散歩みち

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2010年10月6日(水) ノーベル化学賞



日本人がノーベル化学賞をとった。
今日バスの中で日本人がとらないか一抹の期待をもったら
正夢になった。
私自身が考えた物理の問題は100年かかるのではないかそんな気もしたりしている。
私が生きているうちに解決しない。
「科学の終焉」なんて本が出たが今は全く問題が山積していてると私は考えてる。
私は物理からドロップアウトしたがそれが意味のある事のような気はしていない。
どうせ私が生きているうちは解決しないから意味が無い。
私に必要なのは仕事による束縛ではなく仕事による自由である。
私にとって俗世間に対する評価なんてどうでもいい。私にとって仕事の自由で満足する事である。
私みたいな境遇を増やしたくない。誰にも私みたいな人生を送ってほしくない。
それが私の本心である。

2010年10月11日(月) 近況



図書館で借りた朝鮮戦争の本を読んでいる。
かなりヘビーな話である。
裏を返せばそれだけ戦争はしなくて済むならそれにこした事は無いという事である。
自分にこれだけの戦争を実務的に仕事ができるかわからない。
私自身が戦争の経験が足りない事だけは確かのようである。
それだけ、どうやらアメリカはいろんな経験をしているようである。
そういう意味では私に出来る事は限られている。
戦争という手段がある以上、
持続ある平和を続けるにはどうしたらいいか悩ましい問題である。


2010年10月15日(金) Androidの仕事



動作確認の仕事を一週間続けた。
他人の力を借りたりしながら何とか続けている。
わからないなりによくやっていると思う。
それなりに段々慣れてきてはいるように思うが
詳しい事までこだわるとどこまで出来るのかわからなくなってしまう。
これから先は細部の部分をどうやって解決すべきなのか問われているように思う。

いつまでも自分が出来る事を前進していきたい。
結構いろんな事をAndroidで経験している気はする。
それだけに達成感もある。
けれど先の未来だけがこころなし不安である。


2010年10月16日(土) 近況



図書館で借りた朝鮮戦争の本を読破した。
内容は戦争なのでハードな話だったけど
全体的にアメリカの組織力を感じた。
アメリカの組織力は日本に無いものを持っている気がした。

その後Object-Cの本を少し読んだ。
昨日OCamlの本を注文したので少し待ち遠しい所ですが
もし土日に届かなかったらC++のデザインパターンの本を読み直そうかと計画してます。

それと他には父親がおそらく植木市にしきりに進めるので明日行く事になりそうです。

今年の五月頃に買ったビデオデッキのため
テレビを見る機会が多くなって結構時間に拘束されるようになってきました。
番組の2時間スペシャルとか多発するとどうしてもビデオのストックが増えてしまって
困ってしまいます。それで結局自分の見たい番組って何だろうって考えさせられてしまいます。

なかなか自分の時間を有効に使うのは難しいです。
土日はゆっくりしたいのですが
コンサートやら植木市など家族にも要求されて
結局いろんな事をやるはめになる今日この頃です。


2010年10月18日(月) 近況2



結局、植木市はパスした。
昨日はほとんどビデオを見ていた。
ビデオを見ながらOcamlの本を少し読んだ。
食事の合間にOcamlをインストールした。

何か全体的に自分のやる事を度忘れして
やり過ごす事が多くなった気がする。
そんな時は適宜修正するしかないけれど
あまり気分は良くない。
今までを考えると度忘れする事が自分らしくない気もする点で
感覚が変な気分なのである。
集中力が増したのか減ったのかわからないけど
自分の体が変化しているのは確かのようである。
もしかしたら服用している新薬のせいかもしれない。


2010年10月19日(火) 俳句と短歌と詩



今週も短歌を量産している。なぜこんなに作れるのか不思議だけど
もうそろそろ底をつくような気がしても、なぜか量産している。
多分自分の日本語が変化しているからの様な気がする。
季節が変わって気分が変わるのもあるかもしれない。

俳句はちょっと休憩している。
また自分が歳をとった時にしようかと基本的に思っているが
思いついた時にちょくちょくWEBに書き込む予定でいる。

詩は何か特別な感情がふつふつとわいたら書こうと思っている。
短歌と俳句の相乗効果がある気がする。
自分の気持ちの再発見としては申し分ない。

今の所の疑問は
どうしたら名文が書けるのでしょうね?
みんなが納得してくれたらかな。風情があるからかな?
私とみんなが酔いしれられればいいのかな?
大きなテーマだからかな?
とにかく私が心に刻む名文が書きたいそう考えている。


2010年10月26日(火) 今そこにある闘志



今のところ、私が闘志を燃やす事は
私のような人間を増やさない事だけである。
私みたいになってはいけない。人間はもっと王道を進むべきなのだ。
悩みぬく根源的テーマに向かって突き進むべきなのだ。
私にはそんな力が無かった。
耐えられる環境に無かった。
だから他人にはもっとタフでもっと王道でもっと成長をしてもらいたい。
それが私の正真正銘の本音である。
悩みぬき必ず王道を進めば光が見えてくる私はそう信じている。
その裏には真正面から何でも経験してみるという事である。
人間の一生は時間が限られているのだから
一人の人間の経験には限度がある。
おのれの限度を知りつつ大局的な自分の王道とは何か考える必要がある。
人間には何かと真正面から向き合って解決する力がある事を信じたい。
だからこそ私のようになってはいけないのである。



2010年10月26日(火) 大学との関係



私が大学を去るキッカケは
大学にいる耐久性がなかったのもあるが
大学にいても答えは無いと思ったのが一番の理由である。
私自身で考えるしか方法が無かったのである。
今現在では考える事も無く自分が考える内容を求めている。
私の経験上大学には???を求めるべきだと思っている。
???の解決は大学に無いかもしれないが
???に出会うキッカケを大学は有している。
だから何かわからない事に大学で出会えれば
どうにかして解決しようと考える出会いが大学にあるそう思っている。
だからわからない事にチャレンジするためにわからない事を大学で求めるべきだ。
だから大学ですべてを理解出来なくてもいいのである。
大学にいて生まれる???こそ大事である。




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