散歩みち

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2014年9月1日(月) 雑記



今日は「みちしる沼津」で仕事した。
電車の中でドイツ語と英語とザ・ゴールを読んだ。
ボトルネックの話が出てきて
ボトルネックの生産を需要に合わせて
最適化した生産を目指すというものだった。
なかなかプログラムの世界でも難しい気もする。

それに技術革新して
時代とともについていかなければならない。
そういう言い方自体が先細りであり
常に企業努力しなければいけない。
何が自分たちに利益をもたらし不利益をもたらすか
そういう視点でも長期でも短期でも違ってくる。
そして予定通りにはなかなかいかない。
同じ事を繰り返す。
そういったケースは本当に商品が売れる時のような気がする。
そういう意味では大量生産する時こそが
ザ・ゴールの真骨頂のように思える。

まだ残りと続編がある。
ボチボチやりたい。

2014年9月2日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
今日も電車の中でドイツ語と英語と小説とザ・ゴールを読んだ。
まだまだ読みたい本がたくさんある。
気になり出したら何でか、たまっていく。

ザ・ゴールは
今度は非ボトルネックで在庫をかかえてしまい。
生産スピードを需要を満たすボトルネックから割り出し
各工程ごとに割り出したスピードで生産する所である。
要するにみんな効率良いテンポで在庫をかかえず需要も満たない生産にもならない適度な生産を目指している。

あんまり労働時間の60%ぐらいで働くとか
100%で働くだけが労働ではないと言っている。
まあ私には技術スキルをアップするだけの労働時間を費やしたい方である。

何でこの日本は有意義な時間を使えないのか本当に疑問だったので
苦笑する部分であった。
私もボチボチやりたい。

2014年9月3日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
ザ・ゴールを電車の中で本読んだ。
今度はバッチサイズを半分の半分にまで小さくして
生産量が増えた話だった。
それで納期に間に合わせるオーダーを獲得した話になって
無事納期に間に合った。
バッチサイズを小さくする事で作業効率がアップし
各作業員のアイドル状態が減った。
ちなみにバッチサイズとは一度に作る作業量のようなものらしい。
普通歯磨き粉なら一本の量で作るのではなく
例えば100kgごとに歯磨き粉をつくる。
その100kgがバッチサイズらしい。

これまで本読んでて作業現場のスキルとか商品価値とかあんまりにも
簡単に話を進め過ぎている気もしたりする。
そんなに魅力ある商品を送り届けるのは生産技術だけど
そこにいたるまでが大変な気がする。

まだ本は60%ぐらいで続編もある。
ボチボチやりたい。

今日は俳句を六句短歌を一首考えた。
ちょっと睡眠時間も短くなって頭も疲れやすくなっているように思う。
でも楽しく毎日を送る。そんな事が出来ているように思う。

一つ疑問なのは
私の文章能力はどうやって出来たかである。
多分高校受験の英語が出来たから多分中学生の時には形成されてたような気がする。
私は当時を振り返って見れば
もっと文章を作るべきだったような気がする。
でも英語を書けたというのは私にそれなりの文章が書けたからだと思う。
私の気持ちを文章にする能力がその中学時代にはもうあった。
それはなぜか私にはあんまりピンとこない。
私自身本音でいきてたぐらいしか思いつかない。

まあ宿題にしてゆっくり考えたい。

2014年9月4日(木) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
そろそろドイツ語の作文でもしたい気になってきた。
ザ・ゴールも少し読んだ。
主人公が昇進して何かまた違う次元で仕事を始めそうな所である。

人間違う時間をみんなに割り当てられている。
私にしかない時間を私が使っている。
学生時代に受験勉強にあけくれた人生とはほんの少し違う人生を私は送ってきた。
それが文章にあらわれているのと違うかと思ったりした。
他人の何かとてつもない勉強と私は他人と違っている。
そんな気がした。
私には本を読み。文章を書く時間があった。
人に訴えたい気持ちを文章にした。
そういう時間が私にあったのが今も幸いしているのではないかそう思ったりする。
そんな時間も無く時間に追われた他人との決定的な違いは
私の文章にあらわれているのではないかそう思ったりする。
私の文章には気持ちがある。
それが如実に決定的に違っている。
そして論理的に説明しようと努力してきた。
そういう意味であの当時から世界に訴えたかったのではないかそう思ったりする。

もうそろそろ
勉強はじっくりやるものではないだろうか
何も大学受験に熱心にならんでも勉強はできる。
そういう事が私の件だけでも如実にあらわしていると思わざるおえない。

文章<--昨日と今日を追記

2014年9月5日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> かからずも先行く未来知らませば然にはあらじか見せましものを 行有 
---> 数学と英語があればどこまでも行く先々でうまくいくはず 行有 
---> 本あればまだまだ続く話こそいつにもまして憂うもの無し 行有 
---> もめるほど男の敵はいい加減女の敵もいい加減かな 行有 
---> 健康で元気あるならいいのにな我が境遇にこたえるものを 行有 
---> 心こそ深まるほどにいきているなるようになれ流れるままに 行有 
---> 心から私に何が出来るかなただそれだけに月日流れる 行有 
---> いつまでもやる事あればのぞみかなあんなことにもこんなことにも 行有 
---> おもむろに気の向くままの休みありなるようになれ信じてやまず 行有 
---> テレビ見て頭の中は疲れてるたいした事はしていないのに 行有 

/*気分すぐれて*/
/*夜長かな*/
/*新涼ありて*/
/*残暑ももう少し*/
/*明日は俳句*/


花のある生活に「文章」を追加した。

2014年9月6日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 満天のいろどる空は星月夜 行有 
---> 我々の場所を求めて天の川 行有 
---> 流星や願いを込めてうれしいな 行有 
---> 台風の天気うかがい一休み 行有 
---> 我知れず秋めくきざし探してる 行有 
---> 月夜から流るる時が長いかな 行有 
---> 初秋のたよりはどこか探してる 行有 
---> まぎれこむビルの谷間に秋の蝉 行有 
---> 気づいてる家の外から虫時雨 行有 


/*一歩一歩*/
/*気分すぐれて*/
/*ボチボチです*/

2014年9月6日(土) 近況



今日も昼間一時間歩いて
昼食後
水神さんと図書館行ってきた。

何気にあんまり何もしたくない気もする。
でも最低短歌二首ぐらい考えようかと思っている。

バッハとかモーツアルトとかの音楽聞いてたりしている。

昨日書評の掲示板に書き込んだ。
英語の掲示板に英語を書き込んだ。
ボチボチやりたい。

2014年9月7日(日) 近況



今日も昼間一時間歩いた。
積水ハウスと墓参りした。
午後雨降ったが
何とか用をたした。

午前中ちょっと読書したり短歌一首作った。
ここんところ
頑張りすぎかなと思ったりする。
出来るだけ気長にやりたいのだが
ペースが上がってしまう。
そしてバテバテでいつものパターンである。

土日ぐらい気分転換したい。
何はともあれボチボチやりたい。

2014年9月8日(月) 雑記_part3



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
昨日「ザ・ゴール」を読み終え「ザ・ゴール2」を読んでいる。
マネジメントの思考プロセスの所で
制約条件を見つけ活用しから飛躍し、
何を変えるのか何に変えるのかどうやって変えるのかになり
変える事がマネジメントだと言っていた。
第二巻は主人公が副社長になっていて
副題が思考プロセスになっているので
マネジメントの話が読めるみたいである。

小説は伊坂幸太郎「モダンタイムス下」を6%進んでいる所である。
夕食後井上ひさしの戯曲と数学の本を二週間で読み終えるつもりでいる。
まだ
読みたい小説とかビデオのテレビとかある。
ナンダカンダと一日が過ぎる。

仕事で体動かし家に帰っては本読んで
健康的な気はする。
それでマネージメントが私に出来るのか面白い所ではある。
結果は残せるけどどういうのがマネージメントかボチボチやりたい。

2014年9月9日(火) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車の中で「ザ・ゴール2」と「モダンタイムス下」をそれぞれ10%ぐらいに達した。
まあ私の人生で話が通じない人がいた。
幻聴も同じである。
そういう意味であきらめ気分である。
わかる人にわかればいいだけで
わからん人までわかる必要は無い。

そんな所で本当に民主主義が成熟しているとは当然思えない。
自分勝手に社会が成り立っている。
そんな日本のために尽くしてきたかと思うと情けない気分である。
まあ私なりの愛が無かったらここまでこなかっただろう。
それも無償の愛である。
そんな奴日本全国探しても私一人である。
それなのに未だに幻聴が聞こえる。
何の権利があって許されるのか理解出来ない。
それも日本の情けなさである。
みんな自分勝手にいきているのに
私だけ出るくいは打たれる状態である。
そんな幻聴なんてストレスにしかならない。
馬鹿の話はどこまでも馬鹿である。

そんな事も理解出来ないエリートもエリートである。
会話として成り立っていないからもう助ける余地無い。
それを必死で何とかしようとしているあたりが救われない。
その幻聴がマネージメント何て言うなら
私は最悪な気分である。

せめて私がマネージメントするなら
うれしくなるような楽しくなるような物事に深みを増すリードをする。
私の幻聴は単純馬鹿でストレスで悲しい。
そんなマネージメントをマネージメントと言うのか理解出来ない。
それが日本の現状であると私は認識している。

同上

今日も短歌をいくつか考えた。
何となく短歌もかわりつつある。
自分では難解になったような気もする。
うまくやってるが意図が伝わるかは読み手にかかっているような感じがしている。
そういう意味で複雑化している気もする。

あくまでいつもよりはそう感じているところで
言い得て妙な感じが私なりにそう思ったりしている。

少しずつ変化している。
ボチボチやりたい。

2014年9月10日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車の中で「ザ・ゴール2」と「モダンタイムス下」をそれぞれ20%ぐらいに達した。
私は勉強を転がしてく、そういう機会があれば
自然に面白くなっていく。
私ならそういうマネージメントをしたい。
他人が面白いからと言って私は私で面白ければいい。
短歌やっていると
古語を作りたくなってくる。
そうすれば古語を理解出来るだろうと正直思う。
丁寧語だって謙譲語だってそうだろうと思う。
果たしてそこまでやっている日本人がどこまでいるのか
私の周りにはそんな奴いない。
試験だけでは語れない世界がそこにはあるように思う。
以外と奥深い世界までやっている人がいない。
それと目的さえ明確ならばそれはそれで面白いそう思う。

みんな試験にあけくれて楽をし過ぎである。
もっとドライブしなきゃ面白く無い。
そんな世間がすけてみえる。

何かちょっと謙譲語のホームページ見てた。
日頃あんまり使わないなあと思ったりして
そういう意味で古語も使う必要も無い気がして

そんな中で試験に明け暮れてる。
人生そんなもんかなあと思う。
もうちょっと夢のある人間にならんと難しい。そう思った。

ドライブ

2014年9月11日(木) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
「ザ・ゴール2」と「モダンタイムス下」をそれぞれ30%ぐらいに達した。
女の幻聴に悩まされている。
私は他人の感情を知って情緒不安定になる。
他人の感情を受けつけない大人がうらやましい。
それもアホとかバカの感情だから
気分は最悪である。
よっぽど私だけの感情の方が楽である。
私の中で他人が介在している。
そんな事が生物的にありえるのか私には理解出来ない。

催眠術とかでとっさに
非日常な事をやってしまう。

ある事ない事並べて私のせいにするのもどうかと思う。
女がいろいろ私について言ったって
私には全く関係の無い話である。

それが文明の力でうやむやになっている。
そんなバカな話あるのか私には理解できない。
動物としての尊厳なんて介在しない。
まるで神であるかのごとく愚かである。

私にとってそんな事するひまあったら
少年少女にアドバイスする事である。

私にとって幻聴は無意味極まりない。
あるとかないとか何の人類の貢献にもならない。

それよりもっと未来ある若者を
立派な大人にする事である。

私にとって暇な女の時間をかえしてくれと言いたい。
そんなの何の役にも立たない。

私の事何かより今の若者が
立派になる方がよっぽど大事だと思う。

それを暇な女の満足のために
私をかりだすなんて無駄にしかならない。

私はそんな状況を健全だとは思わない。
そんな事より
第二第三の若者が立派になる事である。

同上

今日もあわただしく
一日が過ぎた。
今ようやく落ち着いた所である。
私の生活のバッチサイズを小さくする方がいいかもしれない。
とりあえずボチボチやりたい。

2014年9月12日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 納期こそ仕事のために必要であると言われて俗世間かな 行有 
---> くだらない話が続くストレスはいきているのが嫌になるほど 行有 
---> ありふれた元気でいれる毎日はかけがえのないうれしさ募る 行有 
---> 意味の無いメールが来てはたまらないそれもたくさん処理しきれない 行有 
---> 着々と段階経てはうれしいななるようになるここまで来れば 行有 
---> これまでの我が身照らして考えるおもいもよらぬ影響受けて 行有 
---> 繰り返しみんなこたえる朝かしら我が身に問えば元気あるかな 行有 
---> 楽しんで運転すればうまくいく気づかぬほどに神妙なりて 行有 
---> みのりあるものあふれ出す今がある人が問うまで気づかぬうちに 行有 
---> 横になりおもいおもいの休みかなみのりあるもの人が問うまで 行有 


/*募るおもいに*/
/*秋の夜*/
/*穏やかにして*/
/*物事進む*/
/*明日は俳句*/

花のある生活に「私と若者の未来」追記する。


2014年9月13日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 秋扇忘れゆくなら本望よ 行有 
---> 朝食に林檎が並ぶ愛かしら 行有 
---> あまかったブドウが届く愛かしら 行有 
---> そろそろのつくつくぼうしまだ聞かぬ 行有 
---> 惜しまれるいつの間にやら九月かな 行有 
---> 夜なべこそこころゆくまで精が出る 行有 
---> 秋の雨心はどこかめぐまれる 行有 
---> 塩味の枝豆ゆでてうれしいな 行有 
---> 秋浅く高まるほどに期待かな 行有 


/*人知れず*/
/*どこもかしこも*/
/*ボチボチでんな*/

2014年9月13日(土) 雑記_part2



今日も昼間親戚の家まで
一時間歩いた。
家に帰って英語の掲示板に英作文を作った。
最近読書量が増えて
お疲れ気味である。
体は大丈夫だけど頭が疲れている。

最近の私の書き込みだと
エリートに上まわれるのは
国語力かもしれない。
テストばっかしやっている連中とたたかえれるのは
国語である。
彼らの時間の使い方を考えるに
そんな時間は持てない。
圧倒的な国語力を持てば太刀打ち出来る。
美文を作れば作るほど
彼らはどうしようもない。
右往左往するしかない。

それを私は地でいっているのかもしれない。
私は勉強方法は知っているが
その勉強に時間は使っていない。
別な時間を使っている。
それが決定的に違っている。
くだらない競争している暇あったら
もっと特異な時間を使った方がいいかもしれない。

対エリート

ドイツ語の掲示板に作文を作った。
ドイツ語はまだ時間がかかりそうである。
じっくりやりたい。
最低自分の持っているテキストを読めるようになりたいと思っている。
結構外国語って気分転換にはなる。
ボチボチやりたい。

2014年9月14日(日) 近況



今日は昼間一時間歩いた。
家に帰って
ドイツ語のテキスト読んで今休憩している。

アインシュタインが相対論を発表してから30年
それに次ぐ研究ができなかったとか
ドラマでやってたらしい。

アメリカの一般ピープルの案で
アインシュタインは重力レンズを計算した。
それをアインシュタインクロスとかアインシュタインリングとか言われている。
実際当時はそんなものがあるのか
証明できなかった。
でも今では存在していることがわかっている。
もしかしたら
それでノーベル賞をとってもおかしくないだろう。

そんな事を言い出したら
アインシュタインの重力方程式は
いろんな現象を証明する。
ブラックホールだってそうだ。
だからアインシュタインの30年の重みは
そう簡単でない。
ボーアとアインシュタイン論争もあるし
今と過去では全然違って見える。

私は
金は地球で生成されているのではないか
そう疑ってしまう。
それが証明できないのでただの憶測である。

スティーブン・ジョブスの
ハングリーであれ、おろかであれ。
に吸い込まれそうである。

アインシュタインもいろいろ予言みたいな事を
残しているらしい。
インドの物理学者のノーベル賞が
アインシュタインの実証だったらしい記事を読んだことがある気がする。

私は
金の生成がもし地球で起こっていたら
今世紀も物理の時代な気がする。

同上

2014年9月15日(月) 近況



今日も昼間一時間歩いた。
昨日と今日はドイツ語のテキスト読んだ。
テキストはだいぶ慣れてきたけど
もうひと押し必要である。
英語もドイツ語も単語が難問である。
結構たくさんの単語が英語にもドイツ語にもある。
そういう意味では日本語も同じである。
国語辞典とか使うのは
それだけ日本語にふれているという事だと思う。

短歌を一首作った。
戯曲を20ページほど進み
数学の本を数ページ読んだ。

昼寝しようかと思ったけど
出来なかった。
結構頭は疲れている。
何だろね。疲れすぎるとかえって寝れない。
登山の時も本を読んだ時も頭がさえちゃって寝れない。
今日の夜までには寝れるように
音楽聞いたりビデオ見たりして横になっていようと思っている。

ボチボチやりたい。

2014年9月15日(月) 立花隆の臨死体験



私もひとごとに思えなかった。
私の幻聴や催眠術の電磁波は
結局わからずじまい何だと思った。
一体今も何がやりたくてこんな事をやっているのか理解に苦しむ。

多分私の幻聴が私自身で無視出来るまでやるつもりなのだろうか?
そんなの内容によりけり。
そしてそんな内容は個人差が大き過ぎる。

いい加減あきらめて欲しいのだが
誰に言えばいいのかもわからない。
そんなのフェアじゃあ無い。
ちゃんと顔出して話出来ないのか理解出来ない。
そして私の身のまわりで起こる事は何にも説明してくれない。
それじゃあ私は永遠にあやしい人間である。

それで基本的人権や生存権や知る権利が担保されている気がしない。
一体何がやりたいのかそれもわからない。

ただ昨日の話だと
全然解明出来ていないようだという事がわかった。
こんな苦労してまで何もわかっていないなんて文句もあるし
がっかりした。
それでどういうおとしまえつけるのか全くよめない。
ただ母親の顔を思い出した。

あんまり生きていける自信が無い。
何にもこたえてくれない世の中でどうしたら生きていけるのか理解出来ない。
会社も大学も社会もそうである。
全く何仕事しても評価してくれない。

それで変な事は山のようにある。
不安で仕方ない。
そういう意味では立花隆の渾身のドキュメンタリーになってた気がする。
私も出来るだけそういう仕事をしたい。
そう思った。

2014年9月16日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
帰り際大場駅で散髪した。
「ザ・ゴール2」を50%まで読んだ。
思考プロセスを図にする事で
因果関係を明確化している最中である。
それもいろんな場面で主人公は使い始めている。
十分条件と必要条件を図にしている。
イコールはちなみに必要十分条件である。
理論→実験という科学のプロセスからすると妥当だろうとは思う。
理論≠(not⇄)実験だから原因と結果の法則とは理論と実験を言っている。
そう私は解釈している。
だからイコールの数学の証明(A=B)はA→BとA←Bを証明する事である。
これは私は高校の数学で習った。
あとは合同と相似と背理法と数学的帰納法が私の持っている証明方法である。
大学に入っても数学は難しさを増す。
級数展開、フーリエ級数、複素関数論、代数幾何、多重積分、偏微分、偏微分方程式、群論
そういう意味では
あんまり数学出来るとは言えない。
おもちゃのように使えるような自分になりたいとは思っている。
でもそんな数学を使う機会は無い。
データを級数化(関数化)したりフーリエ級数化(三角関数化)したりぐらいは出来ると思っている。
でもそんな機会も無い。
でもその関数化に意味があるかは
理論として導けるかである。そしてその理論は古い理論も近似して証明しなければならない。
そんな機会は結構難しい。
やっぱ大学にいないと仕事として成立しない気がする。
会社は当たり前の事をやってなんぼのような気がする。

「ザ・ゴール2」はそういう科学の基本だけど
理論と実験の世界とはまた違う世界である。
もっとテクニックを駆使しないと正解にならないような気もする。

ボチボチやりたい。

同上

花のある生活に追記した。

2014年9月17日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
「ザ・ゴール2」は70%ぐらいまで読んだ。
「モダンタイムス下」は60%ぐらいまで読んだ。
私は大学院修士課程で
ビッグバン元素合成の標準理論を学習しながら理論家として二年間過ごした。
大学の四年に場の量子論を学習した。
相対論の重力方程式のあたりは大学でも大学院でもやったような気もする。
ファイマングラフは大学院でやった。
サンマイクロシステムズのソラリスというunixを大学院で使った。
私なりに消化不良でunixを経験した。
それがものになるまで時間がかかった。
2000年3月に修士を修了し
2007年8月に入社した東芝テックの子会社でLinuxのPOSを開発して初めて役に立った。
2012年度の一年間かけてLinuxのいろいろ雑務をこなした。
2013年度9月に他にやりたい事も無かったので幻聴をどうにかしたかったので退社した。
まあシーケンス図書けそうだなあと思ったのであんまり未練は無かった。

大学四年には理論とは何ぞやという下地はあったように思う。
大学院で経験として良く頑張ったと思う。
昨日の書き込みをして
何か私も理論家だったんだなあとつくづくそう思った。
そういう意味で大学の振り返りとその後の苦悩がそのまま昨日の書き込みになった。

今となっては誰もそんな事聞いてくれる人いない。
ただのストレス発散で書き込んでいるような気もする。

それで何人かの若者が導かれるなら
それはそれで結構である。

私自身がどうにかならんかというのも結構な問題であり
どっちが大事か私にはピンとこない。

とりあえず
ボチボチやります。

2014年9月18日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
「モダンタイムス下」を読破した。
書評の掲示板に書き込んだ。
「ザ・ゴール2」は80%ぐらいまで読んだ。

本当はもっと本質にせまらなければいけないのだが
不可能である。
だから他人に翻弄される。
その他人の代表格がシステムである。
従って他人が正しいとも言えない。
そんななかで私はどうするのか問われ続けている。

私が妥当だと思う線を追及するしか
私に出来る最善手はない。
そういう努力をして初めて最善手が見える。
それを才能だとか運だとか言っても
私は自分の努力しか思い当たらない。

そういう意味で私はどう努力したらいいか書き込んできた。
私はそういう努力をし続けるだろうと思う。
それが私の本質である。

同上

2014年9月19日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> しのぶれどなりにけむかも知らませばなき母上に見せましものを 行有 
---> 横になり歌を作ればなごむかなこころゆくまでくつろぐままに 行有 
---> たまらない女の声に憂うかな普通でいたい不安をよそに 行有 
---> 声がするこの苦しさにへこたれるムダな時間が流れるままに 行有 
---> 帰り際心に浮かぶ元気かな心と体伴いながら 行有 
---> わびしさも移ろいながらさびしさも伴いながら歩むものかな 行有 
---> 人知れずおもいが募る道中にいつまで続く問いかけながら 行有 
---> 我知らず女の声にもてあますどうなる事か不安をよそに 行有 
---> 休みこそ羽根をのばして元気かなやる気出てくる心求めて 行有 
---> そのうちにおもいのたけが届くかなやる事やってここまで来れば 行有 


/*朝晩は*/
/*こころゆくまで*/
/*一息ついて*/
/*みのるかな*/
/*明日は俳句*/


書評の掲示板に二冊追加した。

2014年9月20日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014…


---> にこやかに父自慢のサンマかな 行有 
---> 心から夜長に進む読書かな 行有 
---> いつになく見上げる空は秋高し 行有 
---> 秋草やいつも通りにあとにする 行有 
---> はてしない見上げる空は秋の雲 行有 
---> みの虫や通り過ぎれば楽しいな 行有 
---> ひとときの鮭の塩焼きたいらげる 行有 
---> あらためて一息ついて秋半ば 行有 
---> 題目で心をしずめ墓参 行有 


/*秋を求めて*/
/*我ゆかん*/
/*心かな*/

2014年9月20日(土) 近況



今日も昼間一時間歩いて
図書館に行った。
午前中英語の掲示板に書き込んだ。
ドイツ語の掲示板にも書き込んだ。
水神さんの件で
ドイツ語の掲示板は今日の予定になってしまった。
明日行ってくる。

いくらなんでも説明しろと言われればしますけど
理解できるかまでは私にもわからない。
私にもわからないのに何で他人がわかるのかわからない。

そんな事する暇があったら
自分で何とかした方が早い。

それが出来ないのなら
もうあきらめた方がいい。

あきらめられないなら自分で何とかするしか方法がない。
それを私に頼られても困る。

自分で何にも出来ない人が
私を苦しめているそのようにしか聞こえない。
それにひきかえ
私は私のやる事をしてきた。
あとはやるだけである。
何で私なんかが関係あるのか理解できない。

困った人が私を困らせてるようにしか聞こえない。
そんな暇があったら
自分で解決しましょう。
私には自分で何とかするしか思い当たりません。

貧弱な人が貧弱な話して一体誰が幸せになるのか理解できない。
自分で心豊かにいきるしか
方法はありません。
私はそうやって努力しただけです。
今度はあなたがそう努力するしか方法がない。
私には何の関係もございません。

ただ幸せには幸せを呼ぶ力がある。
あなたに幸せがあるのかそういう問題があなたにあるように
私にもあるという事実だけが私を支えています。

私が出来る限りの事をするように
あなたも出来る限りの事をするしか方法がない。
それが私を支えるように
あなたはあなたを支えるしかない。
もう個々の問題でしかない。
そう私は思っています。

同上を追記した。

2014年9月21日(日) 近況



今日も昼間一時間歩いた。
水神さんと墓参りして帰った。

昨日は骨伝導で音が聞こえるビデオを見た。
何か超音波も骨伝導で聞こえるとかやってた。
何か悩ましい事にはならないか心配だった。
それにしても頭で考える自分の声は
私の頭でどうやって聞こえているんだろうと不思議に思った。
その自分の声が自分の意識なのではないかそう思ったりする。
だって自分で考えて声にするという事は
考えた末のプロセスな気がする。
それも頭の中で言葉にして考えているのだから
それが自我を意味しないかと思ったりする。

あんまり私の専門分野でもないので
やたらめったら言ってて好き放題言わせてもらった。
それが何を意味するのか私には判断出来ない。

私としてはもうこれ以上私の体を痛めつけないで欲しい。
ただそれだけである。
いきている気がしない。

まあ明日一日ボチボチやります。

2014年9月22日(月) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
ドイツ語と英語だけはやった。
生産技術と小説と戯曲と数学は未定である。

あんまり生きた気がしない。
それも父に物理的におかしい事は無いと言われて
普通にしている息子もどうかと思うが
それを平然という父親もいかがなものかと思う。

もっとそんな話するんだったら
最初から話を聞けよといいたい。
都合のいい時に都合のいいように言うのが父親らしい。

最近ベルトの位置が2段くらい小さくなっている。
そんな変化も父親は認識出来ない。
それで私に言いたい放題。
何かそれ間違っている。
そして物理的におかしく無いそうである。
2段小さくなっているのは物理的でないらしい。

もういい加減こんな低能な話につきあっている息子も息子である。
そんな科学どこに存在しているのか理解出来ない。
はっきりいって私の体はおかしい。
それを説明してくれる人がいない。
私には私の体の変化の説明こそが科学である。

同上

2014年9月23日(火) 今日のデッサン


昼間一時間歩いたあと
丁度何をしたらいいかわからなかったので
虎の絵をデッサンした。
あくまでデッサンで一旗あげる気はない。
そういう意味で短歌も俳句も同じである。
あとあともしかして役に立つ事を願ってはいる。
それがどんな形なのか私にも想像出来ない。




画像集

2014年9月23日(火) 近況



花のある生活数学と理論と証明
対偶を追加した。
物理も数学も本当はもっと細かい事書けそうである。
でも本人はめいいっぱい頑張ってるつもりです。
私なりに優先順位があってそれが間に合わないそんな感じです。
そんな事をして何になるのか
私にもわかりません。
ただいきるとはそういう事な気がします。

あらためて
ボチボチやりたいです。

2014年9月24日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
帰り際市役所とイトーヨカドーに寄った。
何か頭にずっと市役所の事があって
疲れてしまった。
無事に済んでほっとしている所である。
何かパソコンも処理がうまくいっていない。
こちらも根気勝負になっている。
アップデートしたり再起動したり
どうなる事やら。

ぼちぼちやりたい。

2014年9月25日(木) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
私は仕事で証拠を残す大事さも経験した。
その証拠もその仕事を忘れても記録として成り立つ証拠にするよう文章を詳しく書かされた。
指示された人からはその人の経験を聞かされ
もっと詳しく文章で証拠を残す必要にせまられた。
仕事を評価してくれないなら
自分で評価して証拠を残すぐらいな事をしないと
浮かばれない。
毎日どういう仕事したか記録する。
そして計画と展望を開く。
そういう意味で
仕事と証拠と評価はワンセットである。

同上

本日
何とかパソコンの処理は出来た。
ワードで電子書籍作れるみたいな事を親戚に言った。
私も売れそうな本を執筆すべきか脳裏によぎった。
画像をワードにはりつければ
写真集にもなるよなとは思えど
時代はそういう風になっている。
けれど
世の中金じゃあ無いと思ってしまう。
私は何がしたいかそれが私の気がかりな所である。
私の目的に合うそんな活動がしたい。

ボチボチやりたい。

2014年9月26日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014…


---> 何事も遊び心に火がつけば時を忘れておくゆかしいな 行有 
---> セーブして一日一歩いいきかせお馬が通る難しさかな 行有
---> おしよせる気力が起こり繰り返すうまくいくまで前よりもっと 行有 
---> 仕事ある元気を胸に歩むなりおしよせる波繰り返すかな 行有
---> ありがたくやる事やって寝れるかな待ち望む頃立ち上がるまで 行有 
---> 人知れず努める限り歩むかな何もしないでそうはならずや 行有
---> 苦しくて一心不乱歩むなりいつまで続く問いかけながら 行有 
---> 心から開放された休みかないろんな事がこころゆくまで 行有
---> 雑務こそ休みの日だがいそがしくおいたてられるたまらなさかな 行有 
---> 丁寧に一つ一つをすましてもいろんな事が山のようなり 行有


/*秋来たり*/
/*のどかな夜が*/
/*あるのなら*/
/*うれしいな*/
/*明日は俳句*/

2014年9月27日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014…


---> 元気かな深まるほどに秋の朝 行有 
---> ゆっくりとねむりについて秋の夜 行有 
---> 落ち着いて日々を送れば九月かな 行有
---> 穏やかに気合いが入る夜なべかな 行有 
---> 新涼こそ気持ちはどこかめでたけれ 行有 
---> とびはねるバッタを目にしうろたえる 行有
---> 夜の空耳をすませば虫の声 行有 
---> 秋雨やあなどるなかれたまらない 行有 
---> 秋草や見渡す心一休み 行有


/*一息ついて*/
/*秋きたる*/
/*ボチボチです*/

2014年9月27日(土) 今日のデッサン


昨日は画像集のプログラミングをして
15個ずつ表示するようにした。
エラー出力がわからなかったため
結局1時間以上費やした。
今日の午前中虎の絵をデッサンした。
図書館から借りた本でデッサンしているけど
段々選ぶのが難しくなっている。
ピカソの絵は何をあらわしているのか私自身とまどう。
それが私をデッサンにおもいとどまらせている。
本当は私の内面をあらわすデッサンにしたい。
それが何なのかそれが問題だ。





画像集

2014年9月27日(土) 雑記



今日も昼間一時間歩いた。
他人と違うと言ったら
「一日続く緊張感」ぐらいしか思いつかない。
そんなのは男にも女にもそういう人はいるだろう。
私はそういう人は好きな方である。
私も頑張ってみたくなる。
もしかしたら私はそういう緊張感が高いのかもしれない。
でも私自身そんなに緊張している実感がない。
普通にいろいろアンテナたててる。
もしかしたらそれが緊張感があるのかもしれない。
一点集中っていうより
分散している。
それが長続きのコツかもしれない。
やっぱり私が見てても
色々気を使ってアンテナのある緊張感のある人は
魅力的である。
そういう人と見つめ合って話が出来れば風情があるなあと私は思う。
どうせならそういう付き合いをしたい。

そういう意味では私も他人も同じな気がする。
私だけが例外ではない。
そう私は思っている。

同上

2014年9月28日(日) 雑記



今日は「さわやかウォーキング」で稲取駅から
ススキを見に行った。
結構な登りで疲れた。
伊東駅から家までは車で行った。
今日も良く寝れそうである。
それにしても
未だに意味不明な女の声がする。
一体それが何の活動になるのか理解出来ない。
他人の話するにしても内容が乏しい。
それで面白く聞こえない。
いい加減私は面白い話がしたい。
とどのつまり中身がともなっていないそう私は言いたい。
女の感情のキフクがはげしいだけで
私には何の効果にもなってない。
一体いつまでこんなくだらない事を続けるのか理解出来ない。
風情なんて感じられない。疲れる感情かざして私に訴えるのは間違っている。
私の頑張る主体性は感情のキフクで出来ていない。

まあ明日からまた仕事である。
仕事のために朝も起きれるし仕事が一日のリズムにもなっている。
会社にいる頃より
一時間寝るのが長い。それもプラスに作用している。
健康的に仕事で体を使うので会社よりそれもプラスである。
会社の良かった所は経験かな。
でも6年も費やす必要があったようにも思えない。
もっと短く年月を費やしたかった。
私も私で効率的な時間を使いたい。

今は自分の時間が取れる。
それは会社よりほこれる所である。
ボチボチやりたい。

2014年9月29日(月) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
究極は
緊張の中に愛がある。
緊張の中に笑顔がある。
緊張の中に礼儀がある。
緊張の中に大局観がある。
緊張の中に聞く耳がある。
緊張の中にみずからを問う心がある。

まああんまり緊張しても体に良く無い。
それが私自身の現状である。
そんな状態でいきている成れの果てである。

同上

「クリティカルチェーン」を12%ぐらい読んでいる。
プロジェクトリーダーとかMBAとかの世界がわかりそうであるが
どうなる展開なのか読めない。
楽しんで読みたい。

ボチボチやりたい。

2014年9月30日(火) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
私自身建設的な話の出来れば満足する方である。
外見だけで私は判断出来ない。
一度や二度の話でも判断出来ない。
やっぱり中身が無いと無理ではないかそう思う。
そういう意味で母親とは良く話をした。
でも親族だからと言って
そういう中身のある話が出来るわけでもない。
そういう意味でなかなか話して満足するのは難しい。
母は母の役割をしたが
それはそれで珍しい事かもしれない。そう思い始めている。
当たり前が当たり前になっていない。

だから私は簡単に判断してはいけないそう思っている。
責任と信頼と建設的な会話自体が珍しいそう思っている。

同上

今日も電車の中で「クリティカルチェーン」を読んだ。
プロジェクトが順調に管理出来ない状況に
どうやって計画通りに完了出来るか
大学の授業でディスカッションしている所である。

私のミトコンドリアDNAは妹にしか受け継がれない。
なぜならミトコンドリアDNAは母系だからである。
ミトコンドリアは真核細胞に存在していて
動植物にあるらしい。
細胞がミトコンドリアをとりこんだ説もあるらしい。
蝶は完全変態でいも虫と蝶は別の細胞で出来ていて
別個の生物が合体した可能性もあるのだそうです。
その様は進化論とは違っているそうです。
私はもっと人間としていきたい。ただそれだけです。


ボチボチやりたい。


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