散歩みち

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2016年6月1日(水) 雑記



<<追記20160601
今の心境は
他人を悪者にする最後の砦の様な気分である。
一体どこまで他人を悪者にする気なのか理解出来ない。
そんなの阻止した方が良いので無いかと思う。
なんでそんなのが常識で判断出来ないのか理解出来ない。

結局常識でも判断出来ない他人がいるというだけである。
会話が通じないのである。
小学校と中学校がそうであった。
だから最悪な小学校と中学校だった。
私としては自称小四卒である。

そんな会話が通じない中最後の防波堤である。
ひたすら耐えるしかない。
私がこたえれるものはこたえる。
そういう認識が無いのも困りものである。

人間何のためにおのれ自身が努力するの?
それが決定的に欠けている。
努力しない人がこたえれる話でも無いのに
それにこたえようとしている。私はそんな話ナンセンスである。
私としてはそれは努力している人から私は聞きたい。

それが下克上になっている。
そんな話ありえない。
<<追記20160601end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月2日(木) 雑記



<<追記20160602
私がおそれるのは誰も勉強していない状態である。
努力はしていても勉強になっていない事である。
いくら官僚が偉くても
官僚が勉強していなければどうするのかと思う。
私だったらそんな責任持ちたくない。
できるだけ多数の国民にリスクを分散させる。
こんな日本経済の低迷は官僚だけで解決不可能である。
なのに頑張るらしい。
私にはあんまり関係無いので高みの見物である。

気楽なものである。官僚も気楽になった方がいいのではないかと思う。
それでも責任を負う気でいるらしい。
国民は責任をとってもらおうと思っていればいい。
それが日本の国の形であり
民主主義の国では無い。そんなの時代に逆行していないかと思う。

日本国憲法もここまで来たかという感がある。
新しい日本の国の形を求める必要がありそうである。
本当に今のままでいいのか疑問である。
責任のあり方をふまえて憲法を作った方がいい。
どうもこの日本は責任がどこにあるのか明確では無い。
責任の取り方まで必要な気がする。
それは今の政治を見てて痛切に感じる。

そして市場経済が本当に神の見えざる手になっている気が日本に無い。
品質の良いものが順番に売れている気がしない。
市場経済を見直した方がいい。
いくら工夫して良い商品でも売れない市場のように思える。
必要なのはマーケティングでもなく正当な市場経済な気がする。

そうやって一国民が言っても官僚は責任を負う気でいるのか聞きたい。
ただの権力の乱用ではないのかと思う。
<<追記20160602end

とりとめのない趣味の小話2


2016年6月3日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 外に出て夏の光に照らされて胸中どこかおどり出すかな 行有 
---> 毎日がいろんな思ひめぐりつつ姿を見せる滝のようかな 行有 
---> ゴールにて湯の国会館つかるうち身も心も未来に向かう 行有 
---> 食事する湯の国会館でもなお話題が尽きず思ひが続く 行有 
---> 各々の知能を知りて我知らず敬意を払ひ行く末を問ふ 行有 
---> 結果こそ次から次へ展開しこだわるなかれ世代をこえて 行有 
---> 個性こそやればやるほど違ってるなのに他人は理解されない 行有 
---> 秀才は自分の時間勉強に費やしてこそ涙ぐましい 行有 
---> 対処して性格変わる我が身から他人も同じ大空にゐる 行有 
---> 狩野川の橋を渡りて見晴らしは天にものぼる思ひこそする 行有 


/*ありふれた*/
/*眠たさ残る*/
/*朝があり*/
/*規則正しく*/
/*なるようになる*/


<<追記20160603
//日本国憲法前文草案//愛バージョン
日本国民は尊い人間を愛する国民であり、愛するが故に平和主義と国民主権と基本的人権を
堅持する。何人たりとも賛同するものが無くても
一つの愛を持って社会をのぞみ幾つかの愛を持って突き進む日本国民の姿として希求する。
何故に愛するのかと問えば
困窮すればするほど愛さざるおえないのであり
自らを愛らしくするものは愛するためである。
ここにきて
明朗な屈託の無い愛こそが日本国民の使命である。
我々が頑張ろうとするのも愛があるからである。
そういう愛のもとに日本国憲法が成立することを忘れてはならない。
またそういう愛を見つけて他国と平和主義を貫くと同時に
愛が無くては平和主義は成立しない。
まさに他国との関係は愛が存在するかしないかで左右されうる。
愛は妥協では無い。明朗な屈託の無い愛である。
その愛が人々の動機になりうる。
それが日本国民の姿である。

愛こそが我々を動機づける。それが日本国民の希求する愛である。
何人たりとも愛する事を忘れない事を宣言する。
それが日本国憲法の存在意義である。
愛が無くては我々日本国民は存在しない。
いかなる事があっても愛を堅持する事を希求する。
それが日本国民の存在意義でありまた日本国憲法の存在意義である。
//日本国憲法前文草案//愛バージョンend

何か愛以外でもいいかなと思ったりするけど
自殺する人も多い社会なので
愛があれば少しは違うような気もする。
救世主みたいな自殺もどうかなと思うので
どんな事があっても愛が必要っていうのはあり得るパターンかなと思った。
学校のイジメにもつながって社会規則も必要だけど
結局一人一人の愛が大切なのである。
平和主義にも少し言及したが結局愛でしか判断つかない事態に備えた。
そう思って日本国憲法の前文草案を作ってみた。
<<追記20160603end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月4日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 風薫り歩きながらももの思ふ 行有 
---> 滝あれば音と姿に胸を打つ 行有 
---> 祭りこそ胸が騒げば人かしら 行有 
---> 草笛も子供心に舞い戻る 行有 
---> 母に似て元気をもらう穴子かな 行有 
---> 新茶あり父と二人でご堪能 行有 
---> 夏めいて歩き出したら元気かな 行有 
---> 若葉こそ淡き期待をうつし出す 行有 
---> 金魚から思ひ出したる記憶かな 行有 


/*いつまでも*/
/*くり返すうち*/
/*夏日かな*/

2016年6月4日(土) 近況



伊豆長岡駅からJRさわやかウォーキングに参加した。
三島のSNSに追記した。

英語の掲示板ドイツ語の掲示板フランス語の掲示板に追記した。

<<追記20160604
今週も勢いで掲示板の書き込みをしてしまった。
まさか私がとんでもない書き込みをすると思わなかった。
積年の思いが詰まった感じがする。
人間自己修正を繰り返したらこんな事になるんだなあというのが実感である。
そういう人間にならんとあかん気もする。
それが私なのかはあんまり自信が無い。
ただそういう人間がいてもいいだろうとは思う。
ボチボチやりたい。
<<追記20160604end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月5日(日) 近況



今日は昼間の散歩と水神さんに行った。
雨は小降りだったので墓参りは中止した。

<<追記20160605
ITは時間による労働の側面と言葉や論理による頭脳の側面があると思う。
何行目に何のエラーか判断したり
テストによるエラーの原因を判断したり
他人でも理解出来る文章の証拠を残したり
そんなこんなで時間がかかる。
つまり労働だけでも語れないし頭脳だけでも語れないのである。
私としては結構両方やるのはしんどかった。
分業するにしてもそれはそれで単価の問題がある。

頭脳にしたって私の場合学校でどうにかなるように思えない。
結局自分で勉強するしかないのである。
そして会社側にも環境と本しかない。
あとは自分でインターネット使ってどうにかしなければいけない。

そんなこんなで学校側も企業側もあてにならない。
自分でどうにかするぐらいの頭脳なら企業になんかにいなくて結構である。

労働に対しては単価の問題がついてまわる。
長ければ長いほど不利益である。

そうやって労働の側面と頭脳の側面が解決しそうにない。
それを解決しないとITの技術者を増やすのは困難な気がする。
結構バランス感覚がある人というのが私の理想である。
<<追記20160605end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月6日(月) 雑記



<<追記20160606
私が東芝テックの子会社で不安の中を仕事した理由を考えてた。
インターネットと本しか頼れなかったのが一番である。
他人に頼れる組織では無かった。
そして掲示板もグーグルのキャッシュデータしか見れなかった。
そのキャッシュデータで対処した事もあった。
掲示板の書き込みが出来なくなった。
私のホームページも閲覧出来なくなった。
家でチョコチョコっとやって会社からアクセスもメールぐらいしか無くなった。
制約を受けて私の文筆活動も会社で出来無くなった。

総じて会社のプログラムの仕事は人間的に可能な仕事だった。
私に合わせた仕事では無くてもシステム上可能な仕事だった。
結局出来無い仕事はやって来なかった。
なので仕事とはそういうものだと思っている。
それぐらいしか組織としてのありがたみを感じなかった。

こんな時代に技術の話をする他人がいないのはどうしたものかと思う。
今もこの時代に対応出来なかった仕事をあれこれどうやったら良かったか考えたりする。
もっと自分なりに対応出来ない理由を明確にすべきだったかもしれない。
そのリストを作れば他人に対応してもらえたかもしれない。

そういう冷静になって今もあれこれ考えている感じがある。
そういうアプローチが上司にも無かったのも一つ問題がある気もする。
それでも六年2ヶ月大体対応出来た。周りにはプログラム作っている感じが無かった。
プロジェクト管理が主で下請けにプログラムを作らせてた。
それで一人ポツンと孤軍奮闘した気はしている。
いい経験にはなった。
今は私なりに可能性を広げていきたいと思っている。

当時よりはインターネットの情報が増えている。
年々増えている気がする。
それでも人間同士のつながりって大事のように思う。
それが私の一番の気がかりである。
<<追記20160606

とりとめのない趣味の小話2


2016年6月7日(火) 雑記



<<追記20160607
ナンダカンダと仕事の事を書き込んだら
これからの目標が気になった。
そして今読んでる関心のある本のリストをピックアップしてたら
また外国語やりたくなってきた。
単語量を増やしたい気がする。
キオクの本も読んでたら結構頭には健康的らしい。
五感を使ったり寝る前とか6時間後12時間後に繰り返すとか
頭の体操になりそうな気もして
外国語の単語量に意欲的になっている。
他にはプログラム関連と経営学関連と会計関連と経済関連と哲学関連と科学関連が上がった。
全体を見渡して私は何をしたいんだろうと思うと
判断つかずとりあえず外国語かなとか思ってしまう。

多分言葉に影響を受けた自分がいるように思う。
そしてまだ考えたい自分がいる。
何を考えたいのか掲示板の書き込みを続けている手前
いろんなことが脳裏によぎる。
それが生きるという事のように思う。
<<追記20160607end

とりとめのない趣味の小話2


2016年6月8日(水) 雑記



<<追記20160608
今日の作業量は少し多かった。
昨日は筋トレをして水泳の運動をした。
今日も帰り際少し筋トレした。
何となく元気になっている気がした。
そう言えばあんまり幻聴も聞こえない。
過去より負担が少なくなっているのは事実である。
これは何を意味するのか定かではない。
それでも過去の負担がいつまた起こるかもしれないと思うと恐怖ではある。

私の集中力はダマシダマシやってきた。
そのダマシダマシが薄れると私はどうなるのか私にもわからない。
それはそれでいいのか私自身あんまり自信が無い。
何にも自分の意思に反して物事が考えられそうである。
それが私にとってどういう意味を持つのか判断しかねる。

視野が広がって遊びみたいな思考回路が生まれてる気もする。
それだけ幻聴で頭を占有されてた。

まあ色々文句タラタラであるが
生きているだけが取り柄である。
人生そんなものかもしれない。
神の導きかもしれんが二度と同じ人生送りたくない。
そう思って人生を二度繰り返さないように生きている。
<<追記20160608end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月9日(木) 雑記



<<追記20160609
私の方は人生を二度繰り返さないように注意している。
なのに他人は何回も間違いをおかす。
一体この状態をどうやって改善すればいいのか理解出来ない。
ほとんど他人の問題である。
私の問題では無い。
それを学習というのか私には理解しがたい。
学習とは失敗を回避する事ではないのかと思う。
私としてはもうこれ以上他人の失敗の件で右往左往するのは御免である。
それが私の学習能力である。
結局そんな学習もしないから、ありえない人がありえない事言っているようにしか聞こえない。
私は男にも女にも振り回されている。
それが脱却できるまでこのままの状態を維持したい気もする。
それが私の学習能力である。
一体これを何遍も繰り返して他人の学習能力というのか理解出来ない。
学校の先生の監督不行き届きである。
こんなんを社会人と呼べるのか理解不能である。
そうやって私を自立していないと公然と言われるぐらい
他人は何遍も失敗している。なんでそれで私が関係するのか理解不能である。
そのような他人とは関係の無い生活がしたい。それが私の欲求である。
<<追記20160609end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月10日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> バル祭り楽しき思ひあればこそ今日一日もこれでいいのだ 行有 
---> 検診でやせる手立てを求めたいどうしたものか思案に暮れる 行有 
---> 五月からいろんな事が過ぎていく楽しむ先に何があるかな 行有 
---> 五月晴あっぱれながら粛々と物事進む元気あるかな 行有 
---> 五月雨や電車の中で本を読み思ひがめぐる淡き人生 行有 
---> 何となく家の中こそ天国よ思ひつくのも機会が多し 行有 
---> 人生は何とかなるや言ひ聞かせここまで来ればなるにまかせる 行有 
---> ゆっくりと時が流れて欲しいかな家の中にてせわしないけど 行有 
---> 我が方は悪く無いのに悪い奴どうしてこんな役目がまわる 行有 
---> 気づかない他人が悪い出来るだけ努力を重ね今日がある 行有 


/*一日を*/
/*確かめながら*/
/*方法を*/
/*ヒモときながら*/
/*生きていくかな*/


<<追記20160610
今週も書き込みを続けてしまった。
そろそろ停滞してもいいんだと思うが
私もなんかはっきりさせたくて書き込んだ。
明日は俳句と外国語でもやろうかと思っている。
日曜は松田駅でJRさわやかウォーキングを計画している。

大阪は都会だと思う。人が多い分それだけにイカレた奴も多い。
私は田舎者だからノーテンキでいたい。
笑い飛ばすぐらい明るくいきたい。
それが私の本音であり勝ち負けなんてどうでもいい。
生きていければいい。
それに立ちふさがっているのが今の現実である。
身動き出来ない。それを罪と言わず何が罪なのか理解できない。
契約社会にしても自由には程遠い。
そんな事を許していいのか理解できない。
亀になったような気分である。
お前は亀だ亀になるのだと言われている気分である。
<<追記20160610end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月11日(土) ツイッターより+3 and 外国語



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 夏浅き湯の国会館でひたる 行有 
---> 旭滝真東に向くいわれかな 行有 
---> 桑の実に話題が続き歩くかな 行有 
---> 祭りから思ふ存分沼津かな 行有 
---> 駿河湾クルーズしつつ祭りかな 行有 
---> 沼津からリズムにのって祭りかな 行有 
---> 登山して富士山拝み元気出る 行有 
---> 五月晴あっぱれながら照らすかな 行有 
---> いつの間に五月終わるもあとわずか 行有 


/*青葉から*/
/*元気をもらい*/
/*歩むかな*/


英語の掲示板ドイツ語の掲示板フランス語の掲示板に追記した。

2016年6月12日(日) 近況



今日はJR松田駅でさわやかウォーキングに参加した。
三島SNSに追記した。

今日と昨日は良く汗をかいた。
梅雨とは言え暑くなってきたように思う。
家に帰って
短歌と俳句作って
枝豆ゆでた。

ボチボチやりたい。

2016年6月13日(月) 雑記



<<追記20160613
年金や給料やボーナスとか考えていると
出口が見つからない。
結局私は一人前では無いと言われているようだ。
私は私で防護した方が良さそうである。
こんな身分を十六年費やした世間が悪い。
もうとっくに十六年前に結果が出てる。
なのにダラダラやっている。
私に何と言おうが現実は変わらない。
私をはぐらかす事で精一杯である。
そんな事を許していいいのか理解できない。
みんな総動員した立派な犯罪である。
犯罪を繰り返しても何も現実は変わらない。
<<追記20160613end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月14日(火) 雑記



<<追記20160614
「満足した豚より不満足な豚になれ。」
要するに知性に目覚めよみたいな話らしい。
それにしてもこれを自分に当てはめてみると不満足だらけである。
厚生年金も時給のように収入が無いとあてにならない現状と
時給ではボーナスも出なかった。
こんな状態で満足するのは自分の知性だけである。
つまり本を読んでいる時間と自宅のPCにむかっている時間だけである。
まともに働いて何が残るのか不思議で仕方ない。
ただ仕事で時間つぶしているだけである。
まともな収入が無いなら短時間で低賃金の方が私には合っている。
「満足した豚より不満足な豚になれ。」とは誰に言っているのかわからんが
不公平な立場の人が不満足な豚のように聞こえて仕方ない。

結局誰が偉いのかわからないと言っているようにも思う。
だからこそ知性に目覚めよと言っていると思う。
常日頃のおこないがいろんな形で出てくるんだと思う。
あんまりにも知性に程遠い世の中で
私は稀有な方だと私自身そう思う。
なんか一人で頑張っているようにも思う。
私自身これを広めていく必要もあるように思う。
私一人で終わらしていいのか疑問である。
そういう危機感が世の中に無いのが残念である。
知性とは伝統でもある。
和算と同じ運命を少し感じる。
それが日本の欠点である。何倍にもして効果を上げるそれが日本の急務である。
それが日本の教育者に欠けている。
本当にいい機会である。おうむ返しするような効果が大事である。
<<追記20160614end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月15日(水) 雑記



<<追記20160615
行動のともなわない理想が小中学校に蔓延していた。
そう言った手前
私は努力するとはどういう事かとか勉強が出来るとはどういう事か関心事であった。
私はパソコンに計算させ自分の頭と格闘した。
それなりに実践の美学である。
どういう人が私を認め無いのか大体わかっている。
ある程度本人の行動がともなわないと相手するのも苦労する。
そういう小中学校だった。私としてはそんな奴と関わりたくない。
学校の先生の責任である。
私はそうやって自分の疑問に忠実に生きてきた結果なのである。
何にも偶然じゃなく必然である。

どちらにしろやる事やっていないとありえないわけである。
そのやる事とはどういう事かわかっていない人が私を困らせている。
小中学校を思い出すと多分永遠にわかってもらえない。
それが私を苦しめている。
私としてはそんなと関係無い所で生活したい。

それが私の本心である。
向こうもそうだと思う。
私はそれで結構である。いくら私を認めなくても結構である。
行動がともなわないで拒否している。
永遠に人の気持ちがわからない奴である。

こんなモンスターを学校の先生が作り出したのである。
現代文や国語など通じない。
それぐらい努力とか勉強とか大事なのである。

行動ある若者を増やしていかなければいけない。
そうじゃあないと宇宙語になっちゃう。
それを理想論で学校の先生は作り出した。
社会問題である。

私としては若者の特権とか女性の特権とかあんまり関心が無い。
行動しなくては宇宙語になる方が気になる。
そういう意味で人の気持ちがわかる人間になった方がいい気がする。
現状は私の苦労なんてわからない人が文句言っているだけである。
<<追記20160615end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月16日(木) 雑記



<<追記20160616
最近読み終えて良かった本を取り上げる

「アイデアスケッチの教科書 (NextPublishing) Kindle版」

この本読んで少し構図について参考になった。
A4の紙に色々スケッチを繰り返した。
結局絵の基本は昔から変わら無いと思った。
だからと言って私は何をしたいんだろうと思う。
何かを訴えたいんだと思う。
スケッチで私はそれが定まらない。

「作詞の勉強本 「目線」と「発想」の拡大が共感を生む物語を描き出す鍵となる Kindle版」

言葉を変えたり視点を変えたり
それは私は俳句と短歌でやっているのだと思う。
この本の言っている事はそれなりに価値がある気がする。
それぐらい体操して言葉になっていれば道が開ける気がする。

「マンガでわかる記憶力の鍛え方 苦手な科目の暗記ができないのは? ど忘れをなくす方法は? (サイエンス・アイ新書) Kindle版」

あまりにも自信が無くなってきたので読んでみた。
記憶力は頭に健康良さそうである。
実行出来るかはさておき記憶に対してポジティブになった。
色々試してみたい気がする。

「無理・無意味から職場を救うマネジメントの基礎理論 Kindle版」

結構楽しく読めた。
戦略的に働ける気がする。
仕事に対してこういう理論の話を聞けるのがこの本のいいところである。
ただ働くという点が欠けている。
そういう意味で本当にマネジメントである。
自分でそういう折り合いを戦略的に探さないと難しいけれど
働けるためのマネジメントという戦略的な話だったので楽しかった。

「ホントにゼロからの簿記3級 『ふくしままさゆきの簿記入門』シリーズ Kindle版」

母親から簿記の話は聞いていた。
確か母親は簿記の資格を持っていたように思う。
また違った世界だなあと思う。
実務がしっかりしていないと成立しない世界でもある気がした。

「女子大生会計士の事件簿 全6冊合本版 (角川文庫) Kindle版」

会計の世界に程遠い身分ながら
小説になっていてこんな世界があるんだなあと思った。
そうやって世界は成り立っている気がした。
こういう話聞いていると一人の人間が何でも出来るなんて無理だなあと思う。
そういうディープさを感じる。
人間の体も宇宙も地球も生物も
それぐらい会計にも世界がある気がした。

※まだたくさん読みたい本がストックされている。

良かった本を出来るだけ紹介したい。
プログラムの本も読みたいけど最近は停滞している。
先に挙げた化学の暗記本とか古文の暗記本とか生物の暗記本とかもある。
試験のために人生を送っているわけでもないので
試験対策よりも暗記本に頼るのも人生かなと思っている。
そうすると一段、二段と高い人生が送れる気がする。
ボチボチやりたい。
<<追記20160616end

本の紹介


2016年6月17日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 韮山の反射炉の店新茶ありイチゴ大福幸せかしら 行有 
---> 韮山を歩き通して元気かな楽しくもあるキオク残して 行有 
---> やさしさにあふれてもなお笑ふのも挑み続ける勇気あるから 行有 
---> なぜだろう一つ一つを問ひながら展開しても次から次へ 行有 
---> 追い求め三年目なりこのままで整理をつけて目標を持て 行有 
---> やすらかにベットの上で歌を詠みぜいたく気分さまようかしら 行有 
---> 書き込みで尽きぬ話題に事欠かぬ不思議なりともそんなものかな 行有 
---> キオクから離れられない我が身にてどうにかしたい本があるかな 行有 
---> 実現はやりたい事の目標をこちら側から先回りかな 行有 
---> 悠久の和歌があるから今がある短歌があるから未来を思ふ 行有 


/*苦労して*/
/*苦労話を*/
/*してみても*/
/*わからない奴*/
/*通じ無いなり*/


<<追記20160617
土曜日は俳句と外国語やって水神さんに行って墓参りする。
日曜日は温泉に行く
なので比較的ゆっくりモードである。
今日もゆっくり寝ようと思っている。
比較的人生よくやっている方かなと思う。
欲望に目がくらむとロクな事無い。
理性を持って制したい。
ボチボチである。
<<追記20160617end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月18日(土) ツイッターより+3 and 外国語



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 過ぎ行けばひと段落の五月尽 行有 
---> 更衣から気合を兼ねて仕事かな 行有 
---> 汗をかき仕事あるなら元気かな 行有 
---> 駅前にツバメいきかうめずらしさ 行有 
---> アジサイの咲く姿から気合かな 行有 
---> 青葉から照らされるもの鏡かな 行有 
---> 韮山のカキツバタに咲く思ひかな 行有 
---> ホトトギス天に通じる響きかな 行有 
---> 青芝を見渡す限り父笑顔 行有 


/*汗をかき*/
/*通勤するも*/
/*読書かな*/


英語の掲示板ドイツ語の掲示板フランス語の掲示板に追記した。

2016年6月19日(日) 近況



<<追記20160619
今日は湯の国会館で食事して温泉に入った。
帰宅後短歌二首と俳句三句と3Dパズルを完成させた。
早速3Dパズルの画像を撮影してメールした。
これから夕食してその後ビデオのテレビでも見る予定である。
とりあえず
3Dパズルの画像をセブンイレブンで印刷しようかなあと思ってる。
それからどうしようか考えようと思っている。
結構シースルーになった3Dパズルなので見づらくて結構苦労した。
もらったものなので
返事するのが適切かなあと思ったりして
ボチボチやりたい。
<<追記20160619end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月20日(月) 雑記_part3


⬆⬆⬆週末取り組んだ3Dパズルである。

<<追記20160620
今日は午後作業量が落ちた。
調子悪かった。
ニットがうまく置けず動揺した気はする。
あんまり良い気分では無い。
一体どこまで私はこういうのに付き合わなければいけないのか理解に苦しむ。
女も最悪ながら男も最悪である。
それで私何かが何の関係があるのかわからない。
わからない人がわからないように問題作っているだけである。
私はそんな問題聞いていない。
知りたくも無い。私はもっと違う問題を考えたい。
いつまで私の頭を使う気なのか理解出来無い。
これを犯罪と言わずして犯罪じゃあ無いのかと文句言いたい。
憲法違反である特に生存権で違反である。一体行政はこれをどのように認識しているのか
理解不能である。この国は最初から憲法なんて存在していない。
違憲審査権も発動しない。裁判官なんていらない。
全部間違っている。こんな事をやっている以上日本は信じられない。
それが私の持論である。
<<追記20160620end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月21日(火) 雑記



<<追記20160621
唯物論と観念論を結びつけるのが人間の第六感ではないか?
ものに対する色々なデータから
人間は普遍性を見出す。
それは唯物論と観念論を結びつける人間の第六感に他ならない。
今宇宙のデータもある。太陽のデータもある。りんごのデータもある。
それを結びつけて認識する人間には感覚がある。
それが人工知能の最大の難問ではないかと思う。
明らかにデータを持って物を認識しているのは人間の第六感のように思う。
どういう第六感なのかは残念ながらわからない。
もしかしたら第六感以外にも複数存在するかもしれない。
生物学的にも物理学的にも唯物論と観念論を結びつける何かがある気がする。
今日は沼津駅でスズメを見かけた。
スズメはスズメで私を認識し私はスズメを認識した。
そこに何かがある気がした。
地球的にも宇宙的にも何かがそこに意味がある。
私には理解しがたい事にも意味がある。
それが人間の人生のように思う。
それはスズメも同じのように思う。
植物にも動物にも人間にもお互いを認識する意味があるように思う。
天体なども同じように宇宙かなたと人間の頭で認識するのは
唯物論と観念論が結びついているからではないかと思う。
それが人間の感覚のように思う。
<<追記20160621end

とりとめのない趣味の小話2

最近の話

2016年6月22日(水) 雑記



<<追記20160622
理系とか文系とか関係あるのか理解出来ない。
計算できるからと言って数学者になれるわけではない。
他人が理系じゃあないから文系なのか理解出来ない。
そうしてマイペースのはいいのだが
パスワードが覚えられないのを
私が話しても覚えられないと文句言われて
人の話を聞くでも無し。
なんかそんなこんなで調子が悪い。

多分人の話を聞く余裕も無いんだろうと思う。
自分がどうにか出来る事にしか興味が無い。
それで私に話をする。
全く調子が悪い。

ここんとこ仕事もあんまり順調とは言えない。
なので丁寧にやりたい。
また調子が上向く事もあるだろうと思っている。

そうやって物事をうやむやにして何が楽しいか私には理解不能である。
着実に事実を作る方が大事である。
そして最後に事実が残る。
それが本当の仕事のように思う。

他人が事実が作れないからと言って
他人に迷惑かけていいのか私には理解し難い。
上司と一緒に解決するしかない。
それが出来なければ仕事は無理である。
報告連絡相談で事実を作るしかない。
それが人間の道である。

だから私も着実に丁寧に仕事した事実を残そうと思う。

なのに自己中心的な発言には参る。
だったら私に話しなければいいのにと思う。
本当に調子が悪い。
それで本人は何にも感じていない。
本当に参る。

うやむやにするほど仕事は落ちぶれてないのを祈るばかりである。
<<追記20160622end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月23日(木) 雑記



<<追記20160623
比較対象にされるのが耐えられない。
理由は恥ずかしいからでいい気がする。
女も女でそんなんに耐えれるんか信じられない。
AKBの番組も今の所耐えられない。
42歳にもなって何で比較対象になるのか理解し難い。
許容量が無くなってきている。
他人の許容量より自分の許容量の方が気になる。
仕事も比較対象になるなら
仕事も嫌だなと思う。
私はそんなために仕事しているわけではない。
ただ生活出来ればいいのである。
なのに他人は生活のためで私は比較対象のためなんて御門違いである。
いつになったら普通に生活出来るんだろうと疑問でならない。

他人の許容量は私には関心無い。
ただ私はついてけない。
私と違うんだぐらいしか無い。
それは私の責任では無い。
私とも関係無い。
なのにこう言う迷惑がひっきりなしである。
私としては勝手にしてくださいぐらいしか無い。
どうせ私の意見なんて聞く耳無いんだからそれでいいでしょう。

それなのに私が比較対象になる必要がどこにあるのか理解出来無い。
そうやって時間を費やしている。
あきれてものも言え無い。
迷惑極まりなし。
まず本人がそういう自覚が必要な気がする。
なのに本人は全く意に介さない。
これではいつまでも平行線である。
それで時間を費やしている。

せめて私にどうしろというのかリストにして明確にして欲しい。
それも無くやたら時間が経ってる。
私は人形の人間では無い。
意思を持った人格である。
何でやりたい事もあるしやりたく無い事もある。
私にはそれを選択する権利ぐらいあるだろうと思う。
恥ずかしい比較対象は身にこたえる。私自身そういう年齢である。
それを女の方も耐えれるのか聞きたいぐらいである。
多分女の方がもっと恥ずかしいんじゃあ無いのかと思う。
それをいつまで続けるつもりなのか疑問でならない。
<<追記20160623end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月24日(金) ツイッターより+5_part3



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 歩いても暑さに負けぬ汗がありつらさとともに健康かしら 行有 
---> 少しだけ暑さにやられ昼寝する気分スッキリ休日かしら 行有 
---> 松田から歩き疲れて寝れそうな思い出深き人生かしら 行有 
---> やり残すものなど無いが続く中私に出来る道があるかな 行有 
---> 読書から力が入る通勤に繰り返されてパラダイスかな 行有 
---> 買物も工夫を重ね繰り返すどうなる事かさまよいながら 行有 
---> 疑問こそ最大の武器使ふなら自らこたへ自ら思ふ 行有 
---> 繰り返し疲れて帰る家の中何とも言えぬ空気あるかな 行有 
---> 泣きぬれてわかってくれぬ苦しみを神が導く思いこそする 行有 
---> 大空に気合を込めて狩野川の橋を渡れば気分すぐれる 行有 


/*カサ忘れ*/
/*二つ同時に*/
/*持ち帰る*/
/*ロロノアゾロの*/
/*気分に似たり*/


<<追記20160624
人間の劣等性が言語を生み出し人間社会を構成した。
そこには現実との接点がある。
宇宙もそうだし天体もそうだし自然もそうである。
なのに人間の劣等性が非現実に向かって
私を困らせている。
結局現実を前に実行を繰り返すしか経験出来ない。
パソコンをどれだけ実行したかとか
俳句や短歌をどれだけ作ったかとか
今の仕事をどれだけこなしたかとか
それでようやく現実が見えてくる。
そこに人間としての知識がある。

なのに日本語が通じないのは
人間の劣等性にあるのではなく
戦略の間違いである。
もっと効果的な戦略を持つべきである。
誰が失敗だらけの戦略を参考にするのか理解出来ない。

そう言っても私の意見は聞いてくれない。
だから全部ヤケクソ気味である。
一体いつまでこんな不毛な議論をするのか私には信じられない。
そんなん無視でしょ。
もっと効果的な戦略を考えた方がいい。
明らかに間違っている。
そうやって私は私なりにヒントをばらまいている。
あとは本人次第である。

あれからアドラーの心理学読んでたら
優越感をもって耐えがたい劣等感を補償するのが
優越コンプレックスの正体だそうです。

私にとって優越するのは
何かが出来るようになる事である。
だから私の話を聞けば他人も同じ道を進めると思う。
なのに私の話を聞こうとしない人が私を困らせているだけである。
私はどこまでも話をする。
要は聞こうとするか聞こうとしないかしかない。
<<追記20160624end

<<追伸20160624
結局今週も書き込みを更新している。
外国語もあんまり書く材料が無くなってきた。
外国語も来月の1回ぐらいは出来そうである。
本を消化しては発想が浮かぶ。
仕事ネタもある。
生きている証拠は残せているかもしれない。
私としてはただそれだけである。
この日本が自由だったら
私はもっと自由に仕事している気がする。
それだけに権力に屈している気はする。
誰も私に接点を持たない閉塞感を感じる。
それも私にしたら生きている証拠である。
<<追伸20160624end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月25日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2016… 


---> 心太いただきながらもの思ふ 行有 
---> 五月雨や家の中にて一休み 行有 
---> 青梅をつついてまわる笑顔かな 行有 
---> 残鶯や響く心も終わりかな 行有 
---> 夏ツバメ見かける空はおいしいな 行有 
---> 夏蛙ものめずらしくとびこえる 行有 
---> 松田から紫陽花の時練り歩く 行有 
---> 汗をかきハーブ園にも愛がある 行有 
---> 花菖蒲いつかどこかで思い出す 行有 


/*夏至過ぎて*/
/*負けてられない*/
/*気分かな*/

2016年6月25日(土) 近況



<<追記20160625
迷惑な人がそんなに私に関わろうとするのが
私には全く理解が出来ない。
そんなに私は面白いのかと聞きたいぐらいである。
私自身全く関係無い話をしているようにしか思えない。
どうして私の人生において関係無い話を私にするのか戸惑うばかりである。

私の問題は私の中で解決している。
解決していないのはむしろ他人だけである。
それは私の問題になっていない。
子供の時も大人の時も解決していないのは他人だけである。
私自身は前向きにやっている。

大人になって前向きにやれたらそれでいいのと違う。
それが何でそろいもそろって後ろ向きにならんといけないのか理解不能である。
それが当面の不安材料である。
なんか話を聞くたんびにやってられなくなる。
どこまでこんな状況を繰り返すのか理解不能である。
もう少し私の正当防衛を認めてくれないかと文句言いたい気分である。
<<追記20160625end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月26日(日) 近況_part2



<<追記20160626
結局昨日外国語の来月の計画を立てて
七月は何とかなりそうである。
昨日は午前三時とか四時に目が覚めて
五時過ぎにまた寝てしまった。
今日は午前中は起きてもウトウトしていた。
かえって昨日雑草を抜いて疲れたかなあと思ったりした。
でもまだ三、四メートル雑草が残っている。

天気見てボチボチやりたい。

今日は
湯の国会館で昼食し温泉入って
帰宅後
ヤマダ電機で買い物して
イトーヨーカドー三島で買い物した。
何かやる事やったような気がした。

昨日は雑草抜いた後
枝豆をゆでた。
今日の夕食で食べ終えた。

ナンダカンダと過ぎてゆく。
人生そんなものかと思ったりする。
そこにも何か意味がある気がする。
未だそれがつながっていかない。
何かがつながる気がしている今日この頃である。
<<追記20160626end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月27日(月) 雑記_part2



<<追記20160627
今日は仕事して夕食の買い物して帰った。
通勤時に少し読書した。
何の意味も無く地球に生物はいない。
地球の生物は何かしらの意味がある。
なんか至る所動物植物の生物にはつながりがある。
お互い無関心そうな世界になんかつながりがある。
未開の領域に占める役割に
生物の存続がかかっているのか
あらゆる領域に生き物がいる。
それに何かつながりがある。

もしかしたらそれが宇宙につながっている気もする。
そうやって生物としての生き残りを図っているようにも思う。

ただ誰かが生き残っていく、そういったところに
私なりの使命があるのかもしれない。
それが人間と限らないかもしれない。
私が人間である以上人間を生き残らせる必要があるような気がしても
生物の私としても生物を生き残らせる必要もあるのかもしれない。
<<追記20160627end

とりとめのない趣味の小話2

最近の話

2016年6月28日(火) 雑記_part2



<<追記20160628
私としては自分が出来る事から現実化するべきである。
いくら他人が可能だって自分が可能で無いものまで可能にはならない。
自分を除いて他人が出来る事から現実化するものでは無い。
だから本人が可能になる事の方が大事である。

だから結局本人の問題でしか無いのに
他人の問題になっているのが根本的に間違っている。
そんなんより本人の不可能性の方がより深刻である。
それは私にもどうしようも無いからである。
それで私がどう関係があるのか理解に苦しむ。
関係無い人が関係無いように発言しているだけである。

あとはほとんど本人の問題である。

そして私は他人の不可能性まで議論する気は無い。
私の可能性を現実化するのみである。
ヒントはそこらじゅうにいっぱいある。
それを可能にするのも不可能にするのも他人である。

それでなんで私を取り上げる必要があるのか理解不能である。
他人の利権ぐらいしか思いつかない。
そんな簡単に済む問題なのか理解に苦しむ。
もっと努力した方がいい。それが私の第一感である。
<<追記20160628end

<<追伸20160628
外国語も定期的に詩を取り上げようかと
計画している。読解も必要に思う。
気分転換にもなるかなと思う。
最初は詩でも無く文章でもいいかなと思う。
少しずつ乗り越える機会にしたい。
有意義になるようになるといいなあと思っている。
<<追伸20160628end

とりとめのない趣味の小話2

2016年6月29日(水) 雑記



<<追記20160629
家に帰って俳句と短歌を作った。
外国語の計画はさておき古文と漢文が少し気になる。
後回しになっている。
ちょっとどうしたらいいか妙案が浮かばない。
数学の本もストックされつつある。
いずれにせよ自分なりに環境を整えば
周りも影響してくる。生物とはそういうもののように思う。
自分なりに工夫していると周りも追いついてくる。
それは人間もそうだし生物としても言える。
だから家事も同じ程度に意味がある。
人間的にも生物的にもである。
だから人間のやる事に意味がある。
私としてはそう思いたい。
そう思って生きていきたい。
そうして一つ一つ真実に近づきたい。
それが私ののぞみである。

それも時間がかなり必要な気がする。
ボチボチやりたい。
<<追記20160629end

とりとめのない趣味の小話2

最近の話

2016年6月30日(木) 雑記_part2



<<追記20160630
共同体の貢献と言っても
友達レベルとか会社レベルとか日本レベルとか世界レベルとか人間レベルとか
生物レベルとか太陽系レベルとか宇宙レベルとか
色々ある気がする。
多分お互い理解出来ないレベル差がある気がする。
私的には
公共性と私事は分けて考えるべきだと思う。
そうすれば私自身色んなレベルで考えられるからである。
何か私の問題の一部は公私混同にある気がする。
本人の問題が友達レベルだったりしている。
私のレベルが友達レベルだったりしている。
これでは私はいつまでも困った状況である。
私自身は私自身の問題であり他人は他人の問題である。
全く関係ない。
ともかく私自身は友達レベルをずっと続けているわけではない。
ある時は私の事のみであり
ある時は会社レベルだったりする。
それを全部友達レベルになんかなんない。
私自身なりようがない。
そういう私を悪だというなら悪かもしれない。
でもそれが私の冷静な判断である。
物事をすべて友達レベルで平和的に解決しない。
それが私の認識である。
文句あるなら神に言ってくれと言いたい。
一体今まで何を勉強してきたのかわからんが
そういう認識に至らないのはやっぱり教育の失敗である。
学校の先生が反省すべきである。
<<追記20160630end

<<追伸20160630
みんな賢い人の言う通りになる。
それでいいと私は思う。
何にも抵抗する事ない。
わけわからん人の言う通りよりマシである。
なのに小中学校の繰り返しである。
いつまでそんな話に付き合わなああかんのか理解不能である。
権力の乱用である。
みんなどうしようもないねえでいいと思えない。
せめて賢くなりましょうで結論である。
私もボチボチやりたい。
<<追伸20160630end

とりとめのない趣味の小話2


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