散歩みち

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

2009年10月3日(土) 私と能力


大学にいた頃FortranのGOTO文が判読できなかったり、
viのマニュアルが理解できなかったりした。

今日久しぶりにFortranのプログラムを少しだけ読み直したが
GOTO文が結構理解できる。

viのマニュアルで理解できなかった事は
ポイントの左右上下の移動である。今は理解しているが
当時は情けないけど落ち着いてマニュアルを読めなかったのである。

それだけではなく自分の人生の中で
得意と不得意が変わっている。
英語が出来たら数学が出来なかったり
数学が出来たら英語が出来なかったりする。

多分自分の精神状態が変わっているためだと思う。
自分が服用する薬だけでなく自分の周りの環境の変化もある気がする。

どう考えても私の人生は
落ち着かない劣悪な環境の中で生きてきたそう思っている。

2009年10月6日(火) 悟りと仕事


自分自身が精神上未熟と認識すれば
自分の仕事をやってやりまくるしかないそう思う。

自分の仕事をやってやりまくれば
その仕事に抵抗がなくなる。
普通に自分の仕事が出来るのである。

結局いろいろな仕事に抵抗がなくなるために
自分の仕事をやってやりまくるのである。

そこで自分はあらゆる抵抗がなくなっていき、やがて
この世の我が生にも抵抗がなくなり
ついには生きている事に感謝出来るのかもしれない。

2009年10月13日(火) JSTQBテスト技術者試験に合格


今日ホームページにて照合した。
自分の受験番号を見つけるまで相当緊張してしまった。

試験自体は難しかった。
自分の解答に少しだけ自信がある程度で間違いでもおかしくない感覚だった。

試験の料金は会社が出してくれたので
自分の義務は果たせたように思う。

振り返ってみれば
運が良かったそんな気がする。
会社の仕事が忙しく問題に取り組む時間が少なかったため
結局シラバスやテキストばかり読んでいた。
後になってみれば問題をやっても仕方なかった。

本試験はただ単語の意味についてシラバスやテキストをどこまで読めるかが
合否のカギだったように思う。

いつも思う事だが
なかなか試験に慣れない。今回もそうだった。

2009年10月15日(木) 私の身体的苦痛と精神的苦痛


我が半生(2009/10/15)を振り返ると私の身体的苦痛と精神的苦痛から
私は保護されるべき人間で
がんばるべき人間ではないそう思う。

なのにがんばる人間に属している気がする。
私の身体的苦痛と精神的苦痛を考えると
もっとがんばれる人はたくさんいるはずである。

そういう認識がこの世の中に欠如している。
私が活躍する以上にもっと他人が活躍しても良いはずである。
私が活躍するなんて恥ずかしい、
そういう認識が正常だと私には思えるのである。

2009年10月19日(月) 歯には歯を


才能のある蝶には才能のある花にとまる。
要するに歯には歯をという事だろう。

他人に自分の求めるものがあれば自分が求めるものにならなければ
話は成立しない。

他人にいろいろなものを求めてばかりで
自分は何を持っているというのだろう。

毎日私の幻聴は情報量の無い興味の無い話ばかりで
私と声の主とで何かが実現する気がしない。
全く夢が無いそう思っている。

もう少し他人に求めてばかりでなくて自分でどうにかするぐらいの
たくましい気構えが欠如している。
自分の力を信じられない他力本願の性格は幸せになれる気がしない。

他人に求める分だけ自分もがんばるしかないのではないかそう私は思う。

2009年10月20日(火) Visual studio 2010


Windows 7に伴ってVisual studio 2010がいつの日か発売されるようである。
F#というプログラム言語を学ぶ機会がやってきそうである。

個人的には便利な物を使いたいと思っているので
F#が使いやすければ当然使いたいと思うはずである。

何か次から次へと新しいものがやってきて
休むひまが無い。それだけに個人的なチャンスが生まれると言う事だろう。
何もプログラムだけの話ではない。
進化する地球全体がそういう機会を持っている。

個人的に自分にチャンスがあると思える自分がいるかという事は
チャンスをつかむ大きな要素である。
安月給だって自分の仕事に、ほんの少しでもチャンスがあるはずである。
それをほんの少しでも見出せるかは個人的な能力の一つである。

2009年10月24日(土) 近況


平日の仕事では
Windows Workflow FoundationとXOMLについての調査とサンプル作成を行っていた。
さすがに疲れがたまって休みの日の今日は比較的ゆっくりしていた。

休みの日もいくつかやりたい事はあるのだが来週に繰り上げである。
一応優先事項から片付ける予定である。

現時点のリストを上げると

今週の英熟語の復習、Visual studio .NETに関する本の読破、
図書館で借りた一冊の読破、「物語 数学の歴史」の読破、
Fortran90プログラムからC#プログラムにする事。

どうしても短期間に終えれる気がしないので気長にやりたい。
いろいろな事をやるといろいろな仕事がたまるようである。
今の所自分のやりたい事を優先できるからさいわいである。

2009年10月26日(月) 真剣になる事がコワイ。


ゴジラの本があるとして
ゴジラの本を読むのにゴジラになったつもりでその世界に没頭して本を読む。
それが自分にとって良い事なのかはわからない。

事実を冷静に分析してあくまで自分の立場をふまえて考えるのも悪くない。
私の場合、没頭するのにその世界に入り込んでいるのだが
自分の立場が不安定であるという欠点もある気がする。
自分の立場をしっかり持てればしっかりとした仕事が出来る気もする。

ありていに言えば自分の立場もあまりこだわらないから
何かを自分なりにかかえてしまう。
かかえたまま、どうにかしたいと思ってしまう。

多角的に見れる分だけもろいかもしれない。
直線的だけど頼りになるし強いも悪くないと私自身はそう思う。
個人的にはする事をするには正解があっても性格に正解があると思えない。
包丁でスパッといかないのが性格なんじゃあないかと思う。
だから興味の無い主張する女の話聞いても真面目に聞く気がしない。
性格に正解は無いのだから興味の無い女の主張ほど他人を不幸にするものはない。
大体私が何かをやりたいと折角思っているのにストレス与える女の主張なんて、
どう考えても女のセンス無い。
まったく聞く価値が無いから聞くだけ馬鹿馬鹿しいしあほみたいな気になる。
結局、興味の無い女の主張ほど罪悪なものはない。
だから自分の興味のある女の話しか聞かない。それで良いのではないかと思う。

2009年10月27日(火) 私の出来る限界


一定の合意に達しない他人の話のせいで
私はリーダーシップをしたいと思わない。
自分の当たり前が共有できない世界があるという、
うんざりした嫌な感覚を私は今も味わっている。

だから私は自分の当たり前を共有できる人しか興味が無い。
自分の当たり前が通じない人にどうやって接すれば良いのかわからない。

私にとってわかる人にわかってもらえれば良いのである。
すべての人にわかってもらう必要は感じていない。

もしすべての人がわかってもらえると他人が考えているならば
私の経験上無理ですと言うしかないし、遂行もしたいとも思わない。
自分の当たり前が通じない相手になすすべがない。

他人がどうであれ、
そういう認識が私の出来る限界なのである。

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

Akiary v.0.61