散歩みち
バックナンバー
2009年11月1日(日) 我が幼年期とアイデア
我が幼年期を振り返ると
する事がなくてレコードと本で童話に接する事が多かった。
そのため我が幼年期は空想する少年だったような気がする。
もう少し算数に興味を持っても良かったと我ながら思うのだが
どれだけ自分の想像力をとるかどれだけ算数をとるかといった話になりそうな気もする。
それだけ空想癖があるだけにあんまり現実的な見方をしなかったような気がする。
どちらかというと現実的な見方より自分の感性の方が興味があったという事だろう。
そんな経験があるだけに今日、「橋本治と内田樹」を読んでいたら
私のホームページから童話が作れないかと思ってしまった。
私には童話が作れないと思っているけど、
誰かに頼めば結構すじのある童話ができるのではないかと思ったんだけど
どうでしょう?どうしても無理かな。
2009年11月3日(火) 我が世界は現実とは別世界
我が世界は現実と頻繁に対話している。
けれど我が世界は現実とは離れた別世界である。
つまり一歩引いて謙虚で自由な我が世界である。
そんな我が世界があるような気がしている。
集中するとそんな我が世界の中で考えているような気がしてくる。
そんな我が世界にいる私自身が好きなのである。
だから、出来るだけ我が世界にいたいと思ってしまう。
その点で他人とのつながりが欠点かもしれない。
2009年11月6日(金) JSTQBテスト技術者Foundation Level
今日合格証を手にした。
本当に合格しているのか不安だったので
ようやく一安心した。
試験当日は記入ミスがあって60%ぐらいしか見直しが出来なかった。
その見直しも自分の答えを見て間違いがないと感じる程度で
難しくて全部見て見直し出来なかった。
結局果たして何割できたか想像できない。
ただ全力を尽くした感覚だけである。
明らかに問題集よりまぎらわしくて難しいのだがシラバスやテキストで
用語の意味を分類して覚えられれば試験は何とか判断できた。
とにかく合格証を手に出来て一安心である。
2009年11月9日(月) 過度に誰かに依存しない自分の世界を自分一人で真面目に信じる
今(2009/11/09)私に残された信仰は現実と自分の世界の対話をしつつ
孤独の中で一歩引いた謙虚で自由な現実とは別世界の自分の世界を
自分一人で真面目に信じる事である。
自分が何かを為すのに
誰にも頼らない、誰の責任にもしない、誰にも求めないためには
自分自身ではなく現実に数歩離れた間接的な現実と別の自分の世界を
自分一人で真面目に信じるしかない。
そして自分の感性と自分の思いと現実を
自分の世界の中で形成していければ、誰にも左右されないのである。
また自分の世界は存在するものではなく作り上げるものである。
だから自分の世界のために創造する必要があるのである。
2009年11月9日(月) 自分の中に無い真意もしくは真実は遅れて認識する。
私の場合、受け答えのバリエーションでその場で反応出来るが
私の中に無い本当の真意や真実の理解は遅れて認識するような気がする。
ただその認識が宗教として成り立つのか私には良くわからない。
たとえそれが真実だとしても
私がその認識がなくても不都合を感じないからである。
本当の真意や真実に至れば私はまたそれに対応しようとするからだと思う。
また即断せず他人にある程度、配慮できるとしても
いくらでも他に補正する機会はある気がする。
今日の私と明日の私が同じなら
遅れて認識する私も私である。そういう私に今の所不都合を感じないのである。
けれど他人に対してそれがをどのような意味持つのか興味のあるところである。
2009年11月14日(土) 自然現象の複雑さから感じるもの
私がいろいろ述べれば述べる程問題は複雑になっている気がする。
法則は明快でも自然現象は複雑なのである。
人間の心も愛も世の中も自然現象だから複雑である。
それが理解出来ないなら
その複雑さを経験した方が良いのではないかと私は思うのだが
教育関係者は15%ぐらいの大人と残りの子どもで良いという判断基準が
私には理解できない。
私は本当にエンジョイしたければ15%の大人に入りたいそう感じるからだ。
ある意味そういう複雑な世界で何かを形成して他人と合意出来る方が
エンジョイできると思う。
15%の大人と残りの子どもの長所と短所または人生観や世界観をもっと明確に
提示出来なければ誰も満足しないのではないかそう私は思う。
2009年11月14日(土) 近況
9/12の木曜日夜から発熱してしまった。
金曜日に病院に行ったがインフルエンザは陰性だった。
とは言うもののインフルエンザじゃないとは言い切れず
医者から熱が下がるまで安静にした方が良いと言われた。
本でも読みながらゆっくりする予定である。
2009年11月15日(日) コワイ
勉強すればコワイし
研究すればコワイし
仕事すればコワイ。
ありふれた世界だと思うんですけど何がいけないのかわからない。
多分私が思うに私には責任がないけど
上の人は私のやる事に責任があるからじゃあないでしょうか。
私は出来る限り上の人の要求に応えるしかない。
怒られても上の人の話をよく聞くしかない。
責任に逃れて上の人になりたいと思わなければ誰でもコワイ状況はあたり前だし
責任のある上の人になれば下の人のやる事に責任があるから
誰でも整合のとれたコワサが伴うと私は思う。
こわくても自分の事情と改善点をコミュニケーション出来れば
きっと道は開かれる。
2009年11月17日(火) 「日本辺境論」 内田樹(著)
別世界や他者に対して遅れてやってくるに固執するあまり
別世界や他者が持つリソースしか語ってない極論に聞こえた。
この世に無い物をこの日本でもたくさん生み出している。
歌舞伎やら写楽やら他にも科学だってそうである。
この世に無い物が自分が実現したい心の中に
こつぜんと生み出されるには別世界や他者より自分が作り出す自分の世界に依存する。
そうやって一日一日自分と向き合う心が
創造を生み出すとしたらそれが一生懸命なので
別世界や他者にも向き合ってもあまり何かに固執する事がなくなる気がする。
2009年11月21日(土) 近況
平日は慣れない統合端末のテストを実施している。
スピードのアップを求められて慌ただしく
来週もどこまで出来るのか予断を許さない。
そんな中での休日とあって
落ち着かず気分転換したいのだがいろいろ雑務におわれ難しい。
紅葉シーズンだから適当な所で散策したいのだが
明日の天気も含めどうなる事やらわからない。
今日のうちに何か良い計画を立てたい。
2009年11月22日(日) 修善寺の紅葉
修善寺に行ってきた。昼食をとるのにどこも行列で大変だった。
よく歩いたし景色を眺めて気分転換にもなった。
明日は本でも読んでゆっくりしたいのだが
ただ一つ計画があって自分のスーツを買う予定である。
明日時間があれば文教町にある銀杏並木をデジカメを持って見に行こうかと
作戦中である。
2009年11月23日(月) イトーヨーカドーで買い物
買い物した後イトーヨーカドーの銀杏並木はまだ青かったので
文教町に行くのはあきらめた。
明日の午前中は診察日である。
病院に行くのも気が重い。本当は私の環境をマスコミに訴えたいのだが
誰もとりあってくれない。
生存権、プライバシーの侵害な目にあって私の置かれている技術の警告を
みんなに向かって発信したい。
私にしている事がどうしても許せないのである。
なのに誰もとりあってくれない。疎外感を感じ悲しいとしか言いようが無い。
2009年11月30日(月) 負け戦と勝ち戦
日本の戦を知れば
勝ち戦をする殿様もいれば
負け戦をする殿様もいた。
勝ち戦を続けるには
未来の新時代を読み取る事ができるかにかかっている。
負け戦をする殿様は
今までの時代を引きずって今までの時代を終わらせた。
だからどんな未来を希求するかは大事な要素である。
なぜならその希求する未来が勝ち負けを決定するからだ。
だからこそ未来の創造に向けた日頃の活動こそ
大事なのである。