散歩みち
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2020年4月3日(金) 短歌と俳句と近況
短歌十首更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post.html
--->> なきぬれて春をむかえてウソのよう背中押される日差しを受けて 行山
--->> 春分の暑さ寒さは彼岸まで言い聞かすまでおもいは募る 行山
--->> 春なのにコロナウイルスみまわれて大事にしてる春分の日かな 行山
--->> まともにも付き合いきれぬ人生に地獄のような気分さえする 行山
--->> 連休もあと一日のあしたのみやる事やって一週間よ 行山
--->> 三月の峠を越してひかりありなるべくなって未来をのぞむ 行山
--->> 三月も録画を残し消化せずからまわりする淡き春かな 行山
--->> 赤ちゃんの泣き声響く生命にたくましくある元気のしるし 行山
--->> どうしてもうまくいかない他人ありそんな事よりやる事多し 行山
--->> この春も読みたい本が山のようぐっとこらえて冥土の土産 行山
/*春なのに*/
/*落ち着かぬもの*/
/*コロナあり*/
/*のぞむものなら*/
/*あたたかさかな*/
/*桜咲く*/
/*めでたさどこか*/
/*幽玄よ*/
/*じっと見つめて*/
/*考えるなり*/
俳句九句更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post.html
--->> あかるさは春の光に希望あり 行山
--->> 春の日に平和残してはかなさよ 行山
--->> ぬくとくていつも変わらぬ普通かな 行山
--->> 遊行に行き着くものか西行忌 行山
--->> 利休忌にどうなるものかワビサビよ 行山
--->> 面白くやる事やって春の陣 行山
--->> 春にあるたまりにたまるうらみ節 行山
--->> あたたかく何かが出来る期待値よ 行山
--->> 桜ある我が身に語るもう一歩 行山
/*涅槃西風*/
/*土産を持って*/
/*父と母*/
/*朝桜*/
/*祈りを込めて*/
/*念じてる*/
<<追記20200403
今日は診察日だった。一応最近の報告をしただけである。
昼食は沼津駅前で贅沢をした。海老うな重とアジの干物を注文した。
いつもは節約しているのでこんな時もあって良いかなと思う。
最後は静鉄ストアで買物して帰った。大場駅で隣近所と話をしながら帰った。
今日は桜の写真をいっぱい撮った。チューリップも咲いていた。
菜の花も咲いていた。チューリップも菜の花も写真を撮った。
大事なのは楽しく生きることかなと思う。
私に与えられた使命だと思って私の持ち場で楽しく生きる。
それが私が父に感じる事である。
それでも全体的にやり過ぎである。それは私は私で感じている。
それも誰もやらないからやっている気がする。
そんな意味で無責任地帯である。もっと大事に扱ってくれよと思う。
何で私だけが他人の要望をかなえなああかんのか理解不能である。
これ以上私にどうしろというのか理解出来無い。
ほとんど奴隷状態である。もっとプログラム作る人増やすなら
私に出来る事は山ほどある。みんなが仕事をしないのに私がやる根拠がわからない。
もうここまで来ると仕事が出来る人を増やすしかない。
それがプログラムに関して出来ている気がしない。
それを教育によって可能な人が限られている。物理学科でさえそうである。
それをトップダウンでやる人がいない。
私のボトムアップでも今の現状で今が限界である。
社会を変えるとしたらプログラム作って仕事するという人を増やすしかない。
それも他分野をこえて大事だと思う。それが大学で機能していない。
それが仕事に人間がぶら下がっている状態である。
もっとあんなことこんなこと出来るよねという発想が大事である。
そんなプログラムを作る仕事が障害者にとってここ三島市には皆無である。
それが私にとって教育の失敗であり教育が時代に追いついていない現状を感じる。
それが私の大学時代からしてそんな現状を感じる。だから大学が全てのように思えない。
やる事は他にもいっぱいあるのが大学だった。
それが私の大学を出た根拠である。そうやって外堀を埋めた結果今がある。
明日もゴミ出ししてゆっくりするつもりである。
<<追記20200403end
<<追伸20200403の小言
私が頭にあるのは何のために自分の時間を使うのかということである。
プログラムのためにとか物理のためにとか日本のためにとか自分のためにとか
それを全体的に考えるのが物事を難しくしている。
だからあんまり学歴や職歴なんて参考にならない。
短絡的に考えれば学歴や職歴なんだろうと思う。そんなに簡単に人生ははかれない。
それぐらい全体的に考えるのは難しいと思う。
なのに物事を簡単に解釈しようとする他人に迷惑している。
私にはそれが全く無関係だと思っている。
何とも言えない現実が残っている。それが私の年代だろうと思う。
他人の罪悪ばかり私は感じる。
それぐらい私は私で真面目に生きてきたということだろうと思う。
その重さを感じ無い人が問題を起こしている。
それが私自身奴隷に感じる理由のように思う。決して軽くないそう思う。
なので何となくそれを解放するのは楽しく生きることかなと思う。
つまらない人がつまらない文句を言ってる。
それを解決するのは楽しく生きるしかない。それが私の本音である。
<<追伸20200403の小言end
2020年4月4日(土) 近況
<<追記20200404
今朝は遺伝学研究所の門の前まで歩いた。目的は門の前の桜である。
途中で桜吹雪があったりウグイスの声も幾度もあった。
コンビニでお茶と弁当を買った。それで家に帰ってきた。
去年血糖値が悪かったので特定健診の時に指摘されたのだけど
四週間前の血液検査では無事に正常値のようである。
三時のおやつのおにぎりが悪かったみたいである。
ご飯も食べ過ぎると血糖値が上がるらしい。子供の時はたくさん食べた記憶がある。
それなりに歳をとっている気がする。
「ロックダウン」で昨晩少しネットで調べたけどかなり経済に悪影響あるらしい。
数週間でも一年とか数年で取り返し出来無いらしい。
地方にも影響が出るとか書かれていた。
今朝は歩いて汗が出た。そろそろ判断の分かれ目に来ている気がする。
私は私で今出来る事をやっておくぐらいしか準備できない。
幸いそういう事が山のようにある。だからあんまり心配していない。
何事も時間との格闘である。いつになってもそれだけは残る。
写真は撮るけど録画や音声はとらないよなと今日は思った。
明日も歩いた方が良さそうである。
それぐらいの天気と桜のように思う。
今日中に外国語やって仏教と芸能関係の本も読んでおこうと思う。
こんな良い天気に家にいたら運動不足になる。
散歩ぐらい許されるというのが三島市の地域じゃあないかと思う。
仕事するのに外出している現状だから今の所おかしくないように思う。
一体この先どうなるのか検討がつかない。
それでも自分に出来る事をやるしかない。それが少なからずの私の信条である。
まだまだやる事はいっぱいある。そんな簡単に終わらない。
それが私の現状である。ボチボチやりたい。
<<追記20200404end
<<追伸20200404の小言
家の中はまだ比較的寒い。だけど外に出て日差しを受けると汗をかく。
それでも服を着ていれば家の中でも過ごしていられる。
何となく春本番のように思う。それでも頭はコロナウイルスでイッパイである。
全てはコロナウイルス次第である。
<<追伸20200404の小言end
2020年4月5日(日) 近況
<<追記20200405
今朝はまた遺伝学研究所の門の前まで歩いた。ウグイスの声もとったけど
風と他の鳥の声まで入ってイマイチだった。
昨日の方がベストだったような気がする。
音量も弱くてエフェクターで増幅した。それでも音量が弱かった。
http://wakkii.umu.cc/poem_road/2020_04_05_BIRDS.wav
それでも今日は昨日と違って上着を着ないで歩いたけど汗をかいた。
桜も散り始めた。昨晩のNHKスペシャルだとコロナウイルスは長期戦らしい。
今のうちに発病した方が良いのか悪いのか含めて
私も何が良いか悪いかわからない。それぐらい未知の世界もあるように思う。
安全な時にうつったら何となく悩まなくて済むような気もする。
そういう意味で人間とウイルスの攻防である。
昨日はコロナウイルスの急所を見つけるのが大事みたいな事は言ってた。
だからあんまり何が良いか簡単に良い方法は見つからない。
それだから何事もベストを尽くすしかない。今出来る事をするしかない。
そうやって局面を打開するしかない。
今の所短歌二首を作って古文と英文の作文やって今週の日課は終わりである。
そのため他の読書もして今日一日を終えようと思っている。
昨日と今日と歩いたので少し元気かなと思う。
何となく私の方が気楽かもしれないと脳裏によぎった。
私は私で大変だけど我慢すれば良いだけで何の努力もしていない気がした。
それぐらい私には結果が結びついてこない。
何事も保留のオンパレードである。それが私自身信じられないけど本当の話である。
だから何を言われても自分の結果について黙っているしかない。
それはそれで犯罪レベルである。
こんなに世の中を明るくしている奴がいるかと思うけどそれが通じない。
何事も言われたい放題である。それが私の現実である。
明日は仕事である。ボチボチやりたい。
<<追記20200405end
<<追伸20200405の小言
4/26(日)までJRさわやかウォーキングは中止のようである。
最近は家でゆっくりすることが多い。それも自分を見つめ直すキッカケかもしれない。
料理の作戦を練ったりもしている。夏に向けて少し料理が変わる気がする。
あったかいものからつめたいものに変わる気がする。
からいものも作ってみたい。何事も楽しむ事かなと思う。
夏野菜にもチャレンジしたい。それにしても物事は予定通りいかない。
それが悩ましい現実なのだと思う。
それで作戦を立てる。そのくり返しである。よろしく。
<<追伸20200405の小言end
2020年4月8日(水) 近況
<<追記20200408
今日も仕事した。大場駅で散髪して帰った。
それで何とかほっとした。
あまりに奴隷扱いで困っている。私はゲームなんかやりたくない。
こたえのない仕事が出来ない人が要求しているとしか思えない。
何で私なんかがこたえを出さないと他人が生きていけないのは罪悪だし
民主主義じゃあない。
一人で何とかするのが民主主義である。
それなのに比較対象が無いと生きていけないのは私には全く無関係である。
要するに自分でこたえが出ない人が問題を起こしている。
そんなんで世の中は民主主義にならない。
自分でどうにかするのが民主主義である。
そんな他人がいないと生きてけないのならそういう生活をすべきである。
私はそんなのとひたすら無関係でいたい。それが私の本音である。
今週も何か読む本が増えている。結構自分でどうにかなるものだなと思う。
それはそれで宿題のオンパレードである。
父に言われて本を読むことがあったけどそんな他人の影響が少なくなっている気はする。
---------------------------------------------------------------------------------
老子、荘子、朱子学陽明学、日本の三大宗教、仏道、芸能、聖徳太子、
論文の書き方、英語、プログラム、セキュリティ、データベース、
「複眼的思考」のススメ、外国語、狂歌、本歌取り、
随筆、日記、物語、詩、俳句、和歌、物理
---------------------------------------------------------------------------------
こんな感じが最近の興味である。他にも宿題が残っているけど
保留状態である。そのため未来はあんまり心配はしていない。
正直言うといつ死んでも良い。女が困るだけである。私はいっこうに困らない。
それぐらい腹をくくっている。そうやって他人を見て判断している。
そういう他人なんだと私は理解している。
もうちょっと全体的に自立した人間になるべきである。
男も女も最低である。それが私に何の関係があるのかチンプンカンプンである。
一人でこたえが出ない人が私に何の関係があるのか理解不能である。
そんなゲームは迷惑でしかない。もっとそんなのと関係のない生活がしたい。
そんなわけで民主主義は崩壊している。
高校の時に自立した大人になれと言ってた先生がいたのに
未だ持って自立していない大人が問題を起こしている。要するに高校時代と同じである。
いくら他人がゲームしたいからと言って私はそんなゲームはしたくない。
それは東芝テックの子会社の時からそうである。
十年以上もかけて問題が解決しない。ほとんど犯罪である。
もっと自分でこたえを見つけるべきである。それが私の本音である。
一応金曜日の短歌と俳句のブログまでおとなしくしていようと思う。よろしく。
<<追記20200408end
<<追伸20200408の小言
コロナウイルスで出勤するのも気が重いけど、いつ死んでも良いからどうでも良い。
本当に面倒な世の中だなと思う。東京で仕事するのも難儀である。
今にしてみれば色々悩んだけど三島にとどまって正解だったように思う。
そんなこんなで住めば都である。長所短所がある。
今週の仕事もあと二日である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200408の小言end
2020年4月9日(木) 近況
<<追記20200409
私自身の人生に逃げも必要だった。だからあんまりゲームに逃げるのも否定しない。
だけどそれで終わらせるのはあんまり良くない。
いつかは逃げたものを取り返すぐらいじゃあないと逃げた意味がない。
つまらない思いをしたぶんそれを取り返さないと人生としてはもったいない。
当然他人に対して私を比較対象にして好まないゲームをしているのだから
ゲームをしている私はそれを取り返す権利がある。それが私の自然な権利である。
そういう犯罪をしているのだから当然である。
それが私の逃げとしての代償である。私の権利を取り戻す必要がある。
それが私が好まないゲームをやっているそういう認識である。
それを取り戻せないならほとんど犯罪である。
それが私の逃げとしての私の考え方である。
今はそれで良いかもしれない。それでもいつかは取り戻す必要がある。
それが私の人生の考え方である。それが出来無い逃げは最後まで逃げである。
逃げててそれで良いのかは本人が考える事であって私の問題ではない。
なので私の人生において逃げと保留はつきものであるが
いつかは乗り越えるべき逃げと保留である。
そうやって私は宿題を増やしてきたしそれなりに消化もしてきた。
けっして他人のゲームにとやかく私が言う権利はない。
けれど私自身に関してはそれは別問題である。
私にとって取り返しの出来無いゲームはやりたくないというのが私の気持ちである。
私自身には世の中にはもっと面白いものがあると思う。
それを見出してゲームを乗り越える方が私的には知的である。
今はゲームで楽しんでても良いけどそれに変わるものを見つける方が大事である。
なので私はゲームなんかつまんない精神的な消耗戦でしかない。
だから他人が私にゲームを仕掛けるのは犯罪レベルである。
他人はそれで良くても私は良くない。
決して私は逃げたらあかんと言っているわけでない。
いつかは取り戻すべきだと言っている。それが私のゲーム論である。
今日も書き込みしてしまった。明日は短歌と俳句のみにしたい。
<<追記20200409end
<<追伸20200409の小言
今日は高浜虚子の俳句の本を買った。ちょっと読んだけど
正岡子規より良い気がした。それぐらい芭蕉はスゴイような気もする。
今の時代だからもっと良い俳句が作れるはずだと思う。
アドバンテージは昔の人より今の人のように思う。
それだけに芭蕉のすごさを感じるけど私は私でアドバンテージを有効に使いたい。
高浜虚子って昭和も生きたみたいである。図書館で私はその存在に気づかなかった。
今日は本を読んでて知った。明日もよろしく。
<<追伸20200409の小言end
2020年4月10日(金) 短歌と俳句と近況
短歌十首更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_10.html
--->> 今晩も疲れのたまる雑務あり終わる頃にはあしたをのぞむ 行山
--->> やり残すものはないかと考える春の空にも問いかけつつも 行山
--->> 帰宅中桜見とれてこころするいつかどこかでまた会う日まで 行山
--->> 今週も仕事が終わりやれやれよ課題の残る土日あるのみ 行山
--->> 横になり色々思ふ休日に長き時間が通り過ぎ行く 行山
--->> 愛らしくかわいいものはあるけれどこだわり過ぎて気持ち悪いね 行山
--->> 春寒く桜チラホラ幽玄よ心あるもの探しながらも 行山
--->> 今週もやる事やって仕事なり未来見えない毎日かしら 行山
--->> 願ふなら四月に入りあたたかくコロナウイルス退散モード 行山
--->> 何となくやる事あっておそれなくいつもの通り過ごすものなり 行山
/*なんべんも*/
/*桜をめでて*/
/*別れあり*/
/*記憶を重ね*/
/*たくましさかな*/
/*よみがえる*/
/*桜を前に*/
/*昔あり*/
/*深まるほどに*/
/*ひとごとかしら*/
俳句九句更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_10.html
--->> 何となくここまで来れた春がある 行山
--->> たえしのび目の前に咲く桜あり 行山
--->> 祈る春何とかすれば山のよう 行山
--->> 大場にて蝶々に出会い黄色なり 行山
--->> あたたかく火の鳥なのか青かった 行山
--->> 春にして子供に笑顔似合うかな 行山
--->> 桜咲き決意をもとに願ふかな 行山
--->> 花のある節目をむかえ歩き出す 行山
--->> 花に向け誓うものならゆれるかな 行山
/*花吹雪*/
/*決意固めて*/
/*記憶する*/
/*ウグイスに*/
/*対応せまる*/
/*スマホかな*/
<<追記20200410
人生何のために生きるのかチンプンカンプンである。
バカとアホの男と女のために生きているわけでない。
それに付き合う義理が無い。もっと違う理由で生きている。
私にとってバカとアホが主人公では無い。
それがなんで振り回されるのか理解不能である。
もっと自分でどうにかこたえを見つけるべきである。それが自立であり民主主義である。
ひたすらに私には無関係である。
なのになんでそれが私に何の関係があるのかわからない。
私にはそんな人付き合いきれない。そんなのに付き合うなんてほとんど犯罪である。
それが私に何の関係があるのかチンプンカンプンである。
私はそんな男と女のために生きていない。
そんな美的感覚で生きている。そこには正義が存在しない。
もっとやること他にたくさんある。ただの時間の無駄である。
バカとアホの男と女のためになんか生きていない。勝手にしろである。
もっと取り戻せる逃げと保留をすべきであって宿題にもならない。
ただひたすらに無関係である。それに付き合う自体が犯罪である。
<<追記20200410end
<<追伸20200410の小言
どうしてこんなお荷物の会話を続けるのかチンプンカンプンである。
それでどうやって国民は賢くなるのか理解不能である。
もっと賢く生きるべきである。
それが出来無いなら民主主義も成立しない。家族も家庭も成立しない。
それなのになんでそんな状態を許すのか理解不能である。
無駄に無駄な事やっているだけである。賢い会話が成立しない。
ひたすらに私には無関係である。勝手にしろぐらいしかない。
もっと私を大事に扱って欲しい。現状はこき使っているだけである。
そうやって女はラクをしようとする。もう私には無視しか対応出来ない。
それが本音である。
<<追伸20200410の小言end
2020年4月11日(土) 雑記
<<追記20200411
こたえの無い仕事を何で私が比較対象になってこたえを出さなければいけないのか
本当に奴隷も良いところである。
そうやってこき使って平気である。そして女はラクをする。
そんな男と女には無関係でいたい。
何となく賢い話が出来無い人とは無関係でいたい。
それが出来るか出来無いか問われていると思う。
あんまりどうでも良い男と女なんてどうでも良いというのが本音である。
ひたすらに会話出来る人と会話するだけである。
あとは全部無関心である。だからあんまりどうでも良い他人なんて私には論外である。
勝手にやっていれば良いと思っている。
私には頭にあるのはどうやったら一流として生きれるかぐらいしかない。
あくまで私が問題である。それが私の王道である。
そんな横道にそれる人がどうしようと関心が無い。それが本音である。
まわりがどうであれ私が一流として生きる。それが私の関心である。
なのに現状は賢い話が成立しない。
それで一方的に私は一流を求めている。それが現状である。
結局奴隷でしかない。まわりについていけない。それが本音である。
そういう人がまわりで事件を起こしている。
私は私で王道を求めている。それが私の現実である。
そういう私のまわりは誤魔化しのきく仕事をしている。それが私の認識である。
一方的に私は王道を求めている。それが私の現状である。
他人が極悪非道に見えて仕方無い。それが私の感じるまわりである。
それでも一方的に私は王道を求めている。それが奴隷の由縁である。
そんな他人のズルさが際立っている。相手にならない。それが本音である。
そんなんより賢い話がしたい。それが私の欲求不満である。
理路整然として会話がしたい。その逃げ場も物理のような気がする。
格闘の場でもあり逃げ場でもある気がする。
コロナウイルスは未知のウイルスだから危ないのだと思います。
段々ウイルスの情報が得られれば恐れは無くなると思います。
それまで人間とウイルスの戦いです。
春になって落ち着きが出てくるのかが関心事であり
また冬になったらどうなるのかがまた関心事です。
必要なのはいつになってもウイルスの情報戦だと思います。
そんなこと言うのもストレス発散です。それぐらい仕事でつまらない思いをしてます。
こき使われて奴隷そのものです。また何かあったら書き込みます。よろしく。
<<追記20200411end
<<追伸20200411の小言
土日は家にいて時間があるので外国語を二回やろうかと思っている。
今の所、月火、水木金、土日、のローテーションで日課を進めている。
それ以外にもkindle whitepaperを持ち歩いて単発的に読書している。
英語以外の外国語は土日にやっている。その外国語を二回やろうと思っている。
他には今から桜並木を散歩したい気はする。
何となく平和を求めています。今の所地獄にしか思えません。
それぐらい他人は自分勝手なんだと認識しています。
賢く生きれない。それが私の感じる浮世です。
物理の世界さえ知らない人が問題を起こしている。そんな美的感覚が欠如している。
より美しいものを感じられない人が問題を起こしている。
要するにありえそうな自然世界観が欠如している。そんな美的感覚を知らない。
そんな可能性のある哲学が欠如している。
それが私のやったことの一部である。そんな賢い理路整然とした会話が成立しない。
それが私の欲求不満であり私の逃げ道である。
もっと賢い理路整然とした会話がしたい。それが物理の世界には確かに存在する。
それを知らない人が問題を起こしている。それが私の実感である。
要するにそういった人が極悪非道に見えて仕方ない。それが本音である。
<<追伸20200411の小言end
2020年4月12日(日) 雑記_take3
<<追記20200412
昨日はカミュのペストを百分で名著で四回見たあと外国語をやった。
今日も外国語の二回目をやる予定である。
何となく学校と仕事の不条理文学作れないかと思ったりした。
一応今の所形にはなっているけど私には不条理である。
真面目に考えると真面目に生きれない学校と仕事である。
それがそのまま私の評価になっている。つまらない浮世である。
形ばっかりになってて中身はスカスカである。
賢いとは何かからして中身が無い。それも学校と仕事も同じである。
まさに不条理である。それで私は賢く生きたいだけなのである。
それだけのために問題が起きて学校と仕事も不条理になってしまっている。
先生が先生の役目を果たしていない。それもまた不条理である。
真面目に賢く生きれば生きるほど不条理な浮世に見える。
結局学校と仕事に中身が無いのが問題である。それがそのまま不条理である。
そんな危機感が無さ過ぎる。もっと中身のある学校と仕事にすべきである。
それでもカミュのペストは第二次世界大戦のフランスを本にしたらしい。
私にはこの日本が空洞化しているように見える。実態が無い。
それも学校も仕事も同じである。それがそのままデフレの原因だと思う。
形として残っているけど機能していない。
もっと人間が求める学校と仕事じゃあないといけない気がする。
あまりに人間が無責任過ぎると思う。責任逃れのために形が残っているだけである。
そんなこんなで真面目に賢く学校と仕事を考えられない。それが本音である。
そんな不条理を学校と仕事に感じる。
何事も全体的にマクロで考えれる人がいないのが原因だと思う。
個別に細かい事を考えるのは得意でも全体的にマクロで考える人がいない。
それなので私は私で不条理に生きていると思った。
それは社会の空洞化と同義語のように思う。
それでも人間は真面目に賢く生きなああかんと私は思っている。
それはそれで奴隷のように感じる原因でもある。
そんな無責任を続けて良いのかもっと真面目に賢く考えてもらいたい。
必要なのは無責任を許さない防波堤のような人である。それが私の本音である。
<<追記20200412end
<<追伸20200412の小言
私としては人間が生きやすくなる社会をのぞむ。それが閉塞感丸出しである。
もっとオープンな開かれた社会をのぞむ。
それが実現していないから何となく本読むしか今の所対処出来無い気がする。
仕事と学校が機能していない。
ともかく明日は仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200412の小言end
<<追伸20200412take2の小言
私は私で幻聴の統合失調症である。それはそれで不条理である。
それで数々の困難をかかえている。カミュのペストを借りなくても
社会的にも個人的にも不条理である。それで本当は私は病気じゃあ無いかもしれない。
そんな医者に対して暗黒の状況を感じながら生きている。
そういう意味で第二次世界大戦のようにカミュのペストのように
私の全人生がそういう状況に置かれて物理やったり仕事やったり
日課をしたり書き込みしたりしている。未だにそういう状況を脱出出来ていない。
それでも小学生の頃から薬飲んで耐えているというのが私の全人生である。
だからこれ以上困るとしたら死ぬだけである。私はそれでも良いと思っている。
だから十分に私は不条理なのである。それが私の実感である。
そんな弱いものいじめを医者も含めてやっていると思っている。
やりたいようにやれと思っている。そこには正義が無い。
私がこんなに確信を持っているのは毎年健康の状況が変わるからである。
あきらかにあやしい。歳のせいより変化が大きい。それが私の本音である。
それもひとごとじゃあない。次はあなたの番かもしれない。
そうやって医者は勉強している。太平洋戦争の631,731と同じである。
<<追伸20200412take2の小言end
2020年4月13日(月) 近況
<<追記20200413
聞こえない声が聞こえるのが幻聴だけど病状としては統合失調症と分類される。
私としては滅茶苦茶ストレスである。私としては何か考えている方がラクである。
四六時中私は聞こえない。夕方頃が多い。リラックスしている時も多い。
なので基本的に音楽を聞くとか何か行動している方がまぎれる。
聞こえても気にならないからである。
薬は早起き出来無い原因である。眠気があって多分それで夜は寝れている。
薬が無いと夜昼逆転する。幻聴があると目がさえる。全然眠くならない。
まだ色々あるけど今日はこの辺にしとく。
「全世界は統合失調症の人に敗北した。」それが私の美的感覚である。
物理も言いたい事は山のようあるけど
それは私の事があかるみになってからにしようと思っている。
とりあえず病気のことと物理のことを今日書こうと思ったけど
おばあちゃんにも母にも父にも報告出来無かった無念は当分おあずけである。
何事も順番である。なのでその順番がまだ今でない。
最終的には墓参りして報告するまで機が熟していない。
私の本音は「急がば回れ」である。人間最短距離をいこうとするあまり
成功しない原因のように思う。大学の外に行ってもやる事はイッパイある。
そのイッパイを大学で実現していないから私に役が回ってきている。
私としてはそういう意味ではチャンスをイッパイ作るのが先決のように思う。
得てして最短距離目指して失敗している。
それが私の学歴職歴論である。
もっと自分が大切にしたいことを中心に考えるべきである。
それが人間の目的になりうる。そういう事を考えてないから失敗する。
それぐらい考える事とやる事はイッパイある。
それが他人に出来ている気がしない。それが私の「急がば回れ」にあらわれている。
適当に勉強して適当に仕事している。
もっと考える事とやる事はイッパイある。それが出来ているか考えるべきである。
私は思うに可能性のある話はもっと可能性が上がる。
可能性の無い話はますます可能性が無い。それが自然科学の現状のように思う。
要するにそれに気づかない人が問題を起こしている。
完璧とかバカとかアホとか言っている人が問題である。
いかに可能性を上げるかが大事である。それが科学の美的感覚である。
完璧にいかないとか出来無いとかそんな思考で自然は成立していない。
出来るだけ可能性を上げるのが自然科学である。
それが人間と神様の関係だと思う。
つまり人間社会の活動としては可能性が上がるのが大切である。
それが上がらないのなら自然科学は成立しない。それが神様と人間の関係である。
そうやって自然観が生まれる。明日はボチボチゆっくりしたい。
<<追記20200413end
<<追伸20200413の小言
今日はたまたま自分の病気と自分の物理観や自然観について書こうとお昼に思ったので
書き込みした。おおむね今の言いたい事は書いた気はする。
なかなか人間は最短距離には進まない。
私が最短距離なのかあんまり自信は無い。色々やる事と考える事はイッパイある。
手当たり次第やるというのが私の現状である。
それが最短距離と呼べる気がしない。それぐらい不確定要素が強い。
やってみないとわからないこともたくさんあるように思う。
だからこそ可能性の上がる事を考えないといつまでたっても成功しない。
要するに出来無いで済まない。
そんな時代なのに何で私が出来無い事を考える必要が無い。
そんな事を考えている無駄な時間なんて存在しない。ひたすらに無関係である。
必要なのは可能性を上げる事である。それを下げる事なんて考えない。
それが私の本音である。
<<追伸20200413の小言end
2020年4月14日(火) 近況
<<追記20200414
ここまで来ると他人がどうにかするためにイチャモンをつけているだけである。
それに付き合う私も私である。
エンドレスに文句を言っているだけである。そんなのゲームにもならない。
どうしようもないからどうしようもないというのが結論である。
いつまでそんな他人と付き合う必要があるのか私にはチンプンカンプンである。
男も女も最低である。それが私の頭で渦巻いている。
もっと楽しい仕事と生活がしたい。それが本音である。
それが現状最前線では苦しんでいる人がイッパイいるような気がする。
それが私の現状をあらわしている。
神に嫌われている。もっと神に好かれる人間になるべきである。
要するに努力になっていない。私にあるのは「急がば回れ」である。
順番が間違っている。そうやって努力しないから神に嫌われている。
それが私の信条である。
もっと考える事がイッパイあるというのが現状のように思う。
それを私だけの問題にするのもナンセンスである。
バカもアホも秀才も休み休みに言えと思う。
そうやって他人は自分の利己主義に走る。
もっと人類とか世界のために生きるべきである。
それが出来無いから「全世界は統合失調症の人に敗北した。」である。
それが私の美的感覚である。真面目に勉強と仕事をしようとしない。
そのツケが回っている。正義が存在しない。
私は統合失調症で仕事にも閉塞感丸出しである。
正社員になる権力は三島市には存在しない。それが私の認識である。
今は東京はコロナウイルスで大変かも知れない。
それでも三島市ではまともな仕事はやって来ない。
それが私の三島市の短所と長所である。
それでもネット上で私の出来る事はやっている。それが私の信条である。
私のスキルは仕事にも生活にもなっていない。それが私の現状である。
それを社長は容認している。それが三島市の現状である。
みんな適当に勉強して適当に仕事している。私は私でネット上でやる事やっている。
そんなことをやろうとする奴がいない。それが神様に嫌われる原因である。
なので私には正義が無い。神様の判断次第である。
明日もボチボチやりたい。
<<追記20200414end
<<追伸20200414の小言
今日は少し庭の雑草を抜いた。まだ雑草が残っている。
しばらく芝の状態を見極めて作業したい。あんまり一挙にやる事無いか思っている。
今日はあんまり病気の話はしなかったように思う。
病気の不満はたくさんある。社会的に認められないのもある。
正社員になれないのもある。仕事しても成果にならない。
結局法律が私を差別している気がする。逆差別である。
まともに報酬を払う気が企業に無い。そして社長は私のスキルをあきらめている。
それが私の現状である。それが私の認識である。
抵抗してもしょうがないのである。結局得するのは企業だけである。
だからあんまり転職する気が起こらない。
静かにじっとスキルを積み重ねることだけに重点している。
それが私の統合失調症の気持ちである。
出来るだけ書き込みを減らしたい。今日はそんな私の閉塞感をあらわした。
今週もボチボチやりたい。
<<追伸20200414の小言end
2020年4月15日(水) 近況
<<追記20200415
何が知的とか何が頭の健康なのかわからない人が自分の人生を何とかしようとしている。
それで私に文句が出てくる。なんで私はそんなのに付き合う必要があるのかわからない。
頭がスッキリするとか何か面白そうとかほど遠い。
何でそんなために私を奴隷にするのかがわからない。
ここまで来ると民主主義なんて成立しない。自立も無理である。
他人と比較しないと問題が解決しない奴ばかりである。
私には競争はしなくても生きていけると思う。
21世紀は競争の無い社会を目指すべきだと思う。
今日一日を充実させて何かを想像して自分のやりたい事を考えれば
おのずと競争なんて無用である。十分満足して生活出来る。
そんな一週間を私は満足して送っている。だから競争はいらない。
だから競争よりもっと自立した大人になるべきである。
それが出来るのでバカとアホと比べても何の得にもならない。それが私の結論である。
ただ迷惑なだけで奴隷と一緒である。
もっと自由に全世界に向かって生きるべきである。
そんな面白い人生が一人で送れる。それが私の本音である。
それなのに何が賢いのかもわからん人が文句を言っている。
それに私は何の接点も存在しない。勝手にやってろぐらいしかない。
要するに男も女もどうしようもない。
もっとまともな会話がしたい。それが私の本音である。
それも出来ずに賢く生きれないと思う。人形みたいな人生の何が幸福なのか
私にはチンプンカンプンである。もっとやる事はたくさんある。
なのにつまらないの現状である。必要なのは理解出来る会話である。
それが出来るか出来無いかぐらい私にも判断出来る。
それが私の判断材料である。
私の人生をふりかえって今の私ならもっと学校で出来る事もたくさんあったかなと思う。
それぐらい私には時間が必要だったし今もそうである。
自然本来の道が老子らしい。
荘子は絶対的価値観というよりは人それぞれの価値観の容認らしい。
それにしても現実も知らん人は迷惑でしかない。
要するに自然に反している。要するに薬がきかない。
そのため人それぞれの価値観でいると厄介である。
そんな価値観を認められないというのが本音である。
競争も老子も荘子も破綻している。それが私の頭で起こっている。
何かカミュのペストに影響して書き込みが続いている。
「複眼的思考」ノススメの本読んでて今日の参考になった。
なんか反論に近いけど私になり考えた結果である。私は私で色々あるんです。
それが私なりの誠意です。他にも老子荘子の本とかも読んでます。
ともかくボチボチやりたい。
<<追記20200415end
<<追伸20200415の小言
そんなこんなでこの世に何が必要か説いているわけです。
それが出来るのも結果が出ているからのように思います。
学生時代はあんまり深く考えて勉強してなかったように思います。
そういう意味で何か偶然が強かった気がします。
それが確信にいたるまで時間がかかりました。それぐらい私には現実が強烈でした。
それが私の大学を出た旅の結果でした。
もっと確信を持って勉強してもらいたいというのが私の若者に対する思いです。
それぐらい私のやったことは偶然性が強かった。
なので競争が無くても今はもっと違った人生を送れる気がします。
それでもアジアの時代が来たら良いなあと私も思います。
それも民主主義が成立するかどうかがキーポイントのように思います。
民主主義が成立するように個人主義の何かを変容する必要があるかもしれません。
それは何なのか世界の全体とか日本の全体とか考えないと見えてこない気がします。
今日はこの辺にしときます。金曜日までおとなしくするか私にもわかっていません。
よろしく。
<<追伸20200415の小言end
2020年4月17日(金) 短歌と俳句と近況
短歌十首更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_17.html
--->> 春なのにスッキリしない昼下がり私に出来るもう一歩かな 行山
--->> 春の昼何でも出来る悲しみにうちひしがれて桜を思ふ 行山
--->> 診察で桜並木を通り過ぎおいしい空気満天の空 行山
--->> チューリップ生きているのも不思議なり母の心も照らされるかな 行山
--->> 我が部屋でパソコン使う久しぶり父がいた頃思い出すなり 行山
--->> 母にある心はどこかうわの空過ぎ去る時間竜巻みたい 行山
--->> 桜散りさらばと唱えケジメつけ一歩一歩の道中かしら 行山
--->> 桜からかけがえのなき時にして前進のぞむ新年度かな 行山
--->> 桜散り別れを告げる覚悟していつかどこかでまた会う日まで 行山
--->> 桜にも願いを込めて見つめつつはかなきものと心得るかな 行山
/*不満から*/
/*いらだち募る*/
/*書き込みに*/
/*神様だけが*/
/*知り得るかしら*/
/*毎日の*/
/*やる事多く*/
/*寝る頃に*/
/*無事に終われば*/
/*やれやれかしら*/
俳句九句更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_17.html
--->> 遠目でも近目で見ても桜かな 行山
--->> 花だから決意あらたにこころする 行山
--->> 何となく桜求めてさだめかな 行山
--->> ウグイスにもう一歩かなこたえてる 行山
--->> 花の咲くこたえ求めて見つめてる 行山
--->> 菜の花の輝く黄色まぶしいな 行山
--->> 桜から昔の記憶よみがえる 行山
--->> 見つめると問いかける花立ち止まる 行山
--->> 花吹雪別れを告げてくり返す 行山
/*風光り*/
/*歩いて行けば*/
/*コブシかな*/
/*菜の花の*/
/*黄色に残る*/
/*まぶしさよ*/
<<追記20200417
今の所非常事態宣言出ても仕事はあるらしい。そのつもりで来週も出勤する。
仕事自体は減っているようである。まわりは時給みたいなので
収入は減っているみたいである。私は時給だけど働いている時間は変動していない。
そのため今の所収入は変わらない。それでも休業したら正社員も給料無くなる気がする。
父の説明だと正社員の一定時間が無かったらその分の時間は減給になると
父に言われたからである。時代が変わって変わるかもしれないけど
それが父の意見だったからである。
ともかく土日に入る。先週は外国語を二回やったけど今週はもっと違う事がしたい。
どうもさわやかウォーキングは六月末まで中止のようである。
七月八月はいつも中止なので九月まで開催されない。
読書ぐらいしかやる事ないけど料理も覚えたいなあと思っている。
ここんとこ野菜買って白菜モヤシキャベツがある。
中華風に野菜炒めを作ってみたい。それが土日の作戦である。
それとkindle whitepaperの読書もしたい。外国語は一回して
古文と英文の作文を土日に一回ずつやる。
あとは散歩した方が良い気もする。どうなるかわからないけど
土日はゆっくりしたい。何事もボチボチである。
<<追記20200417end
<<追伸20200417の小言
明日は雨のようである。明後日は晴れるみたいだから明日洗濯である。
それでも土曜の朝はゴミ出しである。
何となく買物も散歩も晴れの時にやりたい気がする。
なので明日はおとなしくしていようと思う。野菜炒めぐらいである。
土曜に出来る事はやっておいて日曜に買物と散歩をしたい。
あんまり最近は思いつく事もない。あるとすれば読書ぐらいが期待値である。
それが可能なのかは私にもわからない。ボチボチやりたい。
<<追伸20200417の小言end
2020年4月18日(土) 雑記
<<追記20200418
どうやったら民主主義が成立するのか個人主義の中から考える必要がありそうである。
現実も知らない人が文句を言っている以上民主主義なんて成立しない。
それでも民主主義が成立するとは何なのかそういうシステムを考えるしかない。
そういうシステムが成立する個人主義を考えないといけない。
信用される個人というより信じられる情報だろうと思う。
そんな戦略を情報に求める必要があるように思う。
今だってコロナウイルスがどれだけ危ないのか確かな情報は無い。
それを元に政治と経済がまわっている。
必要なのはそんな戦略のある情報である。こんな状況で戦略のある情報が必要である。
それが出来るのが民主主義だと思う。
「戦略のある情報=民主主義の成立」s=「信用されるシステムと個人の方程式」s
こんな感じが私の今考えられる精一杯の方程式である。
他人がいくら現実を知らなくても信用されるシステムと個人の方程式が成立するのかは
あんまり私にも確信が持てない。
あくまで私にはこれが精一杯の現状である。
戦略のある情報をどこまで共有出来るかが民主主義の成立にかかっている気がする。
それが他人とって該当しないのが私の悩みの種になっている。
でもそれが他人とって戦略のある情報に確信を徐々に持てれば
多くの人がそれを共有出来て民主主義が成立するように思う。
そしてそれがシステムと個人の方程式になり得る。
なので私には戦略のある情報がこの日本のキーポイントのように思う。
そんな戦略を他人が持てるのが勉強と仕事の価値だろうと思う。
それなのにルールで私を束縛して比較するのは間違っている。
もっと可能性に挑戦すべきである。
比較して束縛するほど戦略のある情報にならない。
ひいては民主主義が成立しない。そしてシステムと個人が成立しない。
そうなればこの式は成立しない。
なのでそれが精一杯の私の思う現状である。
それにしても何でそんなに現実がわからない他人にどうしようもない。
それが小中学校の時からそうである。それで高卒だから参る。
方程式のわからない理系もどうかと思うのと同じぐらいである。
そんなナンセンスに会話もしたくない。厄介に厄介なだけである。
もっとまともな会話がしたい。それが私の本音である。
なのに人形のような人生もどうかと思う。
なんでそんなつまらない人生が私に関係があるのかが私には理解不能である。
それだから私はあんまり社会に期待が持てない。
ありえないとしか思えない。それが私の幻聴でもある。
毎日ストレスで期待感ゼロである。
<<追記20200418end
<<追伸20200418の小言
私としては情報の価値に私の出来る事をやるだけである。
私の考える情報とは何かそうやって時間が過ぎているのに
あんまりアテにならない政治家とマスコミと国民になっている気がする。
それが何となく民主主義の危機である。
それが私自身政治家になれないと思う原因である。
そんな無責任で政治家やって良い気がしない。それが私の本音である。
それでも他人が現実を知らないで文句を言うよりはマシかなと思う。
それはそれで頭の痛い話である。操縦不能、タコの糸の切れたタコである。
昔から手に負えないというのが私の心境である。
それが今もこんな形で残るとは想像してなかった。
私には全く無関係だと思ってた。バカとアホが私に何の関係も存在しないと思ってた。
それだけに私は迷惑で奴隷に近い。もっと考える事は他にたくさんある。
そんなことより情報の価値にビンカンになった方が良いというのが結論である。
<<追伸20200418の小言end
2020年4月19日(日) 雑記
<<追記20200419
結局誰がエライとかどこの国がエライとか権力闘争している。
そんなことやっている以上何の解決にもならない。
日本のどこかで世界のどこかで真面目に勉強して仕事している奴いるのだろうかと思う。
それは私の知らない世界である。そういう層に私はいない。
どこかで縁の下の力持ちを誰かがやらんといけない。
それを直視出来ていない気がする。だから権力闘争に終始している。
そんなことやっても問題の解決にならない。
私には日本人が利にさとく勉強して仕事しているだけのように思う。
だから中身が無いのだと思う。
大事なのは真面目に勉強して仕事する事である。
それを平気で実行する人が大事である。
それが日本の上級階級に出来ているのか問われていると思う。
それだけ中身のある人間が大事なのである。
それが出来無いと権力闘争に明け暮れることになる。
もうすでにこの日本はそういう状態にいる人がいる。
そんなの関係無く中身が問われていると思う。
そんな中身が勉強や仕事にあるのかが生命線なのに権力闘争に明け暮れる。
この世も最悪だなと思う。
幸い今の私はそういう日本の上級階級にはうとい。
ツイッターもやめようかなと思ったりするぐらいフェイクニュースが流れる。
それぐらい権力闘争の嵐である。
そんなフェイクニュースで話が成立するなんて
もっと努力する事他にもイッパイあるだろうというのが本音である。
要するに蚊帳の外の人が発言しているだけである。
何となくそんな手前日本の中枢で何を考えているかの方が大事のように思う。
そんな中身のある話が出来無いで権力闘争している。
あっちが良いこっちが良いで話が成立している。
大事なのは専門家にある中身の話だろうと思う。
そんな話をする人がどれだけいるのかが問われているのであって
問題は権力闘争では無い。
そんな手前ポピュリズムとは権力闘争のように思う。
あっちが良いこっちが良いで終わっている。話の中身で勝負しようとしない。
もっと話をしてもっと異なる最善を目指せるような話をしないと民主主義は成立しない。
あっちやこっちも長所短所あるはずである。
その中でどうするのか考えないと本当にポピュリズムで権力闘争である。
そんな中身のある話が上級階級や中枢で出来ているのかが生命線である。
<<追記20200419end
<<追伸20200419の小言
要するに話の出来る奴を探して専門家の中で色々話をしてもらう必要がある。
それぐらいの話の格闘の出来る人間が必要である。
常日頃からそういう人間は最高の人なのである。
それが平気で勉強して仕事する人なのである。
あっちこっちなんて関係無い。大事なのは中身の内容である。
そんなこと出来る人が人間の最高である。
その話には数学や統計や自然科学も含まれる。
<<追伸20200419の小言end
2020年4月20日(月) 近況
<<追記20200420
昨日は少し数学の話をしようか迷った。あんまりやり過ぎも良くないと思った。
今の所保留である。それはそれで時間のかかる戦いである。
そこまでする労力が惜しい。でも自分にある数学の世界観はある。
それを概略として表現しても良い気がする。
数学としての数学というよりは物理としての数学である。
それは一般教養としても大事のように思う。その下地が自分で科学できる根拠であり
プログラムとしても大事な計算部分のように思う。
それにチャレンジしようかと思ったけど数式を表示するのが難儀である。
そんなこんなで時間がかかる気がした。
1.三角関数などの関数のべき乗表現について
2.1から0とマイナス−1から0までのべき乗について
3.データの級数展開や三角関数の級数展開(フーリエ級数展開)について
4.行列の三角化について
5.行列の固有値について
6.最小二乗法について
7.エルミート行列の正規直交化について
8.多重積分について
9.分母の特異点まわりの積分について
こんなテーマが私の漠然とした数学の世界観なのであるが
説明しようとすると色々時間がかかる。準備も必要である。
気分は他人に押しつけたい気はする。
これが出来ればデータがあれば科学は出来ると思う。
あとは理論作って実験値に合えば本当の理論である。
一つでも実験値に合えば理論である。だけど標準理論を目指すのが科学者だろうと思う。
そのためにデータを級数展開したりフーリエ級数展開する。
要するにデータをべき乗展開したり三角関数のべき乗展開したりして
理論でそういう関数を導き出して理論の完成である。
だけどそれで科学は成立していない。今ある科学を近似したりして
今ある科学と比べたりもする。そういう多角的なことをやるのが科学である。
今日はこの辺で満足することにする。
私にはそれが詳細に頭に残っているわけでない。
そういう世界観が漠然と頭にある。それが教養という奴である。
明日は明日の風が吹く。ボチボチやりたい。
<<追記20200420end
<<追伸20200420の小言
他にも偏微分とか微分方程式とかルンゲクッタ法とかニュートン法とか
モンテカルロ法とかある。
微分にも色んなベクトルを合わせた微分がある。
そんな知識があっても何にそれを使ったら良いのか難儀なテーマである。
未だにそんなものを駆使して科学をやろうとする動機が見つからない。
それが人間の難儀さをものがたっている。
それでも私の出来る事をさがしている。ボチボチやりたい。
<<追伸20200420の小言end
2020年4月21日(火) 近況
<<追記20200421
政府はゴールデンウィーク明けで解決すると思ってるんじゃあないかと思う。
当たってるのかはずれているのかわからない。
根拠は一人十万円で済むと思っているらしいからである。
二ヶ月とか三ヶ月とかだと足らない気がする。
ありえるとしたら一ヶ月おきに十万円が適用するぐらいかなと思う。
しかし私の仕事は続いている。電車乗ったらガラガラなので
みんな仕事どうしているのかと思ったりする。
人の接触を八割削減できている気はしない。だけど仕事と生活はしなければいけない。
私を比較対象にするのも卒業して欲しい。
ほとんど奴隷に近い。私には平和が欲しい。
バカとアホのためにこたえを出すのは本当につまらない。
もっと他の事をしたい。それが私の欲求不満である。
中年で四十五年経って経験も無いなんてほとんど望み薄である。
そんなのつける薬が無い。もっとやること他にあるだろと思う。
とりあえず頭にある課題はそれなりに克服したかなと思う。
ひたすらに宿題をこなしている。それぐらい保留が多かった。
それなので人生を取り返せる宿題は作っておくべきのように思う。
そのことだけに四十五年かかっている。アインシュタインもビックリだろうと思う。
それぐらいやることはたくさんあった。
そういう時代に入っている気がする。若い時だけで解決しない気がする。
それが他人にどう影響を与えているのか私は知らない。
そんなこと関係無く宿題をこなしている。
いつもあんまり宿題は存在しない気がするのだけど書き込むたびに思いついてしまう。
それぐらい無意識に考えているということのように思う。
それぐらい教養になっている気がする。それが表面化している。
今日も帰宅後の日課をこなした。日課と言っても読書だけど仏教関係と芸能関係である。
何か疲れてきてあんまり読書は進んでいない。
今晩はもう少しkindle whitepaperで読書しようと思う。
明日から三日間もそれを通したい。そんな読書が楽しみと言えば楽しみである。
プログラムも読みたい。先週はBBNと相対論がお留守になってしまった。
色々調整を重ねて乗り越えたい。どんな世の中が待っているのかわかんけど
私は明るい未来をのぞんでいる。そのために出来る事をしたい。
私の事何かより物理のためでありプログラムのためであり世の中のためである。
それだけのために書き込んでいるつもりである。ボチボチやりたい。
<<追記20200421end
<<追伸20200421の小言
何となくやり過ぎのように思う。それぐらい自分として認識しているけれど
やる事がある以上やるしかないと思っている。
それぐらいの教育を受けた気はする。無責任なテストだったけど
それが私に自信が無かった理由だけど色々物理を思いついて
世の中のギャップを感じてようやく現実を認識し始めた。
それがこの書き込みにあらわれているように思う。世の中の矛盾をイッパイ感じている。
そんなことをお構いなくやる事をやるしかない。それが本音である。
それがどんな展開をするのか私にもわかっていない。
それでもやる事は未だたくさんある。もう少しゆっくりしようと思う。
金曜の短歌と俳句までゆっくり考えたい。よろしく。
<<追伸20200421の小言end
2020年4月23日(木) 近況
<<追記20200423
ヒロイズムが必要じゃあ無いのは日本の良くない所だと思う。
ヒーローが必要だと言っているのではない。ヒーローに続く人が必要である。
日本の悪い所はヒーローで終わっているところである。
ヒーローのパスを受け取る人が必要である。そんな事が無いから歴史にならない。
そしてヒーローに期待しないのも日本の悪い所で
「出る杭は打たれる」である。もっとパスワークの良い日本を目指すべきである。
私にはヒロイズムの否定が日本の悪い所のように見えて仕方ない。
そうやって日本人は平均化してきたのである。
もっとヒーローを有効活用すべきである。そんなパスワークが大事である。
誰かがそのヒーローを理解する必要があると私は思う。
それなのに無理解で今までが続いている。結局ヒーローで終わっている。
それがバカとアホの生命線である。
そんなバカとアホを活躍させない社会が大事である。
バカとアホを安心させてはいけないと思う。彼らの戦略は安心のみである。
それがバカとアホの良さだと思っている。
ヒーローを安心させる必要があってバカとアホは安心しなくて良い。
それがまともな社会である。そんな常識も通用しなくて社会はまわらない。
ヒーローからパスをもらってヒーローに安心してもらう。
そのパスを有効活用する。それがまともな社会である。
さらにそれが上回ってはじめてパスがあっちこっち通じて
一般人が活躍する社会になる。順番が間違っている。
日本の悪いところが全然見えていない。一般人が活躍するには
あっちこっちパスが通じないとありえない。
それがこの日本にはまだまだ成熟していない。
フランスの方がまだ成熟しているということだろうと思う。
フランスの方が先に行っている。まだ日本はもっと経験することがたくさんある。
何となく今日は今週の月曜の数学を説明すべきか悩んだ。
何でも私がする事無い気はするけど一体いつまでこんな不自然な社会活動を
せなああかんのか私にはチンプンカンプンである。
私は私で閉塞感を感じそれを打破したいのである。
この日本はオープンじゃあ無いと思う。
いつになったら私は一般人として生活出来るのか悲しみに暮れる。
誰一人私に仕事を持ってこない。私の社会の相互作用は無いに等しい。
私は社会で孤立している。それでも私がやらなああかん気がする。
それはそれで私の優先順位で選択している。
今の所何となく読書が先のような気もしている。
数学なんて私にとって今の所再確認ぐらいしかない。
それよりか読書の方が新しい知識を得れる気がする。
時間の都合上数学をやっている時間が無い。だけど何となく宿題である。
明日は短歌と俳句をアップする。よろしく。
<<追記20200423end
<<追伸20200423の小言
今の現状は安心する人は誰かという事である。明らかにバカとアホではない。
もっと安心してもらう人は勉強のする人である。
それが健全な社会である。それなのにバカとアホが安心しても地獄絵図である。
そんなんありえない。そんなありえない事を実現するわけがない。
それがわからないバカとアホは教育の失敗である。
何が平等なのか取り違えている。永遠にありえない人が問題を起こしている。
いつまでこんな不条理を続ける気なのか犯罪大国日本である。
もっと日本人がまともに生きることを考えるべきである。
バカとアホなんてどうでも良いのである。
日本人がまともに生きれることだけを考えるべきでバカとアホは論外である。
一応先週の不足分の日課は今週こなした。また日曜にこなす予定である。
そろそろ土日の予定を今夜考える予定である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200423の小言end
2020年4月24日(金) 短歌と俳句と近況
短歌十首更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_24.html
--->> 桃太郎持って生まれた鬼退治そんな悪役正義づらなり 行山
--->> 今週もやる事やってあしたのみ楽しいことも悲しいことも 行山
--->> 土日来る金曜の夜横になりもっと楽しい会話がしたい 行山
--->> 人生は迷惑ばかり先に立ち賢い話成立しない 行山
--->> 作戦は楽しく生きる言い聞かせやる事多く心配無用 行山
--->> いきるとは難問多くこたえてる解決目指す不屈の闘志 行山
--->> 週末の残りわずかの日課ありしめくくるもの我が道を行く 行山
--->> 問題はどこにあるのか見当たらず時間ばかりが罪悪かしら 行山
--->> 春雨にぐっとこらえて四月なり計画あれば憂う事無し 行山
--->> 読書して格闘の末こたえてる今の私も昔の私 行山
/*やれやれと*/
/*仕事終わって*/
/*帰宅して*/
/*やる事残す*/
/*ひとふんばりよ*/
/*不思議にも*/
/*アテにならない*/
/*浮き世にて*/
/*つまらぬ社会*/
/*地獄絵図かな*/
俳句九句更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_24.html
--->> いさぎよく花にさらばと別れあり 行山
--->> 桜舞うせつなさどこか浮き世かな 行山
--->> 人生に花通り過ぎよみがえる 行山
--->> 春雨に洗濯物の難儀かな 行山
--->> 神様の力を借りて春がある 行山
--->> あたたかく何でも出来る読書かな 行山
--->> 感謝してやる事多く春がある 行山
--->> 深まれば一歩一歩のあたたかさ 行山
--->> 土日こそおもひおもひのあたたかさ 行山
/*ひとごみの*/
/*関西コワイ*/
/*春がある*/
/*家にいて*/
/*体がなまる*/
/*春の陣*/
<<追記20200424
今日も仕事した。土日は自宅待機が一般的になっている。
それでも買物したい気はする。洗濯もあるしゴミ出しもある。
今週のお弁当はタケノコの炊き込みごはんだった。
それでも私は何に備えているのかわかっていない。
ただ目の前のやる事やっているだけである。それが人生だと思う。
それなのにバカとアホの論理なんてナンセンスである。
小学校の頃から相手にしたくない。それが本音である。
ひたすらにやる事やるだけである。それだけのために問題を起こしている。
中年になって四十五年何をやってきたのか私にはわからないが
何にも残らないなんて手のつけようがない。
それで私を比較対象にするなんて幼稚に近い。
もっとやることたくさんあるだろと思う。
そんな生半可なバカとアホなんてどうでも良い。それが本音である。
土日も読書三昧である。ボチボチやりたい。
<<追記20200424end
<<追伸20200424の小言
中年になって模範にもならないのなら期待値ゼロである。
それがどうして私に関係あるのかわからない。
結婚どころじゃあない。それを私にどうしろというのかがわからない。
収入だって私には無関係である。
一体私をオモチャにして喜んでいるだけである。私にはひたすらに無抵抗である。
そうやって賢く生きれない人が問題を起こしている。
無駄に無駄の奴隷である。一体これのどこがエライのかがわからない。
私としてはもっとまともに生きれるはずでありそれが出来無い人は無理である。
それが私の実感である。これ以上引き延ばしても解決しない。
秀吉みたいなのがイッパイ出てこないと世の中は変わらない。
一人で済む話じゃあない。そういう価値観を共有出来無いと世の中は変わらない。
それが私の考える賢い人である。それを身をもって実感することが大事である。
それが出来無い人が問題を起こしているだけである。
<<追伸20200424の小言end
2020年4月25日(土) 雑記_take3
<<追記20200425
話をする一番大事な部分は「AならばB」を明らかにすることである。
「AならばBかつBならばAならA=B」
「AならばBかつBならばCならAならばC」
「AかつB以外はA以外またはB以外」これは逆も真
「AまたはB以外はA以外かつB以外」これは逆も真
「AならばBならB以外ならばA以外」これは逆も真
こんな論理学もあるけど一番大事なのは「AならばB」を説明することである。
それをたくさんリスト化して何が説明出来るのかが大事である。
それがもっとも理解出来る話である。今の現状を理解出来るもっともな方法である。
そんな説明が科学的にも論理的にも数学的にももっともな話だろうと思う。
そんな説明が出来無くても「AならばB」ぐらいは話すべきだと思う。
それが情報の価値だと思う。それが生きている価値だと思う。
私は挑戦も大事だと思う。だからあんまり失敗にこだわること無い気がする。
そのうちの何個が成功すれば良いと思っている。
だけど他人に話すときは妥当性を求める必要がある気がする。
だけど憶測でありえそうな話も成立すると思う。
しかし成功するか失敗するかわからない話自体は成立しない気がする。
こんな事をやってみる話は成立してもその先の結果までは成立しない。
結果は結果待ちでしかないと思う。こんな事をやってみる話は成立しても
結果までは予測不可能である。
それでも科学は未来予測がおぼろげに見える。それはそれを説明すべきである。
何となくありえそうな話が科学にはある。それを説明してこそ科学だろうと思う。
それはそれで「AならばB」である。
そんな説明を求められたのが私の修士生時代だった。
それが私の言語の形成になっている気がする。そしてその延長が今だと思っている。
そこまでかかったのはブログの書き込みの経験だろうと思う。
私の頭にあるのを書き込んではじめて自由になっている気がする。
そんなに自由になるほど書き込むのは大事だと思う。
考えていることすべてを書き込めるからである。それは数学も物理も同じである。
それが可能なのはなんべんも書く事に挑戦しているからである。
それではじめて書く事で発想が浮かぶ気がする。それぐらい自由になる事は大事である。
それぐらいのことは人間に出来るのである。それをせずしてテストで終わっている。
それが学歴と職歴の犯罪である。生きている以上自分の考えていることぐらい
文章にすべきだと私は思っている。それに妥当性があるのが学歴と職歴だと思う。
文章に妥当性が無いのはまったく生きている意味が無い。
それが私の実感でもあり私の格闘である。
<<追記20200425end
<<追伸20200425の小言
そういった人間の間に論理が成立しないのがこの日本なのである。
なので一般人が活躍するのは当分難しいというのが私の本音である。
あっちこっちでそんな論理が成立しないと難しい。
バカとアホにはそれがわからない。それが私を比較対象にする理由である。
私が何をやっているのかが理解出来無い。それがこの現状を引きずっている理由である。
どうしようもないバカとアホが私を認識しないのが問題なだけである。
私はひたすらにどうしようもないだけである。
そんなどうしようもない奴私には無抵抗である。話が成立しない。
それを身をもって理解出来る奴で共有するしかない。それが本音である。
<<追伸20200425の小言end
2020年4月26日(日) 雑記_take6
<<追記20200426
http://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post_20.html
三角関数などのべき乗展開は微分が出来れば可能である。
マクローリン展開とかテーラー展開とかがある。
二変数のべき乗展開も出来るらしい。
1から0と-1から0のべき乗はべき乗を重ねるごとに有効数字が細かくなる。
なので何桁までの有効数字まで出すか決めたらあるべき乗でで終了する。
だからpiの何桁まで計算する事も可能である。
行列の三角化は代数方程式の計算に有効である。
x=6 (y,z行を引いてxを求める)
y=4+3x (z行を引いてyを求める)
z=5+2x+2y (zを求める)
例えば上のような感じが三角化であり上から代入していけば求められる。
代数方程式を三角化するのは各y行を列をかけたり割ったりしてそろえて
二つの行の式を引くことで各y行が0で消滅し各z行も同じく
各y行と各z行を0にすると一番上のxが出てきて
各行列を三角化させる事で代数方程式の変数を求める方法である。
他にも行列の固有値で代数方程式を求められる。
固有値で最小二乗法を求められる。あるデータをy=a*x**2+b*x+cのような
二乗までのべき乗で関数を作る方法である。
それ以上のべき乗展開が級数展開や三角関数の級数展開(フーリエ級数展開)である。
あんまりべき乗を増やすと関数が波打つのは高校の関数論でわかると思う。
エルミート行列の正規直交化は量子論の複素空間で出てくる。
無限次元にエルミート行列の正規直交化できる。正規とは1に規格化する事であり
確率が1と言うことである。直交化とは角度を90度にする複素空間である。
多重積分は次元が増えるごとに多重積分することである。
複素空間では分母の特異点まわりで積分できる。
複素空間で積分できると言うことは複素空間は実数空間を含むので
実数空間でも分母の特異点まわりで積分できる。
ルンゲクッタ法はプログラムの微分の計算方法であり
モンテカルロ法は確率表現のプログラム分布であり
ニュートン法はプログラムの関数のこたえである。
偏微分はある変数のみ微分する。別の変数を一定として偏微分することがある。
微分方程式は人間のやる計算で求める。プログラムで出来るかは知らない。
とりあえず一次方程式が代数方程式であり行列であり線形というらしい。
それが二次方程式とか増えると非線形というらしい。
物理がやるのは線形が多いと聞いている
色々微分したり積分して線形に持ち込むと言うことだろうと思う。
あとは数学の問題としては統計かなと思う。
正規分布をガウス分布というらしい。物理には統計力学のボルツマン分布がある。
大学の講義でやったけど私の専門で無かったためか
あんまりボルツマン分布は慣れていないように思う。
ガウス分布もボルツマン分布も指数関数の分布である。
今日は物理の数学の世界観でした。
<<追記20200426end
<<追伸20200426の小言
http://wakkii.umu.cc/poem_road/
短歌と俳句のページで今年の二月までである。
一応2009/12月から始っているけど私が三重にいる頃から短歌を作っているので
三重から名古屋に移ったのが2002年である。
このホームページ作り始めたのが2007年頃だったように思う。
あんまり最近は詩を作らないよなと思う。
最近は漢詩を少し読み出したり英語の詩を読んだりしている。
それにしても私にやる事があるのは何を意味しているのか不思議である。
決して専門だけで終わらない気がする。
何となく知りたいという一念で生きている気がする。
ボチボチやりたい。
<<追伸20200426の小言end
<<追伸20200426の小言take2
これ以上無茶苦茶やっても無茶苦茶である。話が成立しない。
全くコンセンサスがとれない。小学校の頃からそうである。
私には勝手にしろぐらいしかない。理解が共有出来る人と話がしたいだけである。
何でそんな無茶苦茶な人と比較される必要があるのかが犯罪である。
賢い一つ共有出来無い。全く私にはそんなのと関係無く生活がしたい。
まったく話が通じない人が私を困らせているだけである。
そんな認識が出来無い人がバカとアホである。私にはどうしようもない。
私にあるのはひたすらに勝手にやってますぐらいしかない。
最低最悪である。それでどうやって成功すると思っているのか私には理解不能である。
永遠に無理である。無理に無理を重ねているだけである。
無茶苦茶にバカとアホはしている。それを犯罪じゃなくてなんなのかわからない。
それさえ気づかないで迷惑を与えているだけである。
それでどうやって他人を救えるのかが私にはわからない。
無理でしょというのが本音である。ありえない人がありえない事やっているだけである。
もっと話のわかる人間になった方が良いだけである。
本当に迷惑でしかない。これ以上他人に対して私はどうしたら良いのかがわからない。
そんな話の通じない宇宙人がいるぐらいしかない。それぐらい不可能である。
<<追伸20200426の小言take2end
2020年4月27日(月) 近況
<<追記20200427
こんなに滅茶苦茶やって民主主義なんて成立しない。
自分勝手に生きているだけである。これだからこそ目的が大事である。
ハチャメチャに生きても仕方無い。もっと自分が何をしたいのか考えるべきである。
そんな目的がハッキリしないのがみんなのためである。
みんなのためなら何をやっても良いらしい。それが間違いの元である。
もっとこの世に求めるものを考えるべきである。
それが往々にして一部の人を困らせている。そんなの関係無く結果が大事である。
その結果は自然に求めるべきである。なのにこんなに利害関係が先鋭化するのは
みんなにとって結果になっていないからである。
どんな人にも成立するのが自然なのである。
なのにみんなのために何をやっても良いにならない。
自然にみんなに成立することが大事である。その自然が成立しないから
自分勝手の滅茶苦茶なのである。
もっと自然に成立することを主眼に考えるべきである。
なんべんやっても誰がやっても一部の人を困らせない自然に求めるべきである。
なのに損得で正義は成立しない。
バカとアホのやっていることは損得である。
そして自分の安心がバカとアホの担保である。
私としては近づきがたい。そんなのに相手してたら時間の無駄である。
だから私としてはこたえを出したくない。こたえをだすほど私の状況は悪くなる。
それが昔からの私の実感である。
それを平気でまわりの他人は私にこたえを催促する。
私にはそれは恐ろしさでしかない。もっと関係の無いところで仕事と勉強をしたい。
なので私には全く関係の無い話である。
バカとアホと同じ時間なんて罪悪である。
それが少しでもそうならないように生きたいのが本音である。
そんな迷惑感が他人にわかってもらえない。本当に最悪を知らないからだと思う。
人間と言うよりバケモノである。だから相手にしたくない。
<<追記20200427end
<<追伸20200427の小言
私がこんなに書き込みが進むのはバカとアホが嫌いだからだと思う。
それは男も女も同じである。損得で動くバカとアホはもっと嫌いである。
私はそんなんより自然に生きたいし自然の利益の方が大事だと思っている。
最悪の状況で損得で生きる話はこちらも最悪なのである。
聞いているだけで疲れてくる。そんなんより豊かになる事考えたい。
なのでバカとアホに合わせる義理は無い。
私としては無関係に生きたいのである。
最近はリベラルの話とか戦後史とか満州国の話とか中国と韓国の歴史とか読んでいる。
私が思うことはあまりにリベラルも本当に事実を知らないのだと思った。
自分を理想に生きたいだけで現実を知らない。
日本にある事が他国に無いのが知らない。日本と同じく他国にもあると思っている。
他国の歴史観さえ知らないで日本で理想に生きるために独断している。
それはそれで情報がかたよっていると認識している。
それが何か日本の一つの危なさだなと思った。色々情報を知った方が良い。
それが私の本音である。
<<追伸20200427の小言end
2020年4月28日(火) 近況
<<追記20200428
今日も仕事した。とりあえず木曜の一日でゴールデンウィークである。
コロナウイルスもどうなるのか予断を許さない。
関東でも関西でも無い山口大学のような地方国立大学で五割のように思う。
現実問題そんな庶民が100%のように思う。あんまりエライ人はいない。
民主主義の手前五割は正確な判断をしなければいけない。
それでもそんな理論まで100%の国民には無理である。
それなのにそんな理想を他人に押しつけるなんて迷惑である。
上から下まで理想も無く仕事と生活する事考えるしかない。
要するに理想が無くても仕事と生活は出来るのである。
私の頭にあるのは善処しかない。理想なんて必要無い。
私がそんなこと言うのは家族がいないからかも知れない。
あんまり社会的責任が無い。
だけど事実を無視してまで理想を求めるのは間違っていると思う。
そんな理想は理論じゃあ無い気がする。科学的におかしい。
一部の人を困らせる理想はやっぱりおかしい。
そんなんだったら理想は不必要である。それでも仕事し生活する事考えた方が良い。
そんな仕事と生活を考えるべきで理想はいらない。
一割の人でこの日本がどうにか出来る気もしない。
たくさんの日本人が考えないと沈没する。必要なのは理想じゃあ無いと思う。
どうやって仕事しどうやって生活するかぐらいしかない。
そんことを考える余裕があるならそれはそれでアドバンテージだろうと思う。
一割だけがそれが出来るなんて私にはナンセンスである。
100%の国民がそれが出来ると思う。理想なんて迷惑である。
誰もがそのチャンスがあると思う。一割で解決しない。
それは最も自然に近いことを考えることが大事である。
もっと出来る事を積み上げていくしかない。それが一割に出来ている気がしない。
そんな無責任を何で理想になるのかが私には理解不能である。
頭にあるのは人災や公害にならないように仕事と生活するだけである。
それに反して理想を他人に押しつけるのは最悪である。
それも現実の事実を知らせない。最悪の極致である。
それが一割の人にはありえない気がしない。
帝国主義にだまされ日教組にだまされている。どちらも理想の問題である。
教育はコワイ。それを変えていくのは生徒だろうと思う。
必要なのは合理的な意見交換である。最後は生徒が確認することである。
もう頭にあるのはそんな理想も無く地道に仕事と生活するだけである。
いつもだまされているのが庶民なのである。
だからあんまり一割に期待感が無い。それでも私に出来る事をするだけである。
それぐらいなら100%の国民に出来る。
要するに誰もアテにならないというのが本音である。
<<追記20200428end
<<追伸20200428の小言
用心するのは現実から目をそらさないことである。
無視すれば無視するほど他人に振り回される。現実から逃げないことである。
現実から逃げた理想や理論は無視した方が良い。
それがそのままバカとアホを相手にしたくない理由である。
私にとって最悪でしかない。
ここまで来ると一割の人もバカとアホも期待感が無い。
100%の国民が自分の出来る事を積み上げた方が近道である。
それが私の実感である。そんなわけで五割の人も五分の魂である。
ちょうどセンター試験が理系の私には平均の五割なのである。
幻聴であんまり高校入試より記憶出来無かったため最悪の気分だった。
退却兵のように後ろ向きに試験を受けた。だからあんまりセンター試験には自信が無い。
まだ二次試験の方が自信がある。
<<追伸20200428の小言end
2020年4月29日(水) 雑記_take2
<<追記20200428
当たっているかわからないけど
「自分にやさしくて愛があるから他人に対してやさしくて愛がある。」
それが私の感じる最近である。
他人厳しい分自分にも厳しいのではないかそう私は仮説を立てた。
それぐらい他人に厳しいと自分の存在意義が問われる気がする。
それで理想が出てくる。それで私は迷惑してる。
そんな理想を借りるより自分にやさしく愛が必要のように思う。
そうすると仕事と生活にならないのが問題らしい。
結局何事もバランスなのである。アンバランスなのが問題である。
調和が足らない。規則正しく仕事し生活して心を安定させる。
それでこそ理想はたくさん不必要である。他人に押しつける理想なんていらない。
それが人間のバランスである。
みんな同じ人間になる必要なんて存在しない。
色んなタイプを許せる人間になるべきである。
それが出来無いのはどっか人間のバランスがくずれている。
だから自分にも他人にもやさしくて愛が足りない。
なのに一割の日本人とかバカとアホの層とか考え出すのは
理想が無いと生きていけない人が言うことである。
人間はもっと自由に考えることが出来る。他国の歴史観は異常である。
日本の歴史観の方がマトモである。日本にあって他国に無いものもたくさんある。
色んな意見を言えるのも色々な自由な議論もそうである。
向こうには事実と異なる正当な歴史が幅をきかしている。
個別に歴史を議論できない。一辺倒の主張が通っててどこも多角的に議論できない。
それなのに日本がマトモじゃあ無いのはそれでは自分が理想に生きれないからである。
そんなの本人の問題であって私の問題では無い。
人間にバランスがあればこんな事は起きない。是々非々で考えられる。
それさえ許せない人が問題を起こしているだけである。
もうちょっと平和に生きれないものかと思う。
逆に普通に生きれている五割の方がよっぽどマトモである。
なので日本の中流階級を重視するのは間違っていない気がする。
そこら辺がバブルとは違う原点回帰が必要のように思う。
今週は明日一日でゴールデンウィークである。よろしく。
<<追記20200428end
<<追伸20200428の小言
私は私で他人の理想に迷惑している。そんなこと考えなくても生きられる。
他人には必要であっても私には必要でない。それが私の現実なのである。
それを本当に理想というのかわからないけど他人にとっては理想である。
なのに他人は平気でその理想を押しつけてくる。
それが他人の正義である。私にとっては迷惑でしかない。
それが一割の日本人とバカとアホが考える層なのか私には同じように聞こえる。
私はそんなんより普通に生きたい。それが本音である。
所詮私も五割の人ということかなと思う。
<<追伸20200428の小言end
<<追伸20200428の小言take2
やっぱり仕事としてプログラムの仕事出来るように知識を分配する必要がある気がする。
それが物理にも数学にもせまれるチャンスのように思う。
数学が出来無くてもプログラムに活路を求めても良い気がする。
必要なのは気力と体力だけである。
ゲームやっている暇があったらプログラムした方が良い。
若いうちにプログラムやっている方が将来性があると思う。
プログラムやっているうちに物理や数学に慣れるかもしれない。
そんなチャンスがプログラムにある気がする。
どうにかしてほとんどの日本人がプログラムが出来るようになったら
仕事に困る事無いだろうと思う。それが私の思う現状である。
もっとプログラムに活路を求めて良い気がする。
それが私の最も一番の不満である。ゲームよりプログラムの方が生産的である。
四十過ぎたら教育や上司にまわっても良いのだから
若いうちにプログラムやってもらった方が社会のためである。
それが使い捨てになって教育もままならない。この現状を変えるべきである。
それが私の最も一番の我慢ならない不満である。
良識がどうのこうのよりプログラムの仕事に不満である。
もっと人材を有効活用すべきである。現状は使い捨てである。
もっとプログラムの仕事に神経を使うべきである。そんな仕事を死守出来ていない。
もっと外堀から要塞堅固なプログラムの仕事にすべきである。
そしたら仕事に困る事無くなって経済は良くなると思う。
もっとプログラムの仕事をやってもらうことに神経を使うべきである。
それなのに排他的な仕事場に幻滅である。
もっと仕事をやってもらうことに神経を使うべきである。それが私の不満である。
<<追伸20200428の小言take2end
2020年4月30日(木) 近況
<<追記20200430
明日は診察日である。そのため明日から事実上ゴールデンウィークである。
何となく家で自宅待機で読書である。
用は買物ぐらいである。折角だから毎週と違う本で読書したい。
数学がプログラムをやる事で進むなら
特に文系の人にプログラムをやった方が良い気がする。
何事も気分転換にプログラムをやれば数学に入り込める気がする。
結局英語と同じで使っているうちに慣れてくる。
プログラムも言語の一種である。
それぐらい英語を使っているのかが関心事かもしれないけど
プログラムも同じである。それでコードを読めば数学の頭になる。
それが気分転換にならないかと私は思う。
要するに英語と同じである。英語も作文していると気分転換になる。
それがプログラムも同じである。それで数学の頭になるならやってみるべきである。
それが私なりの提案である。
全ては頭の体操のためにある。それが私の実感である。
だから気分転換のつもりでやっている。そのうちに何とかなるだろうと思っている。
私にはデータの事は知らないらしい。それでも社会に感謝しないとデータはとれない。
それぐらいお金がかかる。それぐらいの社会的自負がないとデータはとれない。
敵味方にわかれているようじゃあデータはとれない。
それが私の本音である。責任感全くゼロで実験は出来無い。
もっと他人を勇気づける人にならんと科学は成立しない。
バカとアホなんて論外である。それぐらいの責任感が必要である。
データには補完法という関数化手段がある。
それより級数展開の方が科学的のようである。
それはそれで大学の頃に感じた時代があった。また今と昔で違うのだろうなあと思う。
私は私でやり過ぎのように思う。それでも何となく時代の要請である気もする。
それぐらいの教育を受けたからのように思う。
それぐらいみなさんにも出来ると思います。私だけって事無いと思います。
そんな責任感を持って頭の体操してたらこんな事になります。
それぐらい頭の体操していないという現実の不健康しか残りません。
これぐらい誰でも出来ます。それが私の実感です。
明日も診察で外出で買物して帰る予定です。よろしく。
<<追記20200430end
<<追伸20200430の小言
今日の書き込みも普段からの妄想が元になっている。
それぐらい無意識に考えているということだろうと思う。
あれがやりたいこれがやりたいそれが発想の元である。
何かうまくいきすぎのように思う。それぐらいやる事やっているというのもあると思う。
とりあえずゴールデンウィークである。しばらくゆっくりしたい。
明日は短歌と俳句である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200430の小言end