散歩みち
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2011年6月2日(木) 契約の更新
仕事の契約の更新を今日会社に行ってしてきた。
8:30に間に合うように出社した。
あんまり負担に感じなかったので安心した。
家に帰ったら
Androidの逆引きの本が手に入った。
しばらく読んでいた。
運動靴を父親と一緒に購入した。
今日ニュースを見たら国会の不信任決議案の話をしていた。
世の中どうやれば収入を得れるか難しくなっている。
不景気でなかなかみんなハッピーになれない。
それを私一人ではどうしようも無い。
私も例外無く
いい加減私たちの方から政治に対して
「こんな事を実現したい」というような
みんなそれぞれ何かしらのチャンスを求めてもいいのではないか?
待ってても始まらない。
こちらから求めなくては実現しない。
私一人の力で話をつけるより
個人が実現可能性を追求する方が可能性は増大する。
日々やる課題に少しひねってみる工夫を付け加えるヒントを大人は教えるべきである。
だから私の力ではどうしようも無い。
私を上回る疲れを知らないタフで純粋な
自然発生的な若者の力に私は期待しているのである。
2011年6月3日(金) 新約聖書の小説と近況_part2
今日は新約聖書の小説を読み終えた。
書評の掲示板に感想を書いた。
今の所
英語とAndroidの本を消化中である。
午後図書館に行って
「コーラン(ブルース・ローレンス著)」と「キリスト教とイスラム教の歴史Q&A(浜林正夫著)」を借りた。
結構コーランの解釈は難しいらしい。
だから本読んで理解出来るとも思えないが概観がわかるといいなあと思っている。
あんまり大それた事をやりたいわけではない。
ここまで来たらある程度の真理を知りたいだけだ。
私の中で得れるものがあればいいなあという程度である。
だから図書館に行く前に三島大社にお参りした。
2011年6月5日(日) コーランと近況_part2
今日は
書評の掲示板に「コーラン」という本の感想を書いた。
午後からまた図書館から借りた「キリスト教とイスラム教の歴史Q&A」読んで
書評の掲示板に追加した。
私に何が出来ているのかわからない。
苦しさの中に平安を求めている。
私に出来る事は平安へのベクトルを持つ事のみである。
結果的に他人に対して何が出来ているのか理解出来ていない。
我が闘争は幸せをもたらすのか未だ確信が持てない。
一人で平安に向けて闘争している。
2011年6月6日(月) 近況
今日はXMLの本を読んだ。
何か英語は息切れ
XMLの本だけで疲れてしまった。
明日は何の本を読もうか未定である。
何となく朝方9:00過ぎまで起きているのがつらい。
普通にしていられない気がする。かえってそれが負担に感じる。
意味不明な女の声でストレスたまって
私に幸せが訪れる気がしない。
私には幸せがお互いの生産的な活動と思考の中でしか成立しない気がする。
とうてい一方の主張だけで成り立たない。
それに片方だけの思いだけが成立しても面白くない。
なのに意味不明な女の声がひたすら自己主張するのである。
私の声を無視する。
会話が成立しないから
それでは幸せはやって来ない気がする。
悲しい限りだ。
2011年6月8日(水) 書評と近況
今日は午後から図書館に行ってきた。
「大発見」の思考法を読んで
書評を書いた。
吉里吉里人は明日から読む予定である。
とりあえず
ひたすらいろいろ引きずって歩いている。
そんな心境である。
2011年6月9日(木) ホームページの更新と近況
大学受験のページの物理について少し追加した。
今頃になって何だか気になってしまった。
あんまり
つまらない世の中になって欲しくない。
好奇心や興味や楽しい部分で生きていける。そんな世の中になって欲しい。
そのために私は努力しているつもりである。
そういう努力が出来なければつまらない世の中になってしまう。
つまらない世の中から脱却したい。
それが私の本音である。
2011年6月10日(金) 課題と工夫と闘争
私は宗教を信じているのかよくわからない。
何でも便利なものを利用するように宗教があるような気がする。
科学でさえ疑うような行いをした私だから
自分は何でもありみたいになっているかもしれない。
こんな私が主流になるのかよくわからない。
亜流なら亜流でいいと思っている。
私は数字であらわれない人間的直感に頼って生きてきた。
その直感がまた数字になって自分に返ってきて
科学とは何か考えさせられた。
そう言う意味で
科学も宗教も、利用するだけ利用するという意味であんまりかわらない。
科学どうなっても宗教がどうなっても社会がどうなっても
私の正しいと思われる道を進むためにひたすら闘争するだけである。
そんな私が生きていていいなあと思う事は
課題と工夫と闘争である。
2011年6月12日(日) 近況
今日から
井上ひさし著「吉里吉里人」と井上靖著「孔子」を並行的に読み出した。
「孔子」は高校時代読破出来なかったものである。
高校時代あんまり面白く感じられなかった。だから少し理解出来るか自信が無い。
本当は英語もやりたいけど休止中である。
運動も日課である。
散歩するだけで半日何もしたくない心境である。暑くなっているから仕方ないかもしれない。
仕事も私が役に立つ事があるのか自信が無い。
プログラミングにおいて他にやりたい事が無い。
時間があるので
とりあえず仕事の復帰までにダイエットしたいなあと漠然と考えている。
2011年6月14日(火) 「我が回想録」更新と近況
「我が回想録」に去年と今年のAndroidの話を追加した。
ビンゴゲームは日経BPで最終ノミネートしたけど受賞は出来なかったようである。
結構な数の応募があったようなので最終ノミネートしただけでも良かったかもしれない。
私はビンゴゲームで画面の操作によるコーディングをした。
「吉里吉里人」と「孔子」を読んでいる。
日本人によるリーダー像を作り出す必要があるような気もしたりした。
もうトップダウンで期待出来ない所まで来ている。
ボトムアップでこんなリーダーが欲しいというようなプロジェクトが必要なのではないか?
いつまでこんなミスマッチを続けて幸せな事があるのか理解出来ない。
上でぐだぐだ考えても解決する気がしない。
どうもそういうボトムアップが下手な気がしてならない。
下から課題をたくさん与えて上に吸い上げていく
システムを考えてもいいのではないか?
どうも官僚が考える程度は小さな世界の出来事にしか感じられない。
下の世界は広いのだからもっと大きな世界で考える利点がある気がする。
2011年6月15日(水) 11の2乗とか12の2乗など
浪人時代とか高校時代に11から20までの2乗を覚えろって言われたり
因数分解して計算しろとか言われて
大学院時代にそれを言われた友人がいた。
そんな事はたいした事でないって言ったけど
そんな事が役に立つのかいまだによくわからない。
ちなみに(10+1)^2とかにすると簡単に計算出来る。
ただ階乗を計算するのは骨が折れる。テストで困った事がある。
私は今になって思うのだがテストが出来る事より
どれだけ勉強を実行する事に集中したかだと思う。
人間の人生考えたら、いろいろな事に集中出来る方が得るものが多い気がするからだ。
発想の源は実行と集中と反省である。
大学入試に上の文を追記した。
2011年6月16日(木) 他人のつきあい方
私自身そんなに自信があって生きているわけではない。
だから他人はなるべく尊重する。
その割には全面的に他人が信用出来ない面があるから
その部分を棚上げして
自分なりに正義の解を求めようとする。
そういう他人との微妙なバランスで生きているのである。
だから自分や誰かがすべて正しいとは思っていない。
孔子のような先生ほど私には自信が無いし誇りもない。
ただ非力な自分が正義の解を求めて生きている。
だから私が何とも言いようのない場合、他人を尊重し保留する。
全面的な信用なんてこの世には存在しない。
その中で他人とつきあっているのである。
理想を言った所で現実に合わなければ空論なのである。
空論ならば理想を言われた方は酷なだけである。
だから他人に言える事は私が最善を尽くす今の現状だけである。
それも全面的な信用とは程遠い。
だから他人とのつきあい方からして
私には孔子のような生き方が出来ない。
私にとって他人のつきあい方は
尊重と保留と独歩なのである。
2011年6月17日(金) 書評更新と近況_part2
「孔子」の本を読み終えて
書評を更新した。
「吉里吉里人」の本は継続中である。
現時点で役に立っているのか?役立たずなのか?
あんまり自分が世の中のどの辺に位置しているのか理解してない。
人生ってそんなもんなんですかね?
さっぱりです。
内田樹さん私にも技術革新がよくわからないです。
二十年前以上考えれば
原子力だって永久機関だって技術革新してると思いますよ。
メルトダウンで済んでるだけでも奇跡じゃあないかと私は思ってます。
それでも改善しないのは学術的な意味合いが強いからだと思ってます。
つまり学術的に解決しない難問が控えているからかもしれません。
物理に遠のいた自分が語れるのはそれだけです。
一体私は物理のどの辺にいるのかもわからない。
だから私はじっと待つだけです。
私だけでなく、ひたすら待ってたらいい事あるじゃあないかと思ってます。
2011年6月20日(月) 書評の更新と近況
「吉里吉里人」を読み終えた。
書評の掲示板に書き加えた。
井上靖著の「本覺坊遺文」を読もうかと計画中である。
今日は朝から本を読んでいた。
明日もこんな感じなら仕事出来るかもしれない。
だけど何か私自身やり残した感じが全くしない。
完全燃焼である。
どうなることやら。
2011年6月21日(火) 書評の更新と近況
「本覺坊遺文」を読み終えた。
書評の掲示板に書き加えた。
短歌と俳句と詩に短歌十首を追加した。
昨日会社に電話した。
どうも6月中に復帰出来るみたいなので調整して連絡待ちになった。
私なんかに役に立つ事があるのかわからないけど
出来る限りの事はしようと考えている。
2011年6月22日(水) 近況
今日会社に出社した。
昨日産業医が
休む期間が長いから
面談を必要との見解で
担当医の書面を持ってくるように要求され
本日その書面を受け取りにきた。
面談が7/5になるからそれまで働けなくなった。
産業医は月二日来て面談を待っている人がたくさんいるらしい。
なんだか病気に対して会社もいろいろ手続きがあって大変である。
7/5まで本でも読もうと思っている。
「西行」と「論語入門」が今の所の候補である。
今日会社に行って朝礼での話を聞いて
iPhoneのプログラミングがしたいと思った。
出来るだけ健康的に頭と体を使おうと思う。
2011年6月22日(水) 可と不可のオンパレード
教養のパソコン実習はタイピングテストで不可
教養の社会学はテストで真っ向から反論して可
教養の哲学は理解出来ず不可
かけ算で挫折して一人で学習するようになる。
私の場合学習とはマイナスからの始まりなのである。
マイナス無くして学習無し。
今でも理解出来ない分野だからこそ
学習するのかもしれない。
もしかしたら私が理解出来るから他人も理解出来るのかもしれない。
私は超人的に理解出来ないけど手段と方法を求めて理解したいと求めている。
ある意味どこまでも異端児である。
2011年6月23日(木) 社会学の疑問
私は大学の教養でやった社会学が理想論過ぎて受け入れられなかった。
テストで反論したら可だった。
今もそういう心境である。
だから私の社会学は普通に逸脱しているのかもしれない。
そんな自分が社会をかえれるのか疑問だけど
私は天に誓って私の闘争と誠意を示したいそう思っている。
だけど理想を掲げるような状況にあるというような社会が存在しているからとも言えるかもしれない。
あんまり喜ばしい社会とは言えないかもしれない。
だからそういう社会から脱却しなければいけない。
どこの大学に行ってもそういう悪循環を感じない個人主義が幅を利かした所で
世の中は良くならないそう思う。
世の中を知るとは
いろいろな他人と自分の調和を保つそう言う事だろうと思う。
2011年6月24日(金) 近況
数学の教科書や問題集を
言葉で埋め尽くす仕事をしてみたい。
そんな話題を父親にした。
工学部では数学の先生になれるのに
物理学科では数学の先生になれない。
せめて数学の天才と逆の道もあっていいように思う。
今日は診察日だった。
父親の運転で行って帰ってきた。
方丈記の鴨長明は
生きている今が苦しいままに執筆している気がした。
そういう意味で病気の苦しさから逃れるために執筆しているのではないかと思った。
そういう意味では
鴨長明と私は似たもの同士かもしれない。
私の場合電磁波と薬の副作用の苦しさだけど。
2011年6月25日(土) 短歌更新と近況
今日は短歌十一首を
短歌と俳句と詩にアップロードした。
今日も少し「西行」と「論語入門」をナナメ読み。
今日は暑くてあんまり頭と体使えなかった気がした。
今は比較的涼しくなってホッとした。
色々やっているうちに時間が過ぎる。
いつまでも時間が解決するように生活するしか無い。
こんな生活でいいのか私には今ひとつ理解が出来ないでいる。
2011年6月26日(日) 他人との会話と近況
何だか私の場合
他人との会話が真剣に出来ないと満足しない。
男も女も同じである。
どんな話の会話も真剣に出来ない相手とは
信用出来ない。
生きていく以上
まあ至極当然の話である。
今日は「論語入門」を読み終えた。
私には孔子がエラすぎる気がした。
もう少し横から見る視線も必要な気もする。
時代が異なるから仕方ないかもしれない。
「西行」はまだ途中である。
他にも「方丈記」や「iPhoneプログラミング」が残っている。
2011年6月27日(月) 近況_part2
今日「西行」を斜め読みして読み終わった。
一応
書評を更新した。
他には
「方丈記」や「iPhoneプログラミング」が残っている。
精神病だから殺人を犯すみたいな話はやっぱり偏見である。
あんまり病気を知らなさ過ぎる。
大概、精神科の病人は弱者である。仕事も出来ない人が多い。
鴨長明みたいに「南無阿弥陀仏」を三回唱えたくなる心境の人が大半で
強権的な個人主義を唱える人は少ないと思う。
だから私の知る限り大半はお互いを支えあう事で懸命である。
弱いからそんなに元気な病人ではない。
だけど私が鴨長明が病気だったと思うのは
弱さと葛藤に対して
鴨長明の執筆に向かう心理が
私には何となく理解出来るような気がしたのである。
そう言う意味で私も弱者であるかもしれない。
だけどこんなに理想に反逆するのは
それでは生きていけない。そう感じるからである。
私にとって実践出来ない理想はいらないのである。
食べる事にさえ喜ばない理想なんて屁である。
私は食べる事には純粋に喜びたい。
寝る事に純粋に喜びたい。
本を読む事に純粋に喜びたい。
あらゆる喜びをシンプルにわかちあえる、そういう創造をしたいのである。
だからそんな喜びを否定する理論なんか私は信じない。
私たちには何かしらの喜びを持つ方法があるはずだと信じて疑わない。
それが私たちの救済では無いかそう思うのである。
2011年6月28日(火) 書評更新と近況
今日、一通り「方丈記」を読み終えた。
一応、
書評を更新した。
あんまり気乗りしないけど「iPhoneプログラミング」が残っている。
最近、暑くなってきて大変である。
節電対策もしなければいけない。
2011年6月29日(水) 近況_part2
今日はiPhone開発の本を途中まで斜め読みした。
まだ今の所コードを書いていない。
UIKit詳細リファレンスを使ってならコードが書けそうであるけど
InterfaceBuilderと上手に使い分けできないか検討中である。
画面の遷移とタッチについてはまた明日読んでみる予定である。
何か今日も暑くて本読んでたら疲れてしまった。
今日久々に体重計乗ったら重かった。
10kgぐらいまたダイエットしなければいけないと思った。
薬を倍飲んで副作用で食欲増進した。
人生割りに合わない。私の事になるといい加減だ。理不尽でならない。
しょうがないから、腹筋、背筋、腕立て、スクワットをした。
明日も出来るかわからないけど継続したいそう思っている。
2011年6月30日(木) 近況_part2
iPhoneプログラミングUIKit詳細リファレンスを少し読んだ。
内部構造であるクラスライブラリを理解しないと開発出来ないそんな気がした。
今の所、Appleのホームページからサンプルやリファレンスを参考にするしかなさそうである。
私としてはInterface Builderとクラスライブラリを理解したいそう思った。
だけど特にiPhoneやiPadで何かがしたいという事も無いので今後も時間まかせである。
今日も、腹筋、背筋、腕立て、スクワットする。
結局、試行錯誤の上簡単なiPhoneアプリを作った。
ラベルにボタンを押すとテキストが変わるようなものを作った。
画面遷移のブログを見つけた。サンプルを見つけるのが大切なのかもしれない。
ただそれだけで頭は一杯一杯でした。
やっぱり実機が無いと感動は薄いけれど
ただiPhoneのエミュレータはAndroidのエミュレータより軽快である。
それには感心した。