散歩みち
バックナンバー
2015年1月1日(木) 元旦のあいさつ
2015年1月1日(木) 近況
今日は沼津港で昼食後
お墓参りして
三島駅でホットコーヒーして帰った。
昨日の大みそかは
フランス語の文法を一冊ナナメ読みした。
今年も何度も読み直す必要があると思った。
今日の午前中は
俳句と短歌にいそしんだ。
明日からあと三日あるので
まだまだやれる事はある。
そういう意味で
楽しんで正月を送るつもりである。
そうそうプログラムの本を
図書館で借りてたのを忘れてた。
新年も始動します。
ボチボチやります。
2015年1月2日(金) 近況
今日の午前中はプログラムの本を
ナナメ読みして
短歌を作った。
昼間一時間歩いて
家に帰ってその後俳句を作った。
フランス語とドイツ語を少しやった。
しばらく簡単な言葉のフランス語から始めようかと思った。
何となくフランス語はやめておいた方がいい気もしたけれど
こちらも無駄に時間を過ごすわけにもいかず
私も待ってられないので
教養としてフランス語もいいかなと思い直した。
掲示板に追記した何か絵画の小説でフランス語は話せるけどドイツ語は話せなかったような
小説があってそしたら
フランス語もありかなと思った。
私も共存はしたいが
そんなに悠長に構えてられない。
それが私の決断である。
まあルビコン川を渡る気持ちではじめた。
そう理解していただきたい。
2015年1月2日(金) ツイッターより+5
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> あの君があたりは見えずかもあらむいたづらにしていつか越えなむ 行有
---> うらさぶる心さまねし声ばかり休むことなくかへりみるかな 行有
---> 恋ひながら辺へか行かむ心ならいつへの方に我が恋やまぬ 行有
---> 行く水があたりは見えずかもあらむ我こそ増さめ思ほすよりは 行有
---> 新年の期待をこめて師走よりかたづくものは今のうちかな 行有
---> 休日の疲れをいやす風呂がある今しばらくはこころゆくまで 行有
---> 我が家にもケーキを買ってクリスマスいわう心にひかりあるかな 行有
---> 狩野川の大空胸に橋わたるいろんなおもいさまよいながら 行有
---> つまらないテレビ流れて消してのちこころゆくまで年の暮かな 行有
---> フランス語気合をいれて冬休みうれしさ胸にこころゆくまで 行有
/*明けまして*/
/*おめでとうから*/
/*ボチボチと*/
/*はじまるかしら*/
/*覚悟を決めて*/
2015年1月3日(土) ツイッターより+3
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015…---> 冬の川いろんなおもい反射する 行有
---> 年移るわびしさ胸に覚悟する 行有
---> 年の暮いよいよかしら準備する 行有
---> 年用意準備万端そなえあれ 行有
---> 行く年も覚悟を決めてあらたまる 行有
---> 年越のソバを口にしあらたまる 行有
---> 大みそかあれよあれよとあとわずか 行有
---> 新年はなるようになるさだめかな 行有
---> 年明けてめでたさ胸に眠るなり 行有
/*新年は*/
/*覚悟を決めて*/
/*おめでとう*/
2015年1月3日(土) 近況
今日は箱根に行ってきた。
三島のSNSに追記した。
正月も明日一日である。
私自身、体とか頭とか使って
いい正月だった気がする。
今年も何事も一つ一つである。
自分の人生がそう言っているように思う。
あんまり他人が頼りになる前に
私自身がどうにかなる方が先になっている。
順番が逆になっている。
だからここで私自身も方向転換してる。
私がかわるということは
私のためにルビコン川を渡るということである。
2015年1月4日(日) 近況
今日も昼間一時間歩いた。
午前中は
メールのチェックや短歌を作成した。
昨日の夜と今日の午後は
YouTubeで相棒やLIFEを見た。
その後
俳句を作って
腹筋とか腕立てとか体操をやった。
いろんな人が事情をかかえて私は困っているのだから
私自身の事情で
生きてもいい気がする。
国は国で事情があり
他人は他人で事情があるのだから
私の事情があったっていい。
それが私のおもいである。
まあ正月もむかえて
明日が仕事始である。
ボチボチやりたい。
2015年1月5日(月) 雑記_part2
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
昨日1月から何を勉強しようかウェブで考えてた。
EXCEL,WORD,フランス語
を重点的にやろうかと思った。
仕事は
生活というよりどっちかというと
世の中のためである。
それも私なりにやりつくした。
なので
私の事情を通そうと思う。
私なんかより国の方がえらそうだから
むかうとこ敵無しである。
ボチボチやりたい。
//20140105追記
税金の話を親戚とメールして
金は大事に使いたいと思った。
うまい金の使い方を
するのが金の目的のように思った。
そのための正直じゃあないと本末転倒である。
//20140105end
お金
2015年1月6日(火) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
帰り結構な雨だった。
宝くじを清算して帰った。
やっぱりハズレだった。
昨日は少しEXCELの問題をやった。
アンダーザドームのビデオ見て寝た。
フランス語も
携帯電話のKindleでこなしている。
気になるのは小説の方である。
宮部みゆきの「英雄の書」を文庫本で読んでいるのだが
正月ぐらいであんまり進まない。
百数十ページぐらいでとどまっている。
幻聴もあいかわらず
同じことを繰り返している。
まともな会話になっていない。
そんなんで幸せになれるのか私には自信が無い。
勝手に勝手なまま叫んでいるだけである。
そんな楽な商売無いよなと思う。
叫んでれば幸せになる商売なんて存在するのか
私にはバカバカしい。
結局は自分がどうにかするしか無いそう私は思う。
だからルビコン川を渡る。
例え共存できなくても
私はどうにかしなければいけない。
私のためにルビコン川を渡るのである。
そこに共存があるのか無いのか私は判断できない。
わかるのは私のためであるという事である。
相手にならない女のためにルビコン川を渡らないなんて選択は
私には持ち合わせていない。
私がどうにかするしか方法が無い。
そう私は幻聴を聞いていて
毎日つまらない思いをして私がどうするしか無いと私は思っているのである。
ボチボチやりたい。
2015年1月7日(水) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
昨日もEXCELの問題やった。
今日は電車の中でフランス語やった。
最近物忘れするようになって
少し精神が不安定である。
頭が真っ白になって
忘れる。
何かやりだすと思い出す。
それも何だか電磁波部隊との
格闘である。
私の細胞が勝つか電磁波部隊が勝つか
私は細胞レベルの戦いをしている。
自律神経で戦っているため
ほとんど神を信じるに近い。
人間の何千年の細胞が電磁波部隊と戦っている。
こんな目にあって
世の中を信じろというのがおかしい。
文句たらたらである。
2015年1月8日(木) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
昨日EXCELとWORDの勉強した。
その後小説を少し読んだ。
今日は電車の中でフランス語をした。
何だかお疲れモードである。
今日はゆっくりしようかと思っている。
どこで勤務しようが
とりあえず仕事をするしか共通性が無い。
そんな中で
仕事に真剣になるしか
仕事のありがたみは無い。
お互い話をして真剣になればなるほど共通性が生まれるからである。
例えお国のための仕事であろうと仕事である。
何も批判するようなことは無い。
仕事があるという事は需要があるという事である。
だから何の仕事であれ真剣になれる。
誰もそれを批判する立場は無い。
ただあるのは善悪のみである。
それって民主主義の世界である。
私の幻聴も
民主主義で判断できないのか理解できない。
本当に負の民主主義を背負って生きている気がする。
もうちょっと
民主主義で成果をあげるにはどうしたらいいのか
日本国民が真剣に考える時期にきている。
成果のあがらない民主主義なんて不必要である。
私もボチボチやりたい。
2015年1月9日(金) ツイッターより+5
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> ひた走る我が道暗くつきすすむむこうの方に何があっても 行有
---> 死に近き母に笑顔がうかんでて観音様もどこか似ている 行有
---> つまらない国語教師が言うときにまじめにこたえ最もかなし 行有
---> 我が息もて花粉どこまでとばすとも地球の外を越ゆる由なし 行有
---> 年末の仕事が終わりほっとするかえすがえすも感謝をこめて 行有
---> 年末にやりつくしたら新年は展開のぞむひかりあるかな 行有
---> 大みそか感謝をこめてあらたまるみわたす限りおごそかなりて 行有
---> 元旦はいつもかわらぬ朝がある落ち着き戻る感謝こそすれ 行有
---> なるようになればいいかな心から正月ありてひかりあるかな 行有
---> 正月の計画立てて時流れ過ぎてみたなら終わりが近し 行有
/*ボチボチと*/
/*勉強進む*/
/*我が身にて*/
/*すぐれるものは*/
/*健康かしら*/
私も差別の対象である。
私に出来ることは
信頼に
こたえるしかない。
なのに世の中はこたえてくれない。
それでも実直しかない。
それが差別である。
正社員差別障害者差別よりどりみどりである。
今日も仕事で混乱した。
目がぐるぐるまわった。
誰がこんなことするのか理解できない。
これを差別といわずなんと言うのか理解できない。
差別よりどりみどりである。
それでも仕事した。
それが正直な話である。
これでお国がえらいとしか言いようがない。
私は奴隷であるとしか申しあげられない。
誰がこんなことをいつまで続ける必要があるのか
文句たらたらである。
私はそれでもボチボチやるしかない。
やっぱりお国の方がえらい。
そう思わざるおえない。
2015年1月10日(土) ツイッターより+3
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> 窓際の初空のぞむ心かな 行有
---> 書初は心に浮かぶ俳句から 行有
---> 旧年のおもい残さずあらたまる 行有
---> あらたまり雑煮祝えば一歩かな 行有
---> 元旦は心と体あらたまる 行有
---> 初晴やめでたさつのり元気かな 行有
---> 読初や機会めぐまれありがたい 行有
---> あらためて部屋からのぞむ初景色 行有
---> 初風におもいをこめてむかうなり 行有
/*冬の川*/
/*てらされている*/
/*心かな*/
2015年1月10日(土) 近況
今日は昼間1時間歩いた。
英語の掲示板と
ドイツ語の掲示板に追記した。
ちょっとずつ今まで覚えている英語の単語を頼りに
フランス語とドイツ語の単語を
メモ帳に書いて覚えようかと思っている。
今日も少しやった。
どうせ限られた英単語で表現できているから
それを活用しようかと思った。
昨日は西行の和歌から
六首考えた。
かえって北原白秋の短歌の方が難しい気がした。
西行の桜の下でなくなりたいと歌った和歌を
花を歌にかえてアレンジしてみた。
こんな作り方もあるかなと思った。
ボチボチやりたい。
2015年1月11日(日) 近況
今日は
香貫山から横山から徳倉山から志下山から志下峠まで行ってきた。
三島のsnsに追記した。
結構疲れた。
今日もよく寝れそうである。
気分はいい。
健康が何よりかもしれない。
名誉とか地位より
そっちの方が大事である。
それだけ私は健康におびやかされている。
お国はなんでこんなにえらいのか
文句たらたらである。
私の関心は
なんでこんな状況を許すのかその一点にある。
2015年1月12日(月) 近況
今日は
図書館と水神さんと墓参りした。
午前中は
ビデオを見ていた。
「宮崎美子のすずらん本屋堂」である。
新年から見はじめた。
早速図書館で参考に一冊借りた。
昨日は
寝つきが悪かった割には
朝九時過ぎまで寝ていた。
午後は
音楽CDをiTuneに入れたり
音楽聞いたり
Windowsのソフトを更新したりした。
明日もボチボチやりたい。
2015年1月13日(火) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車の中で
フランス語とドイツ語と小説を読んだ。
私の中学生時代は
正解がたどり着けない社会主義だった。
だから
頭のいい奴同士なら合意形成出来ても
中学レベルでは無理ではないかと思っている。
それも正しいと思える方には進まない。
だから私の幻聴も
あきれ果てて正解なんて無理である。
私自身もいい女いねえと思っているのだから
女がいくら私をどう思ったって
私自身も女と同じ問題を持っているのに
何で女だけクローズアップするのか理解できない。
結局男も女も
私みたいな人いないというだけで
何の問題にもならない。
男も女も同じ問題を持っているだけである。
そういう立派な女がいないのも
女の責任である。
何で女の言い分だけ通るのか理解できない。
私にはそう言った話すら形成できない。
もはや正解になんかたどり着けない。
中学生時代と同じ連中が主張しているだけである。
私としては
私と関わらず
勝手にしてくださいとしか言えない。
そういう嫌な感じが記憶から
よみがえった。
多分十中八九当たっているように思えた。
2015年1月14日(水) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
本屋を渡り歩いたが
所定のものが見つからなかった。
おかげでいろいろな本を見つけた。
結局ネットのkindle本が安かったので
それにした。
私の話より第三の道もあるだろう。
それはそれで混迷を極めている。
それが俗世間だとしか申し上げられない。
私自身そんな事もあるかなぐらいで
聞いていただければいいかなと思う。
光が最短距離を進むように
私の話もそれに近い。
だから聞いてもらっても損は無いそう思う。
だけどそんなに真剣にならんでもいい。
それが人間の工夫である。
そんな事もあるかなと思っていれば
工夫できる。
私もボチボチやりたい。
2015年1月15日(木) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
大学受験で運命はかわらない。
勉強できるかできないかぐらいしかない。
だって高校数学より数学は多岐にわたる。
物理もしかり
化学もしかり
特に現代科学は大学に入学してからでないと
わからない。
それで大学入試試験をやるのだから
勉強できるかできないか聞いているぐらいである。
なので大学入試で成功したからといって
人生に成功はしない。
大学入学した後の行動も大事である。
何で私なんかがこんな事を言わなあかんのか
文句たらたらである。
それも大学入試試験の功罪である。
私の愛と幸福論
2015年1月16日(金) ツイッターより+5
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> 健康に願いをたくし日を送るうまくいかない人生なりて 行有
---> 苦痛にも説明足りぬ生活に述べる術無く不満を残す 行有
---> ふりつもる雪ふみしめて箱根路は心を照らす芦ノ湖かしら 行有
---> 正月も終わりをむかえ気合かな良い一年になりますように 行有
---> 一月の展望はかる我が身には何かが出来るうれしさつのる 行有
---> 雨の中さびしさつのる道中に活路を探すひかりあるかな 行有
---> もの忘れ不安をかかえ日が進む対応しつつ問題ばかり 行有
---> かなわない心身ともにいやされるそんな女はいないのかしら 行有
---> 思へども思ふかひこそなかりけれ展開すべき愛を思へば 行有
---> いつまでも女同士でもめてなお隠れて君が逢はぬなりけり 行有
/*ボチボチと*/
/*日差しを浴びて*/
/*元気あり*/
/*道があるなら*/
/*感謝こそすれ*/
私の永久機関も
墓場まで持ってかなあかんかもと今日思った。
それぐらいの覚悟が
出来たような気がする。
私も今更後戻りする気はない。
ひたすら上から下へである。
今までなんだったのかわからないような人生は嫌である。
信頼のあるデータとエラーの回避
そんなために私は後戻りしたくない。
最悪墓場まで持って行こうと思った。
2015年1月17日(土) ツイッターより+3
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> 独楽まわしうでがなるなり夢中かな 行有
---> 双六で運を味方につけるかな 行有
---> 歌留多こそみんな囲んで笑顔かな 行有
---> 羽子板に思い出残る優雅かな 行有
---> はじまれば正月こそはおめでたい 行有
---> あらためて仕事始にのぞむなり 行有
---> 段々といつもかわらぬ二日かな 行有
---> 元気良く外に出かけて三日かな 行有
---> あしたこそ気合を入れて四日かな 行有
/*人知れず*/
/*親子ゲンカに*/
/*冬の雨*/
2015年1月17日(土) 近況
今日は
午前中に少し本を読んで
寝てた。
昼間一時間歩いて
家に帰って
寝た。
平日
少し仕事が立ってしていたので
疲れがたまった。
今はもう大丈夫である。
不安も無く睡眠もよくとれ勉強も出来る。
今の感じなら私は満足である。
昨日は
万葉集から四首作った。
日曜日までに
英語の掲示板とドイツ語の掲示板と短歌二首作りたいと思っている。
旧年はドイツ語が進んだ。
新年はフランス語である。
フランス語の次はスペイン語かなあと思ったりしている。
多分当分先である。
外国語は気分転換にはなる。
思考が柔軟になって哲学に近づく気もする。
多分哲学が出来れば外国語も出来る。
私の場合逆になっているように思う。
仕事しててそんな勉強ができるなんて
俗世間では難しい気がする。
家に帰って寝るだけになってしまう。
だから勉強する時間があるのが私の自慢である。
それで手先と体動かして
健康になるわけだから私には文句はない。
仕事が人生という生き方は
高収入でないと成り立たない。
特許でもめているのも原因はそこにある気がする。
高収入なら特許でもめない。
私はそう思う。
高収入でも特許で争うなら私には現実と合っていない気がする。
仕事人間なんだから高収入で特許も認めるなんてありえない。
特許で争うなら低収入の人である。
仕事人間でもない低収入なのに特許も認められない。
そらあ人間怒るでしょ。
努力して特許とったんだから低収入のままなんてありえない。
だから私には賞金をもらったノーベル賞の中村教授にあてはまらなくて
私の方があてはまる。
私の方が天才だと思うけど
どっちが天才かはどっちでもいい。
それがまともな日本人のように私は思える。
ボチボチやりたい。
2015年1月18日(日) 近況_part2
今日はJR東海のさわやかウォーキングで
富士宮駅に行った。
三島SNSに追記した。
英語の掲示板と
ドイツ語の掲示板に書き込んだ。
短歌二首も富士宮で順調に作った。
図書館で借りたウイルスの本と
宮部みゆきの「英雄の書」を並行して読んでいる。
図書館の本が読みきれるか微妙である。
面白い事は面白いけど
それはそれで大変である。
生きているとストレスもたまる。
何か奇妙な環境にいると
私自身もあやしい人間になる。
そんな身分の私にとって
文句ばっかし言っているえらい奴がいると
腹が立つ。
私の苦労なんてわかってくれない気がしてくる。
私が主張すればするほど
私があやしくなる。
なのに文句ばっかし言えるえらい奴を目にすると
そんなのお構いなし。
そんな立場がうらやましくてしょうがない。
私にとってそんな奴は
話にならない。
文句言うぐらいなら自分で何とかせんと最低自分の立場は守れない。
それが今の私である。
結局
どいつもこいつも
最低ラインが全然違うという事である。
それをふまえて話せえへんと
いつまでたっても平行線である。
そういう自覚が日本社会に無い。
自分勝手に最低の基準を上下して
ランダムに話しているだけである。
そんなんで会話は成立しない。
悲しいけどそれが日本社会の現実である。
私もボチボチやりたい。
2015年1月19日(月) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
メンバーさんと話しして
仕事にはストレスは無いけど自分の人生にはストレスあるような話をした。
仕事で疲れる事は毎日である。
東芝テックの子会社にいた頃は
予測不可能な
仕事の先が見えないストレスがあった。
今は納期があってそのための手作業なので
納期まで計算できればストレスは無い。
私の場合真剣になるのとストレスの因果関係は無いように思う。
なんか真剣だから楽しんでいる所もあるので
むしろ真剣になってやっているのに
予測不可能な方が不安である。
だけど科学とか物理とかパソコンとかITとかは
そんな予測不可能をふきとばす世界である。
大体妥当かどうか判断できる世界である。
なのに不安だったという事は
まだ未発達な世界だったのかもしれない。
私の学生時代はブラックホールの研究もそういう意味でまだまだ未発達だった。
修士生だった頃はビックバン元素合成のプログラムを扱い
標準理論も存在していた。
そういう意味で論理的に考える要素がたくさんあった。
最初の頃は
神にたてつくようで恐ろしかったけれど
段々人間として妥当な理論だと思えた。
私としては
標準理論化できれば人間として妥当だと思えるのが
標準理論の美しい所だと思う。
そこまで人間が出来うるのかどうかというのが
その世界の大事な部分のように思う。
私もボチボチやりたい。
予測不能な仕事
2015年1月20日(火) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
本屋で時間を過ごし
沼津駅で定刻の電車を乗り過ごしたが
何とか家にはいつも通りに帰れた。
そのかわり
短歌を一首作ったが
電車の中では何も出来なかった。
最低のレベルが個々で違う。
だからと言ってみんな同じにする必要がない。
それに気づかないために話ししても通じない。
私は私のレベルで話するまでである。
私はみんなレベルが違うそう観念している。
だから当然私のレベルで満足できる事を目指している。
私は何も他人のレベルで満足することはない。
それは他人にとっても同じである。
私のレベルより他人のレベルで満足することが大事である。
だから他人は私にとってどうでもいい。
私の事を考えるという事は
私の満足を考えるという事であり
他人の事を考えるとは他人の満足を考える事である。
私自身は私のペースでやる事をこころがけている。
それをさまたげる相手は嫌いである。
したがって幻聴の主は特に嫌いである。
他人の満足より自分の満足で他人を見る事自体バカバカしいとしか
言いようがない。
他人は他人である。
そういう会話が成り立たないのが
私には情けない話にしか聞こえない。
私はボチボチやりたい。
私の愛と幸福論
2015年1月21日(水) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
ノーベル賞をとった青色ダイオードの中村教授の言動は
私には不思議な話に聞こえる。
人間得をしたければ
みずから損をするのをよしとして
目標にむかわなければ最終的に得しないという事である。
何だか得することだけをやっていれば得をするなんて
幻想である。
あえて損を承知で得に向かわなければ
人間は得しない。
私には損する事ばかりで不満だから
得することだけを求めるのはお門違いである。
仮に私が損ばっかりしたら
もっと損をしてでも目標にむかうだろう。
それが私は人間の常道のような気がしてならない。
だから中村教授の言うことは
人生そんなものでないそう私には思えてならない。
私もボチボチやりたい。
損と得
2015年1月22日(木) 雑記_part2
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
幻聴の女の主もそうだが
修士修了後大学出たのが2000年私は25歳
それから15年たっている。
女の問題も15年たっている。
15年もたって何も進歩無い女の問題は
今から私がだまってても
永遠に解決しそうにない。
15年で私はいろんな事を成した。
それなのに女は15年で何の結果を残したのか
私は知りたい。
未だに無意味な女の叫び声が聞こえる。
あきらかに非知能犯である。
それが結果だなんてくだらなすぎる。
私の幻聴は大学受験の19歳で始まった。
2002年の11月から今までずうっと女の黄色い声を聞いている。
そんな無駄な時間を返せって言いたい。
いったいそれで何の結果があったのか
私には想像できない。
もう永遠に女の問題は解決しない。
そう私は思う。
//追記
図書館の本読んで
書評の掲示板に追記した。
2015年1月23日(金) ツイッターより+5
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> 願はくは歌のもとにておしとやかほほえみかえす余力残して 行有
---> こよみから春をかぞへて待ち望むはやるきもちをおさえながらも 行有
---> 手段こそうまくいくならこころある先立つあはれを誰か問ふべき 行有
---> 手をうてば困り果ててもどこかしら我が心知る風もありけり 行有
---> テレビこそつけては消しておちつかぬまともな世間ほど遠いかな 行有
---> 過ぎてみて一つ一つが夢のようやるだけやればそんなものかな 行有
---> 爽快にあの大空に舞う鳥よおもいはめぐりたからかかしら 行有
---> 通勤の冬の雨こそ心あり願いをこめてふくらむばかり 行有
---> 富士宮ヤキソバこそは食べ比べ満足すればそれも吉かな 行有
---> 富士宮に富士山ありあらためて三島に拝む気分と姿 行有
/*ボチボチと*/
/*日を送るうち*/
/*春隣*/
/*元気を胸に*/
/*明日は俳句*/
何か疲れた。
今日は万葉集から四首作って寝たい。
ボチボチやりたい。
2015年1月24日(土) ツイッターより+3
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> みちばたの雪ですべれば気もそぞろ 行有
---> 箱根から初富士拝む心あり 行有
---> 意識して心に残る初写真 行有
---> 人知れず光求める冬の雨 行有
---> 人知れず重着しても熱いなり 行有
---> 元気よくとび出してこそ冬の朝 行有
---> 冬晴や見上げる先に夢がある 行有
---> 冬の川ひかりあるならうつし出す 行有
---> 冬にして負けない心ともるなり 行有
/*心から*/
/*なるようになる*/
/*春を待つ*/
2015年1月24日(土) 近況
今日は三島駅でJR東海のさわやかウォーキングに参加した。
松雲寺で七草粥ときなこ餅と大根おろし餅を食べた。
三島のSNSに追記した。
英語の掲示板と
ドイツ語の掲示板に追記した。
今日も良く寝れるように思う。
短歌と読書はしたいなあと思っている。
ボチボチやりたい。
2015年1月25日(日) 近況
今日は昼間一時間歩いて
水神さんと墓参りと図書館に行ってきた。
親戚と原発やら科学談義した。
ビジネスは科学に反して得しない。
科学を作るのは学者のする事である。
ビジネスは
科学に従うから成功するという事である。
私の場合
科学をとびこえてる。
従って科学的とは言い難い。
人間の精神とはそういう所があるような気がする。
私が生きている限り
科学が追いつく事は無いだろう。
そういう意味では科学を作るとは
コペルニクス的転回のように
きっかけが大事である。
そういう意味で私も
勇者のつもりである。
科学者には奇想天外なのかもしれません。
それでも私は
今までやってこれた。
奇跡である。
それはそれで科学の力である。
科学が無ければここまで出来なかっただろう。
それだけ科学に沿う事は
有利だと思う。
私もボチボチやりたい。
2015年1月26日(月) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
私の扱いも統合失調症なので
あんまり良い条件じゃあない。
幻聴の女の主に口で攻撃していたら
勃起したと言ったら
統合失調症だからと言われた。
まあありていに話すと
常時そんな具合なのである。
何を信じて生きていたらいいのか
わからない。
あやしい人生である。
電磁波でそれを可能にしていると言っても
通じない。
私としては私の科学を信じる前に
私の環境をどうにかしてほしい。
私をバカにしているにしか聞こえない。
まともな会話も出来ないので
多分私の条件は悪い。
そういう自覚はしている。
なのに周りには
柏木由紀と結婚したいとか言うの聞いていると
なんだか難しい道を選択し険しい気がする。
少なくとも
まともな会話するならわかるけど
私自身もアナログの世界だとか言われた。
私だったら
そんな険しい道を選択しない。
二人で楽しく前向きに目標が立てれたら
将来設計としてゴーである。
いろいろ工夫ができれば私としては合格点である。
それ以外に私は求めるものはない。
だって私の条件考えたら妥当である。
私もボチボチやりたい。
2015年1月27日(火) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
昨日は気分が最悪だった。
帰りがけメンバーさんの一人と話しして少し
気分が晴れたような気がした。
それでも
統合失調症だから
何でも病気のせいになる。
布団が光ってもまぶたが光っても
テスターの電圧計や電流計が数百ミリで小刻みに変動しても
靴底に鉄板があっても血便が出ても
雨の時太ももから放射状の血のかさぶたが出来ても
病気のせいである。
私はおかしい事言っているになっている。
言えば言うほどあやしくなってくる。
そんな基本的人権も守れなくて
官僚なんか信じられない。
政治家も同じである。
よりによって父親は私より官僚のが偉いらしい。
それで昨日は口論になった。
官僚がしっかりしていれば
今の私はもっと違っていた。
官僚のふがいなさが
私の今の状況をあらわしている。
父親は定年をむかえているとはいえ
そういう官僚信仰しか持てないのは
あんまり一緒に生活したくないなあと思ったりしている。
父親は私のやっている事を病人扱いすることしか出来ない。
本当に人をバカにしている。
私自身世の中も信じられないし
父親も信じられない。
父親自身が私を信じていない。
いったい私は誰を信じろというのか理解できない。
そういう私の状況を持って
官僚がありがたいなんて全然思わない。
むしろ今の私は官僚のふがいなさからきているとしか思えない。
官僚が賢いとおもえないから
今の私がいるとも言える。
そんなの私は知らない。
どうぞ勝手にしてくださいとしか思えない。
なのにどっちが偉いのか
論理的に判断してくださいとしか言えない。
私もボチボチやりたい。
2015年1月28日(水) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
イスラム国のふるまいを見ていると
歯には歯をである。
多分空爆や戦争する度に
テロが起こる。
愛が無い。
そううつる。
官僚や政治家に愛が無いのに
私が愛を示す必要があるのか
という問題に近い。
憲法も守らない官僚や政治家に
私は憲法を守る義務があるか
に近い。
電磁波かなんかわからない混乱するこんな環境で
仕事するのも
なんで仕事するのか
に近い。
それでもまともに
生きようってのは
歯に歯をではない事は間違いではない。
でも相手はそういう態度を示している。
それに対して
官僚や政治家は何を考えるのだろう。
まともな考えには思えない。
本当に困っても愛が法律が仕事が
出来るってのは何なのか
わかっている人はいないように思う。
無償の愛の出来る人が
この世を変えるだろうってのだけは私にもわかる。
そんな無償の愛が
官僚や政治家に出来るように思えない。
そういう目に私はあっている。
私が生きているのは無償の愛しか無い。
それだけでも私の人生は全うした。
あんまり思い残す事はない。
いつ死んでもいい。
是非に及ばす。
そういう思いにさせているのは
官僚と政治家である。
私もボチボチやりたい。
無償の愛
2015年1月29日(木) 雑記
今日も「みちしる沼津」で仕事した。
私の場合
金が無ければ中身で勝負みたいな所はある。
正確には18歳の春に
永久機関思いついた。
予備校に通う前だった。
それから幻聴が激しくなった。
22年たって
未だに中身で勝負である。
本当にいつまでこんな不当な扱いを受けなあかんのか
私は理解できない。
振り返ってみて
金で解決しないなりに
中身で解決してきたように思う。
戦争も経済も金がいる。
だけど金がなくても中身で勝負できる気はする。
それなのに
金も無い、中身も無い
話を永遠幻聴の女の主から聞いている。
そういう意味では男も女も
同じだよなと思う。
食う寝る遊ぶも中身次第である。
中身が価値観を決める。
それがすべて金で判断するから
つまらない話に聞こえる気がする。
それが金の恐ろしさ何だろうと思う。
私もボチボチやりたい。
お金
2015年1月30日(金) ツイッターより+5
短歌十首更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> 世間さえかくれるさまに幸福の我こそ増さめ思ほすよりは 行有
---> 女ども納得いかぬ難題をいかにか君がひとり越ゆらむ 行有
---> うらめしや思ふかひなくりふじんな声に聞こえて忘らえぬかも 行有
---> 天地とともに終へむと思ひつついたるところで知らしめすかな 行有
---> ひたすらに何かをやって過ぎるなりあわたふためき目がまわるまで 行有
---> 定刻のいつもの電車のりすぎ予定がくるう悲しさばかり 行有
---> 今日もまた勉強ありて希望かな一つ一つが夢のまた夢 行有
---> さきほこる心の桜ちりぬべし雨の中にもたたえるように 行有
---> めでたくも七草粥にありついた三島をめぐりうれしさ胸に 行有
---> 風呂入り湯船につかる極楽はなんとも言えぬ世界あるかな 行有
/*ボチボチと*/
/*計画立てて*/
/*時が過ぎ*/
/*夢のようにも*/
/*明日は俳句*/
何となく英語で書いた方がいいのかなと
思ったりするけど
「歯に歯を」を英語にするとどうなるのかとか
面倒くさい。
グローバリゼーションとは英語にするというよりは
内容なんだと思う。
日本人の常識を英語にするだけでも
意味がある気がする。
私だけがそんな事をやってもしょうがない。
そういう挑戦をするのも一種の冒険である。
たくさんの勇者を募って
今日は短歌を万葉集から四首つくりたい。
なんか父に言わせるとかぜ声らしい。
ボチボチやりたい。
グローバリゼーション
2015年1月31日(土) ツイッターより+3
俳句九句更新 --->
wakkii.umu.cc/poem_road/2015… ---> イヨカンのあまさひろがる心かな 行有
---> 富士の水めぐみをうけて冬を越す 行有
---> 冬草や沼津アルプススリルある 行有
---> 冬草や負けてはならぬ日差しあり 行有
---> 鳥がまいおもいはめぐる冬の空 行有
---> 冬あれば楽しむものも吉かしら 行有
---> 冬草や求める限り気合かな 行有
---> 北風や負けてはならずたちむかう 行有
---> 冬晴の希望を持って歩くかな 行有
/*冬草や*/
/*ボチボチでんな*/
/*今日も行く*/
2015年1月31日(土) 近況_part2
今日は昼間一時間歩いた。
自分を信じてやらなければ
誰が自分を信じてくれるだろうか
誰も信じないからこそ
自分を信じる人間になるのである。
ずうっと正しい事は出来ないと人は言う。
それこそ堕落である。
科学的にはずうっと正しい事はありうる。
なぜかと言えば
神がそういう自然を作ったからとしか言えない。
何回やっても同じになる。そういう実験があって
科学がある。
なんで科学が成り立っているのかは
神しかわからない。
だからずうっとやって正しくなる方が
現代である。
それを投げ出して誰がそれを信じるのか私には理解できない。
科学というものは
明らかに正しい事は続けられる。そう神が皆さんに背中を押している。
だから科学者は
科学という宗教を信じている面もあるように思う。
そういった所で
スポーツだろうが健康だろうが仕事だろうが
科学を取り入れてもいいんじゃあないかと思う。
ずうっと正しい事をやれなかったら
それこそ社会が成り立たない。
そういう危機感が必要である。
社会が成り立っているのは
みんな正しいことを続けられると思っているからである。
確かに失敗もあるかもしれない。
だけど
正しい事を続けたいと思わずして
仕事は出来ない。
それが出来なければ
村社会しかない。
そう私は思う。
だけど自然はそうなっていない。
何度繰り返しても我々に力を与える規則性が自然にある。
これは人間にとっても大きな要素である。
その規則性が続けられる要素である。
だから堕落する必要が無い。
そう私は思う。
//part2 追記
父から正しいとは何かが難しいと言われた。
何か科学とは違う話に聞こえた。
政治家の正しいと私の正しいと医者の正しいは違う。
それは本当に良くわかる。
でも私には正しいは一つのように思う。
それは自然が決める。
自然が受け入れてこそ正しいである。
いくら私の体をいじめようと
自然が決めてくれる。
私の体は不安定である。
いつか何が正しかったのか自然がはっきりすると思う。
私はそういった手前
私なりに正しい道を進むしかない。
私にとって自然が正しいである。
だから自然に合わない話は私は正しいと思えない。
そのためなら私は戦える。
そう思う。
正しい事の継続