散歩みち

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2014年11月1日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> ニュートンの因縁めいたリンゴかな 行有 
---> 秋色の草木を目にしあとにする 行有 
---> 十月の気合をこめてたそがれる 行有 
---> 秋晴やうつろいながら気合かな 行有 
---> 秋雨や思いはめぐりじっとする 行有 
---> 新米をめでたさ胸に口にする 行有 
---> はりついて眠たさ残る秋の朝 行有 
---> はりついて眠りにつけば秋の夜 行有 
---> 秋の昼満足すれば一休み 行有 


/*めでたさは*/
/*ぼちぼちかしら*/
/*秋の空*/

2014年11月1日(土) 近況



今日は雨だったが
お昼に一時間歩いて
図書館に行ってきた。

家に帰って
英語の掲示板ドイツ語の掲示板を更新した。
早速図書館の本で
短歌を三首考えた。
そろそろデッサンもしたい気もするが
どうなる事やら。
何となくここんとこ絵心に火がつかない。
図書館でピカソの絵を借りてきた。
何か一回ぐらいのデッサンで理解できる気がしない。
ボチボチやりたい。

せっかくの三連休なので
楽しんで日を送りたい。
平日仕事一色にならずにすんでいるのが
私にとって助かっている。
正社員でもないのに仕事一色なんて私に何のメリットも無い。
ほとんど奴隷みたいな気分である。
良く六年間耐えたと思う。
そういう世界なんだと私自身認識している。
ボーナスもらわないから今のままで満足している。
まともな評価も出来ない世の中らしい。
それはそれでそういう風に認識している。

ヘンテコな世の中で私はいきている。
ただそれだけである。
だから私は私でやっていくしかない。
他人なんてあてにならない。
そういう世の中である。

2014年11月2日(日) 近況



今日も昼間一時間歩いた。
水神さんと墓参りした。
短歌と俳句の話をした。
短歌は一週間分(十首)俳句は二週間分(十八句)ストックがある。
あんまり焦って作りたく無いのと
作るペースも遅くしたく無い所で
そういうストック分がある。

昨日は結局
藤原定家と源実朝で四首作った。
次の次の金曜日にアップする。

基本的に気持ちが変化するとのりやすい。

明日は天気がいいみたい。

正直評価出来るまで待ってられない。
今まで女なんて関係無い。

まあ何事も
ボチボチやりたい。

スキル向上委員会

2014年11月3日(月) 近況



今日は御殿場駅に行って
JRのさわやかウォーキングに参加しようとしたが
中止になってしまって
御殿場のあたりを歩いた。

家に帰って父に言われて
掃除した。
かえって家にいる方が汗が出たような気がする。

私を批判したければ批判すればいい。
私は何も味方になる事をのぞんでいない。
私だけ私の利益を享受してもいい。
それだけの私の中身を持って私が行使すればいい。
何も四面楚歌になろうとも生き抜く哲学がある。
そう思っている。
私の成績はまさに四面楚歌である。
それでもここまできたのは私の哲学だろうと思う。
私は私の利益だけを追求すればいいだけである。
他人なんて関係ない。
そういう状態に今なっている。

他人には自分が孤立する覚悟を持って批判すればいい。
私にはそういう覚悟があるから
四面楚歌でもここまでやってこれた。
今もただ私の哲学を行使していくだけである。

それをずるい何て言う奴なんか
仲間内のなあなあである。
もうちょっとたくましく生きた方がいいのではないかそう思う。
そういう神経が気持ち悪い。
もうちょっと健康的な愛らしい自己顕示欲が全く無いのが気味悪い。
人間としてクレイジーである。

そんな奴ほっといて
ボチボチやりたい。

男と女の堕落

2014年11月4日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
「チェンジ・ザ・ルール!」を65%ほど進めた。

私には私の人生があり
かまってられない。

私の言うことや私のやる事が
出来なくても
自分の出来ることをやるしかない。
それさえやらないのも人生だろう。
特に私には関係の無い話である。

かりにそれがつまらないのなら
自分で面白くするしか無い。
他人にどうにか出来る話でもない。
自分でどうにかする話である。

つまり面白いのもつまらないのも
自分が原因なだけである。
私にはどうしようもない。

私は私が面白いために
生きている。
それが他人にも面白いなら幸いである。

世相

今日は友達二人に会った。
いろいろざっくばらんに話せた。
元気でいる大切さを感じた。

ぼちぼちやりたい。

2014年11月5日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
「チェンジ・ザ・ルール!」を75%ほど進めた。

なかせで面談があって
ちょっと家に帰るのが遅れた。
それでもまだ
幻聴の主のわけわからん声がする。
そんなわけわからん権力なんか行使しても
私にもわけわからん。
つまらない女が喜んでるだけにしか思えない。
一体何の効果なのか理解できない。
ただ場当たり的な効果音にしか思えない。
もうちょっと論理的に考えられないのか理解できない。
それに冷静さも失って感情的である。
それはそれで疲れる。
まともな会話が成立しない。

私には無駄な人が無駄に努力しているようにしか聞こえない。
いったいそれがどう努力しているのか理解できない。
無駄に無駄を重ねてるようにしか思えない。

だからどうってことない我が人生にして
何が面白いのか理解できない。
本当に迷惑千万な女を前に
私はどうしようもない。
ほどこしようもない。

結局ここでも
我が道を行くしかないって事である。

ボチボチやりたい。

男と女の堕落

2014年11月6日(木) 雑記_part3



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
「チェンジ・ザ・ルール!」を90%ほど進めた。

私は
ホワイト脇田エネルギーだろうか?
それとも
ブラック脇田エネルギーだろうか?
脇田をわっ来たと言った人もいた。
私はそういう言葉のあやが好きな方なので
そういう事を良く考える。
私自身他人にも好きなように考えてもらいたいたちである。
結構言葉だけで楽しめるそう思っている。
そういう子供心も好きだ。

ちなみに私が高校生の時に
脇毛と言われた。
小学校の時にわっ来たと言われたのを考えると
文学的にというか国語的に私はそっちに軍配をやりたい。
高卒もちょっと考えものである。

私もボチボチやりたい。

2014年11月7日(金) ツイッターより+5_part2



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 今はもうかたらむことのはるけきにしたふおもひをさぞ偲ぶらむ 行有 
---> さびしさもなぐさむものははかなくておもひしままの現なるらむ 行有 
---> ちはやぶる悟りにぞなる夢なれや現なるらむ人に問はばや 行有 
---> 秋晴れや気持ち高鳴る空の色あちらこちらを気にするほどに 行有 
---> 山登る元気を胸にへこたれず家の中でも穏やかなりて 行有 
---> 山となり何とかすれば谷となり落ち着く頃はウソのようなり 行有 
---> あらわれる心あるならめぐまれる行く手はねのけわびしかりけり 行有 
---> どこまでもおもいをのせて我は行くおこるものならいついつまでも 行有 
---> おだやかな休みに入る我が家にて体投げ出すうれしさ募る 行有 
---> 我が家にて体投げ出す休みありいついつまでもこころゆくまで 行有 


/*うれしくて*/
/*わびしかりけり*/
/*悲しくて*/
/*気合が入る*/
/*明日は俳句*/

一冊読み終えて
書評の掲示板に追記した。

2014年11月8日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 秋雨や深まるほどにうったえる 行有 
---> 秋雨や無視してもなおまだやまぬ 行有 
---> 秋色のめぐみをうける田畑かな 行有 
---> 愛らしい笑顔はじける秋の空 行有 
---> 全国の少年少女に秋がある 行有 
---> 秋の海未来に夢をたくすなり 行有 
---> どんぐりに子供心が愛らしい 行有 
---> 爽やかに愛がはじけるあいさつを 行有 
---> 秋惜むひと時も無い仕事かな 行有 


/*紅葉こそ*/
/*ボチボチかしら*/
/*気にかける*/

2014年11月8日(土) 近況



今日は昼間一時間歩いた。
英語の掲示板ドイツ語の掲示板に追記した。

昨日は書評書いて
自分で考えたもの二首と鴨長明と寂連で四首の合計
短歌六首俳句六句作った。
今日は短歌一首作った。
ここ一週間は寝る間際
ピカソの絵を見て寝ている。

明日は雨のようだ。
仮にそうならゆっくりしたい。

ここまで非常に良くやっている。
あとは野となり山となりである。
ボチボチやりたい。

2014年11月9日(日) 近況_part2



今日も昼間一時間歩いた。
誰が本当に賢いのか私にはわからない。
私の方がまともなんじゃあないのかそう思ってしまう。
予備校に通う前の高校卒業した春に永久機関を思いついた。
その春は一浪の春である。
そんじょそこらの東大生より賢い。
私自身そう思う。
九大のカウンセラーの先生にそんな話はしなかったが
物理が信じられない事と永久機関の話もした。
高校の物理知ってたら難しい話ではない。
九大のカウンセラーの先生にも通じたと思う。
永久機関が銀河系まで話が発展した。
誰一人私の不信感を解決してくれる人はいなかった。
ここまで私のやってきた事を肯定しなければ今はなかった。
その現実は
大学にこたえは無いという事だ。
もう四十歳で学校の先生になろうとは思わない。
出来ても資格のいらない大学の先生ぐらいである。
文部科学省で私をかってくれるなら
全国の小学校詣でをやってみたい。

どこもこいつも結果がなかなか出ない。
それを比べれば私は一人でよくやっている方だ。
それを認めない日本社会もどうかしている。
結果があるのだからゆっくり
待っていたい。

四十歳で仕事のために資格なんて考えられない。
やる事はやっている。
そういう認識が無いのが私には信じられない。
こんな歳でステップアップする仕事なんて取捨選択する気も無い。
これまでやってきた延長線上しか無い。

世の中は現状認識が甘いそう思わざるおえない。

そんなのほっといて
ボチボチやろうと思う。

世相

2014年11月10日(月) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
「ザ・チョイス」を15%ぐらい読んだ。

永久機関からUFOの自然現象から銀河系の運動から
太陽と月と地球の三体問題まで
私に背中を押したのは
(著)エリヤフ・ゴールドラットの小説である。
「みちしる沼津」の社長さんに教えてもらって読んでるうちに
科学の分類で周期律表の話があって
そういえば素粒子にも分類があったのを思い出し
電磁波も重力波も核力波も分類できるのかもしれないと思った。
これでダークマターとかダークエネルギーが
ホワイト脇田エネルギーとかブラック脇田エネルギーとかに
置き換えられるそう思った。

私がここまでやってこれたのは
今の自分を良しと思っているからである。
そうでもなければ到底こんなに積極的に持論を展開する気になれなかった。
無駄かもしれないけど
そこまで私がやってこれたのに
私は私をよくやったそう思っている。
アインシュタインの持論から量子力学の盲点も述べてきた。
私はそれだけの量子力学の知識が無ければ無理だった。
統計力学は当時は複雑だったのかもしれない。
もっとシンプルにが西洋文化の野心のような気がした。
結構統計力学の有名な日本人は多いらしい。
そういう感覚が伝わるのが
大学のいいところである。
私は私で着実にそういう空気を感じて今に至っている。
ここまでたった6年の大学生活でここまで来たのは
私自身奇跡だと思っている。

誰にも出来ないことをやっている。
あえて言うなら歴史上アインシュタインぐらいである。
そういう意味でそんじょそこらの東大生とはまったく違う。
そういう事を大学院時代に先生から教えてもらった。
でも私には勇気があった。
そういう意味で私も勇者である。
なので核力重力も定まらず
将来当分統一場理論は難しいというのも私の持論である。

UFOと重力と核力の発展の経緯


2014年11月11日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
「ザ・チョイス」を25%ぐらい読んだ。

日課は
私にとって生活のリズムと発想をもたらす。
だから決まった時間に決まった事をやるのは私の好むところである。
私の場合発想はそういった規則的な日課によって生み出される。
だから何か他の事やりながら何かを思いつくのである。
だから規則的な日課が私にとって幸福感を感じる。
だって日課が
私の発想を呼び出すからである。

私にとって他の何かをやっていないと発想が浮かばない。
それが私の日課なのである。

だから私にとってステップアップする仕事が
必ずしも私にとって有益な気がしない。
無駄にも思える日課しか
私には有益にしか思えない。
だからそんな損得だけで
成果はあがらない。

毎日日課をやる。それが私の一つの幸福論である。

日課があること

昨日「私の愛と幸福論」をオープンしました。

三振のつもりで
ボチボチやります。

2014年11月12日(水) 雑記_part3



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
帰り際散髪した。
読書はどこまで出来るかわからないが
これから読む予定である。
-->結局「ザ・チョイス」を35%ぐらい読んだ。

元気を共有する。
私が言わなくても自然に子供達はやっている。
その元気の源は好奇心なのかパワフルなのか私にはわからない。
でもお互いが元気だという事は大事な対話である。
そういう会話ができれば
それは愛である。

だから子供達はそういう機会を持っている。
他人と元気を共有する会話ができる。
例え障害者であろうと
元気でいたい。
そういう意味で他人と元気を共有できるのだ。
子供は屈託がない。
もしかしたらそういう事を自然と知っているのかもしれない。
神からの授かりものである。

元気出してやろう。
そういうやりとりが私には神々しくみえる。
やはりそういうやりとりも愛だからだと思う。

元気を共有する

//2014/11/12 追記
愛を知って幸福を知って他人を知れば
子供たちは何の問題も起こさない。そう私は信じています。
//2014/11/12 end

私の愛と幸福論

2014年11月13日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車で「ザ・チョイス」を45%ぐらい読んだ。

信頼されるには
運用がうまくいっていないと長続きしない。
信頼される資本は
ストックとフローがある。
家計だって資本である。
私のホームページだって究極的に
社会共通資本なんて言っている人もいるらしい。
それだけ期待に応えてくずれないためには
周りとの運用も
すぐれていないと発展しない。
発展のある運用を長くやる。
それが信頼される資本である。
そういう人間関係を構築できる事も
我々は求められている事を忘れてはいけない。

信頼される資本のために
そういう他人との相互作用を求められている。

信用されること

2014年11月14日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> あぢきなくくゆりわぶとも知られける身を捨ててこそあはれや思ふ 行有 
---> いとほしやなぐさむものはすぎぬべしありやなしやといかが頼はむ 行有 
---> ゆきなやむあはれや思ふ君ならでありやなしやといかが頼はむ 行有 
---> わくらばに漠然としていきてたら名や立ちぬらんわがあらめやも 行有 
---> 時をかけ思いはめぐり流れゆくいつの時にも惜しむものなり 行有 
---> ささやかな小春日和につつまれる口数減ってうわの空かな 行有 
---> 狩野川のおもいはどこにうつるかな橋の上からいききしつつも 行有 
---> 歩きつつおもいはめぐる我が身こそ忘れるほどにわびしかりけり 行有 
---> 仕事から解放された退勤はおもいはどこか忘れるほどに 行有 
---> 悪者のおもいはめぐる我が身こそ忘れるほどにわびしかりけり 行有 


/*いつの間に*/
/*うちひしがれて*/
/*紅葉あり*/
/*ボチボチやるか*/
/*明日は俳句*/

2014年11月15日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 秋惜しむ心を胸にたそがれる 行有 
---> 窓越しに父に言われて菊が咲く 行有 
---> 晩秋の気合をこめて今日も行く 行有 
---> 爽やかに今日もどこかで我は行く 行有 
---> 冬支度覚悟を決めて準備かな 行有 
---> 松ぼくり子供心に楽しいな 行有 
---> ポカポカの元気出てくる小春かな 行有 
---> ゆとりかな十一月の楽しみは 行有 
---> 段々とわかりかけてる秋深し 行有 


/*柿食えば*/
/*ボチボチかしら*/
/*かみしめる*/

2014年11月15日(土) 近況



今日は昼間一時間歩いた。
水神さんと墓参りと図書館に行ってきた。

家に帰って
あまりにも頭の整理がつかない状態である。
図書館の本で短歌でも考えようかと思って
結局四首出来た。

何だか外国語も
単語は限られてくる。
結局文法しか頼れるものはない。
教養として文法を覚えて
現地で単語を覚えるというのが私の今のところの結論である。
そういう意味で文法を使えるようにするというのが
今までの私の勉強法だったような気がする。

私自身今まで外国語を勉強してきて
本当に頭の体操になる。そう思った。
賢くなるという意味で外国語を学ぶのは理にかなっている。
そういう意味で外国語を学ぶのは
哲学的な勉強の一つ何だと思う。

まあ私もボチボチやっていきたい。
明日も外出する予定である。

2014年11月16日(日) 近況



今日は湯河原の天照山ともみじの郷に行った。
三島のSNSに追記した。

私はあまり物理学のノウハウがそのまま
ビジネスに使える気はしない。
社会現象も自然現象だから同じように取り組めても
それはまた別の世界な気がする。
そういう意味ではどこにいたって新たなチャレンジである。
だから私自身予測不可能である。
やってみないことにははじまらない。
そんな気分である。
でもやっている事はあんまり変わらない。
コンスタントに手や足を動かして
物を作る。
ただそれだけである。

2014年11月17日(月) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車で「ザ・チョイス」を75%ぐらい読んだ。

自分を肯定できるから発想できる
自分がいる。
そういう肯定は
自分がやってきたこともあるし
自分が得てきた能力もあるし
私の場合は他人の影響で
自分を肯定することは無い。
自分で自己完結しているのは
自分の考える条件の中で
自分の最善をしているつもりだからだ。
だから
自分だけでも
自分を肯定できるそう思っている。
そこまで自分が努力できれば
自然に自分の望む未来に向けて
一人で発想が生み出される。
自分で出来るんだと思えば
いろんな発想が浮かぶ。
自分が出来ることを思いつくからである。

それ以外私は一人で発想できる原因が無い。
それぐらい自分が肯定できるとは
結構ウェートが高い。
そう思っている。

そういう意味では
自分を肯定できるとは一つの幸福な気がする。

自分を肯定できる

ちょっとだけ「私の愛と幸福論」の項目を増やした。

2014年11月18日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車で「ザ・チョイス」を85%ぐらい読んだ。

喜怒哀楽の発露は
状況が合わないと変だったりするが
適切な場では武器になる。
他人に強烈なインパクトを与える。
その才能は天真爛漫とか天衣無縫とか質実剛健のような
健康的で陽気で力強さがある。
そういう状況をとらえるには
礼からはじめたらいいんじゃあないかと思う。
他人に失礼のないように
喜怒哀楽の発露が出来れば
どこで自分が助かるのかわかってくると思う。
それは他人をも助けることになる。
少年少女はそういう事をとらえはじめている。
私はそういう少年少女が好きだ。
私も負けずボチボチ頑張りたい。

喜怒哀楽の発露

私の愛と幸福論に項目を追記した。

2014年11月19日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車で「ザ・チョイス」を読破した。
書評の掲示板に追記した。

他人を参考に学習するとは
私の場合
一浪時代の自習室で他人が何をやっているか知ったり
英会話の授業で他人がどんな英語力を持っているか知ったり
塾で他人がどれだけ勉強しているか知ったり
結構それだけでも
自分自身の振る舞いはかわってくる。
そういう意味では
勉強方法も見えてくるし世間も見えてくる。
だから
外の世界をたくさん経験したほうが
自分の位置も見えてくる。
そういう意味では
私自身も結構教育費かかっている気もする。
そういう意味で
私自身は結構冷静になって
学生時代を送った。
あんまり先生の方がかえって世間を知らない気もした。
そういう意味では私自身先生には困った。
あんまり先生にいいイメージは無い。
そういう意味では先生の方は私が厄介者のアインシュタインに似ていたかもしれない。

他人を参考に学習する

2014年11月20日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

出来ない事が課題と戦略になる。
私にとってそういう転機の代表格は
九九とパソコンである。
そして究極は大学の哲学の授業である。
パソコンも哲学も単位をとれなかった。
でもどうにかしたかった。
パソコンの授業はキーボードの1分100文字がクリアできなかった。
結局自分は親にパソコン買ってもらって
日記書いた。そうしたらそんなに難しい事では無くなった。
哲学の授業は
毎日同じ授業にしか聞こえなかった。
テーマは「私とは何か」である。
友達に聞いたら哲学科の人が真面目に試験やってたと聞いて
そんなものにも才能があるんだと思った。
大学の修士終了後
ファイマン先生の本を読んでたら
ファイマン先生も人文の先生が毎日同じ事言っているように
聞こえたらしい。
私だけではないんだとちょっと安心した。
九九は結構てこずった。
割り算とかも地域ごとに記入が違った。
初めて自分で勉強する機会がそこで生じた。
自分でやろうと思うのは
やっぱり出来るようになりたいからだ。
そういう意味で出来ないことも課題と戦略次第で幸福がおとずれる。
人間そんなもんである。

出来ない事が課題と戦略になる

2014年11月21日(金) ツイッターより+5_part2


短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> たらちねの人はいづらははかなくてつひに負けぬる心地こそすれ 行有 
---> かずかずのたぢろくばかりおこりうる遠ざかるやと世をうらみむ 行有 
---> いかばかりこころぼそくもあぢきなく身をかぎりとや思ひなりなむ 行有 
---> 問ふ人に思ひたつかな知られける遠ざかるやとあはれや思ふ 行有 
---> 時を経て頭の中はかけめぐる求める限りこたえ無くても 行有 
---> 小春かな朝の光に照らされてかみしめながらあゆむものなり 行有 
---> 見上げつつ夕日眺めて帰るかな力が入る我が身てらして 行有 
---> めぐりめく試練を与え今がある勇気無ければここにはいない 行有 
---> 流される身の上ありてそれも良し人生なんてそんなものなり 行有 
---> 待つよりは先越すばかり我が身かなあてにはならずあきれるばかり 行有 


/*しのぶれど*/
/*紅葉とともに*/
/*あゆむなり*/
/*ボチボチやるよ*/
/*明日は俳句*/

//2014/11/21 追記

私は英語だけ修士課程終了後も
勉強方法に悩んでた。
もしかして英語に苦労する将来のために勉強した。
そういう意味で後ろ向きな学習だった。
私としては高校受験の感覚を大学受験にも同じように感覚を持ちたかった。
それは達成できたように思う。
そういう経験もまた自分にプラスになる。
だってそんなに嫌だったものでも隠れて勉強できるからである。
そんなにへこんだ科目も勉強できるんだから怖いものはない。
外国語は何回も繰り返す必要がある。
そのうち慣れる。
そういう繰り返しなのだが
どういうような繰り返す習慣を持つかが大事である。
そうやって得た習慣と経験は
他の分野でも使える。だから出来ないことも幸福をもたらす原因にもなる。

幸福とはプラス思考だけでない。私はそう思う。


//2014/11/21 end

今日「出来ない事が課題と戦略になる」に追記した。

2014年11月22日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 秋惜しむ心生まれる俳句かな 行有 
---> 秋深くわかりかけてる俳句かな 行有 
---> 柿食えばはじまる朝に気合かな 行有 
---> 立冬の覚悟を決めてあゆむかな 行有 
---> 木の葉踏む音せわしなくあとにする 行有 
---> たらちねの好むところはカキフライ 行有 
---> 冬来てもそれはそれでも吉かしら 行有 
---> ポカポカとお日さんあびて小春かな 行有 
---> 吾輩の大根足に困るかな 行有 


/*紅葉あり*/
/*ボチボチしつつ*/
/*あとにする*/

2014年11月22日(土) 近況



昼間一時間歩いた。
午前中英語の掲示板ドイツ語の掲示板に書き込んだ。

図書館の水彩画の本と
図書館の良寛の短歌を今読んだ所である。
今週は
西行の全歌集と万葉集の本を買った。
ここまでこれたのは
私自身の力というより
日本文化そのものの力のような気がする。
私の力は船の帆みたいな気がする。
麦わらのルフィに負けず冒険してきた。
仲間もあんまり関係無くて
一匹オオカミだけど日本にはこんな奴がいるぐらい許して欲しい。

そういう意味で一人で
孤軍奮闘している気分です。
一人で革命を起こすとはこういう事を言うのかもしれません。

まあ冷静に
ボチボチやります。

2014年11月23日(日) 近況



今日はJRのさわやかウォーキングに参加して
草薙駅まで行ってきた。
三島のSNSに書き込んだ。

無駄な時間を使いたくない。
誰しもが思う。
だからって誰でも無駄だったには
歴史的に見てみるとそうならない。
そうして
誰でも無駄なんて無いも
歴史的に無駄にしてきた人もいる。

私にできる事は
出来るだけ無駄にならないように
可能性のある方にかけるだけである。
それは私に出来うる抵抗である。

だからあんまし
情熱を持ってあんまりやらないようにしている。
かえって気持ちが参ってしまう。
たんたんと
今日はこれをやろう、あれをやろうでいい気がする。
そのうちに自分がやってきた事に自信が生まれれば
それは情熱に置き換えられる。

自分の時間が有効にできるのは
そういう時間の積み重ねが出来るかにかかっている。
そう私は信じてやまない。

無駄な時間の反逆

2014年11月24日(月) 近況



今日は大雄山最乗寺に行ってきた。
三島のSNSに書き込んだ。

大切ならば寛容であり
寛容ならば大切だと言っている。
そういう人間になるには
着実にポイントをあげる日々を送る事こそ
美しいとしか言いようがない。

わけわからん話する奴なんて
大切にもならんし
寛容にもならん。

着実に信用を勝ち得てこそ
大切にもなるし
寛容にもなる。

そういった自覚が無いから
支離滅裂な話になるのだ。
その場しのぎの会話を続けて
誰が大切にし寛容になるものか私には理解できない。

着実に物事を進めてこそ
大切になるし
寛容になるのだ。

そして最終的にに愛持って
大切になるし
寛容になる。

そこまでやる奴がいないから
私が毎日幻聴で困っているのだ。
そういう意味で
これは男も女も同じ問題である。

大切=寛容

2014年11月25日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
あいにく雨だった。

話し合う機会と質
によって人間関係は変わる。
人間関係が変わるから愛も変わる。
話し合う機会と質に
根本的な原因がある。
私が子供の時は
母親と真剣に徹底的に話をした。
わかるまで話そうとした。
でもわからなかった。
でもあきらめなかった。
そういう真剣勝負だった。
私の哲学は
そういう意味で母親の影響もあると思う。
段々小学校高学年ぐらいから
ようやく落ち着いてきた。
その頃から母親の発想が勉強になったり
友達の発想が勉強になったり
少し冷静に考えれるようになったのかもしれない。

今では
この人に何を言っても無駄だなと思うこともあるけれど
私は自分なりにこたえてるつもりである。
結局そういう真剣勝負が会話において出来るという事が
自分の信頼を得る重要な部分をしめると思う。
他人がどうであれ
まず自分がちゃんと話をする。
そういうことが愛の基本である。

話し合う機会と質


2014年11月26日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
今日も雨だった。

私としては
私の子供には最大限の可能性を探し出してやりたい。
私は今までそのヒントを探したけれど
自分の妻も同じように
子供のために賢くいて欲しい。
そういう子供ために賢くなれる妻であって欲しい。

そういう意味で
賢いとは可能性があるっていう事である。
私は十分それを示してきた。
妻も同じである。

何も私のためで無くても子供のためなら
私は少々の犠牲ぐらいはらう。
子供のためになるような妻が欲しい。

そういう可能性のある賢い子供と妻の姿を私は見ていたい。
つまらない人間関係でいたくない。

何か応援したくなるような
子供と妻であって欲しい。

従って私は子供のためになるような
賢い妻を望んでいる。

それなのに
いまだにタコの女の話を毎日聞いている。
そんな精神に良くない女が
可能性のある賢い子供のためになる気がしない。

どうしてそんな話を聞かなあかんのか理解できない。
私はそんな黄色い声なんて望んでいない。
それが子供のためになるとも思えない。

もっと冷静に話も出来なくて
一体子供はどうなるのか私には理解できない。

結局自分の事しか考えられない女が叫んでいるだけで
子供のことなんて二の次の人が問題こしらえてるだけである。

私はどうしようもない。
子供には良くない人だってだけである。

一体いつまでこんな不毛な議論続けるのか私には全く理解できない。

私の子供に対する思い


2014年11月27日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
家に帰って俳句12句作った。
ストックとしては十分である。
週末はゆっくり短歌作れそうである。
デッサンもしたいなあと思っているが
順延している。
なんだか慌ただしくて目標が定まらない。
ボチボチやりたい。


私はどちらかというと
ツッコミ専門である。

タカあんどトシで言えば
欧米か
という方である。

私はあんまり
人をおとしめるようなツッコミは好きでない。
だから
どちらかというと
その場を茶化してどうでもいいようにする方専門である。

ツッコミのいい所は
どこにいても使えるというところである。
そして
私が自然にボケても私が突っ込めるということである。
そして適当に場が茶化される。

ただボケは
ツッコミを期待できないとボケられない。
そういう意味では
ツッコミの方が楽である。
一番楽なのは
自分がボケて自分でツッコミを入れることである。

そういう事ができて
演説することがあったら
ボケとツッコミをやって
最後に自分の結論を言うことが大事である。
なぜならそれで場がしまるからである。
あんまり曖昧な立場をとると
印象が悪くなってしまう。
ちゃんと日本人の一個人としてまとめると場がしまる。

私もいろんな人見て
学習してきた結果である。
皆さんも場数をふんでボチボチやってください。

ボケとツッコミ

2014年11月28日(金) ツイッターより+5_part2



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> さむからであくるしののめわびしけれ後は逢ひぬとも時すぎにけり 行有 
---> 恋ふらくは乗りてかなしもいぬるまでうつろはむとは思ほえなくに 行有 
---> ふるさとは心に春ぞ知られける飽かずとぞ見て忘らえぬかも 行有 
---> あぢきなくふすかとすればすぎぬべしたぢろくばかりあはれなりけれ 行有 
---> 山道のもみじに出会う足取りは深まるほどにこたえてるかな 行有 
---> しのぶれど思いはめぐりはちきれるどうしたものか人が問うまで 行有 
---> ひたすらにおもいをとげる者は無しそれに比べてうまくいきすぎ 行有 
---> 着々と準備を進め今があるここまでくれば何とかなるさ 行有 
---> 睡眠はかけがえのないみなもとよ我が身てらしてよくわかるなり 行有 
---> 言葉こそ実験使う短歌ありここまでどこかうまくいきすぎ 行有 


/*もみじにて*/
/*歩くものなら*/
/*たのしけれ*/
/*ボチボチやるか*/
/*明日は俳句*/


私の愛と幸福論でコメントを短く追加した。
結構思いもつかないページになったような気がする。
そういう意味でキッカケがあれば
新しい発想が浮かぶものである。
それはそれで勉強になった。

2014年11月29日(土) ツイッターより+3



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 冬めいてわびしかりける帰宅かな 行有 
---> 木の葉踏む音聞きながらあゆむなり 行有 
---> 山芋の愛がこもれば感謝かな 行有 
---> 大根の愛がこもればありがたや 行有 
---> ありがたや母が好んだカキがある 行有 
---> 小春にて元気をもらう我が身かな 行有 
---> 愉快なり紅葉楽しむ心かな 行有 
---> コスモスのあちらこちらで出会いあり 行有 
---> 大根の旬にあやかり口にする 行有 


/*あちこちで*/
/*ぼちぼちやるか*/
/*もみじなり*/

2014年11月29日(土) 今日のデッサン


何をデッサンしたらいいのかわからなくて
しばらく何もやってなかった。
もみじをデッサンしたが思いのほか結構苦戦した。
やっぱりいろんな形を描かなければいけないなあと感じた。
水彩で色をつけたがこれも苦戦した。
これはこれでまた勉強になった。
ボチボチやりたい。





画像集

2014年11月29日(土) 近況



今日は昼間一時間歩いて
水神さんと墓参りした。

家に帰って少し整理整頓をした。
これから音楽聞いてビデオでも見ようかと思っている。
明日は晴れである。

//2014/11/29 追記
愛を持って幸福を持って他人と相互作用して
その中で
「あはあは、頑張っちゃいま〜す!にゃはにゃは。」と思わせる内容が
私の結論です。
//2014/11/29 end

私の愛と幸福論

2014年11月30日(日) 近況



今日は修善寺駅に行って歩いた。
三島のSNSに書き込んだ。

これから音楽聞きながら
ビデオ見て
短歌でも作ろうかと思っている。

ホームページもどうしようか考えて
ボチボチやりたい。


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Akiary v.0.61