散歩みち
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2009年4月4日(土) 花見
今日は桜の花見のため散歩した。
情報処理の試験(4/19)に向けて勉強もしたいのであるが
せっかくの春だから花見もしたかった。
太陽の日差しに恵まれて陽気なひとときだった。
2009年4月8日(水) いろいろな意味でチェンジするには
時々私の感じる真実に突き詰めてみたい衝動にかられる。
今の科学にだまされている気になったり、
テストが出来る事が賢い気がしなかったり、
他人の感じる真実が真実ではない気がしたり、
本当の真実はどこにあるのか突き詰めたい衝動が
自分自身の中に生まれない限りいろいろな意味で改善しないだろう。
今ある知識さえ正しいと思えなくても、今ある知識に挑戦するたくましさこそ
いろいろな意味でチェンジする可能性が生まれると私はそう思う。
結局、こだわりの部分で現状そのものの納得や満足より
相反する今ある知識の挑戦と今ある知識への否定こそが
いろいろな意味でチェンジする核になるとそう私は思っている。
2009年4月11日(土) 色即是空空即是色
仏陀が本当に悟りを開いたのか疑ってしまうぐらい
私は悟りの世界に程遠いと思う。
ただ自分の中で悟りに一番近い状態は
夢中で何かを考えて行動している時である。
その時はつらい事もなく自我も飛び越えてこの世界の真実にせまろうとしている。
私は座禅が出来ないしやろうとも思わない。
この世の真実を見極めるほうがよっぽど理にかなっている。
ただし、本当の真実は永遠のテーマであるから真実に近づいた気になるだけである。
だから私にとって幸福とは
夢中で何かを考えて行動する機会を増やした方が
余計な事を考える必要がなく幸福でいれると私はそう思う。
2009年4月12日(日) 教養
学校の教養を学ぶ良い所は
世の中に何があって何がないかわかる所である。
しかも各分野を見渡しても自分自身が楽しんで満足するものを
なかなか見つけることが難しいという事実である。
楽しんで満足できる自分の興味あった物理の方が性に合ってる事も再認識する。
だけど与えられた自分の時間を考えれば今の私は物理をやるには無謀である。
だから自分の専門以外で自分の楽しんで満足するものを見つけ追求していきたい。
当然専門以外なので専門的な追求でない事は承知している。
だけど私ほど自分が楽しんで満足して追求している人間はそんなに多くないと
学校の教養を学んでそう思い込んでいる。
2009年4月20日(月) 蜂が蜂を襲い鳥が鳥を襲う。
昨日の日曜日のテレビ番組を見て思った。
蜂が蜂を襲い鳥が鳥を襲う。ならば
戦争のような人間が人間を襲うのも仕方ないのかもと感じた。
私自身自由な平和ボケで戦争自体くだらなくあほらしいとは思うが
そう思えない苦境にあればそういった食物連鎖のようなつながりがはっきりして
人間が戦争を止めない原因の一つなのではないかと思ったりした。
何のためにこの地球に生物がいるのだろう。
この地球と食物連鎖のつながりはこの地球に何を意味するのだろう。
そういった問いが人間の戦争にもつながってくるそんな気がした。
2009年4月20日(月) 縛られない自由な可能性
いろいろな他人のいろいろな話を聞いて
些細な可能性でも大きな可能性でも結びつける人になるのは
なかなか難しい。でもそんな事が出来る人こそが仏陀なのだと私は思う。
特定の人にこだわらず、特定の考えにこだわらず、
無やら空となり謙虚に真実を見通そうとする。
自分の追及した真実さえこだわらない。
常にトータルで何が可能か、無やら空となり謙虚に判断し
どんな可能性をも模索するそれが仏陀なのだと思う。
2009年4月24日(金) 主体性と客観性
自分自身に主体性と客観性を持たせるには
自分のやる事に自分の判断で何らかの妥当性を問う必要がある。
この世にはそういった機会を得る事が我々にとって人生の生甲斐につながる。
なぜなら自分のやる事において主体性と客観性の反復の中で妥当性を問えば
いろいろな工夫やいろいろなアイデアが生まれるからである。
また自分自身に主体性と客観性を持たせる機会は自由な社会の一つである。
だから自分のやる事に対する妥当性が自分自身の判断で
本当に問えているのか考える事は
我々の人生にとって重要な要素である。
2009年4月28日(火) 他人の理想
私の小学生から高校時代に近くに住んでいた奴の話である。
私が水泳大会でズルをした。
ある下級生はアンダースローで投げていない。
ある同級生は先輩に抜擢されて平等じゃあない。
それが本当であれ、
もっとどのようにすれば良かったのかのが大事なんじゃあないのかと思う。
彼らにあるのはそういう人間そのものの否定にしか聞こえない。
あいつはダメだ。そういう風にしか聞こえない。
それでいて多分どうせ自分のやる事はたいした事ないから手に負えない。
成功するにはそれなりの努力が必要なのに
勉強する事を否定し努力をする事も投げ出している。
なのに自分より強い他人に厳しいのである。何かがおかしいそう気づかない事には
今もなお他人の理想は成り立たないそう感じている。