散歩みち
バックナンバー
2009年7月1日(水) 紛争する理想郷
世の中理想郷を求めて戦争をしている。
それを小説に求めるのは酷な気がする。
世の中の知識を小説に求めすぎているそう思う。
小説は精神世界の話だからどんな話だって良いと思う。
本当に今現在を知りたければ小説を読む必要ないのではないかと思う。
難しいから小説で知りたいと主張するなら
それもありかもしれないが
小説の分野では批評する内容に乏しい気がする。
小説の精神世界を楽しむゆとりは無いものかと不思議な気持ちだ。
小説に対して過度に実益求めても仕方ないんじゃあないかしら。
2009年7月2日(木) 信憑性と効果
私のやる事がそんなに科学的なのか自信が無い。
科学的というより
自分が感じる信憑性の高いものを追いかけているような気がしている。
もしかしたら私の話がわかると思えば私を理解した気になるのかもしれない。
世の中他人の事が良くわからない事はたくさんあるけれど、
私の場合、信憑性の高いものを追いかけて説明しているうちに
そのように感じる私の事まで説明している気がする。
もしそれが他人に共感を与えるなら
信憑性の高いものを感じる感受性こそ最も大事なのかもしれない。
アイツはダメなんて言ってはダメだ。
そこで自分自身の信憑性が失われる。
ある程度、信憑性と効果に神経質になった方が良い。
その方が信頼性がある気がする。
2009年7月4日(土) 合理的判断を伴う戦略と人と時間
我々が戦略を持って人と時間を有効活用するには
局所的な一部分に対して各自で合理的判断が明確にできる世の中が大事である。
我々が出来る事は局所的な一部分に信憑性を持たせる事である。
その信憑性が合理的に判断出来なければ戦略と人と時間は無駄になる。
つまり我々の合理的判断をもとに
我々の持つ戦略と人と時間を局所的な一部分のために費やしているのである。
戦略と人と時間を費やす事に肯定的で
戦略と人と時間に希望を持ち
戦略と人と時間をもっともっと大事に出来る
やさしい世の中になって欲しいとそう私は願っている。
2009年7月6日(月) エネルギーと物理
エネルギーと物理は主要な議題である。
特に相対論の多次元化は
E=MC^2のようなエネルギー法則が見つかる可能性を秘めている。
大学浪人時代の発想から
私は新たなエネルギー法則があるはずだと思ったのである。
だとしたら私なら何の物理量が次元になるのか考えたのである。
福岡の六本松で温度が気になっていた。
温度は宇宙の歴史を現している。温度と時間が同じように宇宙の歴史を語っていた。
それに気がついた時、温度が多次元化の一つだと確信したのである。
その後私たちは日光を浴びて温度を感じる事とか
光のエネルギーが温度であらわされるとか
太陽の黒点が磁場に影響されているとか
見事に説明できるのではないかと今では信憑性が高いと私なりに信じているが
それが事実なら我々物理学者でなくても
様々な分野で影響するはずである。
私はエネルギー政策に詳しくないが
もっと未来に希望を持って合理的な判断を持つことは大事だと思っている。
2009年7月7日(火) 健康診断
昨日健康診断があって
高血圧だと言われた。
今日の午前中診察だったので血圧を測ってもらったら正常値だった。
健康診断の血圧が高い事はこれまでたくさんあったので
私特有の不思議な現象である。
緊張してしまったり、階段等で歩き疲れてしまったりする。
今回は仕事の緊張が原因のような気がする。
自分の中でなぜか将来の不安が仕事の不安につながってしまうのである。
自分がどんな事が出来るのか不透明だからかもしれない。
結局の所、何事もひたすら、やる事やっていくだけしかない。
2009年7月8日(水) 我が精神と身体にみじめな気持ち
我が精神と身体を担保に我が生活が成り立っていると思うと
みじめな気持ちになる。
こんなに頑張っているのにこんなに成果をあげているのに
やっぱり自分の精神と身体を実験道具にして生活している情けない気持ちになるのだ。
我が親が安穏としているのも自分のせいなんじゃあないかと思うと嫌気がさす。
それも私の成果ではなく自分の精神と身体の担保のせいだと思うと
いいようにあしらわれている気がする。
我が親にとっても子供の成果に関心が無い。
まるで子供の精神と身体を道具扱いされている気がして
ますます我が精神と身体にみじめな気持ちは増すばかりだ。
2009年7月13日(月) 現実とのミスマッチ
常に私の恐れているものは現実のミスマッチである。
だから慎重になろうと努めている。
あんまり現実とかけ離れた理論は危険だし
そうした理論かどうか確かめもせず一人歩きするのを私は恐れるのである。
理論は美しいゆえに危険なものでもあるわけである。
そういう配慮が出来なければ
理論を掲げても迷惑になるかもしれないのである。
2009年7月15日(水) ニコニコする
是か非かハッキリする分野で
真剣に没頭してニコニコ出来るだろうか
是か非かハッキリしないから
真剣に没頭しても
ニコニコできるのではないかと私にはそう思える。
他人の言う事がどうでも良いならニコニコできる。
他人の言う事が是か非かハッキリしなければいけないなら
ニコニコできる気がしない。
世の中ハッキリしなければいけない部分と
ハッキリしない部分で住む世界が違うそう思う。
ハッキリしない分野では
判定できないという点で権力的な政治が横行する傾向がある。
ハッキリする分野では
常に真摯に考えた人が勝利する傾向がある。
人によって内容がハッキリしたいかハッキリしたくないかにも
左右される。
だから私の世界でニコニコしたり、真面目になったりするのだと思う。
2009年7月18日(土) どうでも良い事と是が非
結構ちまたには
どうでもいい事がいっぱいある。
だけど他人がそう思わない事に笑うしかないわけである。
結構ちまたには
是が非で決まる事がいっぱいある。
だけど他人がそう思わない事にイライラするわけである。
是が非でがんばっている人にはどうでも良い事も知る必要があるし
どうでも良い世界でがんばっている人は是と非の世界を知る必要がある。
それが出来なければ
多くの人との相互理解なんて難しい。
世界中の万物による理解に達するのに至らない。
また他人による、どうでも良い事と是が非の判別で
困ってしまう事もある。そうなると私は説明する気が失せてしまう。
何か大きな説明をしなければいけない気がして気おくれするのである。
2009年7月20日(月) くる日もくる日もくだらない。
毎日、他人の「好き」が聞こえる。
自分自身生きていく気が起こらない。
どうでも良いし、くだらないし、ストレスがたまる。
「好き」だけで生きていける気がしない。
何か尊いものがなければ大事にしたい気がしない。
私を本当に大事にしたいと思っているなら
私に尊いものを提示すべきだ。
私の尊い部分より私にとっては他人の尊いものの方が生きていける気がする。
毎日やる事やっているのに
何か大事にしたいとも思えない発言を
繰り返して
どう考えても愛がないとしか思えない。
もういい加減に尊いものを見つけて愛の中で生きていきたい。
つまり生きていく気がしない環境の中で生きていきたくない。
結局毎日死にたい気分なのである。
2009年7月21日(火) 我が実務経験
私の場合、大学で学んだ事を消化するまで時間がかった。
大学では消化不良起こしてもたくさんの知識を知るべきだと思う。
それに他人の入学したい大学なんて大半がたいしてかわらない気がする。
新しい大学つくっても既存の大学の方が人気がある気がする。
それを壊すのは
何を学びたいか自分が見つけるしかない気がする。
世の中私はこれを学びたいと思う人は結構たくさんいると思う。
学んだたくさんの知識をいかせるには、試行錯誤の連続しかない。
試行錯誤出来る機会があれば時間とともに消化される。
お金も大事。知的欲求も大事、試行錯誤も大事。
エンジョイ出来ればそれで良いのではないかと私はそう思います。
お金もなくて知的欲求もなくて試行錯誤もなくてエンジョイできる気がしません。
2009年7月28日(火) 今月の仕事
今月はASP.NETのサンプルを作って企画書を作った。
気持ち悪いほど思うように動いてくれなくて困った。
あえて言うならWindowsが嫌いになるくらいだった。
本屋に行ってもASP.NETよりPHPの方が本が多かった。
そんな逆境にめげず良く作ったなあと自分でもそう思う。
それでも最終的にASP.NETは気持ち悪いそんな印象を受けた。
何かこのどうしようもない気持ちをどうにか伝えたいのだが
なかなか難しい。
あ〜あ!このたまらん不快感、ストレス、イライラ、わかるかなあ。
2009年7月31日(金) 私がしたい事とは何か
とりあえず仕事場では要求にこたえられるように努力している。
それしか方法がないからである。
なんかいろんな人から見離されている気分だ。
今の所自分の事をかまってくれるのはテックインフォメーションシステムズだけだ。
自分のしてきた事考えるといろいろ対処していかなければならない気もする訳なので
なんとなく今の現状で良いのか判断に迷う。
自分自身、目の前の大きな事は何なのか仕事をしていると
よくわからない不思議な気持ちにおそわれる。
自分のしたい事は他にあるんじゃあないかと漠然とそう思ったりする。
けれど我が事情がどうであれ、テックインフォメーションシステムズには
感謝した方が良さそうである。