を述べてこの本は終わっている。

ともあれ
ゆがんだ正義を本当にゆがんでいるのか確認した方がいい。
あんまり攻撃したりいじめたりした本人も罪意識無くあんまり正確に自己認識していない。
そんななかで自分は「自立」と「自由」を勝ち取らなければいけない。

そんな相手を相手しているという事に気づかなければいけない。
何も考えていない奴を相手にしているんだと考えなければいけない。
そうしたらもっと自分を大切に出来る気がした。
依存症相手に
私的にはそれが生存競争のコツらしい。

多分偉そうな集団行動の全能感の依存症相手に
私自身もとんでもないものに相手している気がした。
バカバカしい話である。
<<追記20160828end

本の紹介


<<追伸20160828
物理の話とか浮かんできたけど
時代にまかせていいかなと思う。
人間らしい生き方をするのが私の目標である。
理想は波状攻撃である。
私は一つの震源であればいい。
何も私が違う震源をねらう必要も無い。
それなりに一つの方向性が出た気がする。
それでいいじゃあないかというのが私の持論である。
ボチボチやりたい。
<<追伸20160828

とりとめのない趣味の小話4

2016年8月29日(月) 雑記



<<追記20160829
会話が通じ無いほどにして
何か世の中良くなるのか理解出来ない。
会話がかみ合わない。
それが小中高の限界だった。
こうすればこうなるという話を否定して
自分の利益を優先する。
人生自分の利益より未来にかけて勉強したり仕事したりしているのにである。
ここまでくると地獄絵図である。
最後にこうすればこうなるという話をどうして否定するのか
考えて頂きたい。
私としてはそれで済ませて勝手にしてくださいしか申し上げられない。
それが世間なのである。
本当めちゃくちゃである。
そんなにめちゃくちゃにして世の中これでいいんかいと文句タラタラである。
何のために勉強しているのか私には理解不能である。

あとは私には全く関係の無い話である。
いろいろ叫んでもののしっても私は知らない。
幻聴があると私としては無視したいし他のこと考えていたい。
それをさせない他人が悪い。
もうすでに無視で十分である。
救いようが無いとはこういう事である。

これから再度フェイドアウトを試みようと思う。
<<追記20160829end

とりとめのない趣味の小話4


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Akiary v.0.61