- 前置き
- 私自身について今だからわかる過去の私についての事実もあるのである。
つまり私自身の情報自体が正確ではなかった。
できるだけ自分なりに自分の過去を回想してみたい。
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- 幼稚園時代
- 頭がすっきりしない感覚があったような気がする。
それだけ何かが出来る空白期間だったかもしれない。
今考えると簡単な詰碁や詰将棋やクイズをやってみても良かった。
ウルトラマンやゴレンジャーとか見たりレコードで童話を聞いたりしていた。
母親とは納得出来ず、あきるまで良く会話をしたような気がする。
父親の背中からある程度正義になるような方向性をたてる必要を感じていた。
それでも現実とかけ離れた空想癖があって
童話の影響が強かったような気がする。
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- 島本の小学校時代
- 入学した頃はケンカしたような気がする。
母親とは良く口論した。
こんな事を繰り返すうちにケンカしなくても
口論で済むようになるのだが口論で納得する事はなかった。
それでも次第にケンカまではいかなくなっていく。
自分が悪い時は謝る事も覚えた。
小学校時代も我が空想癖は周りの現実のクッションだった。
掛け算と割り算で苦戦し始める。
掛け算と割り算で自分で勉強することを覚える。
入塾試験に一回落ちてしまい通信教育で勉強して2回目で合格する。
塾の2回目のテストでIQが高いとほめられた。
京都の塾だったのでテストの解答の書き方が
島本の書き方と異なっていて一回目は不合格だった。
塾では算数の先生が面白いと感じて
算数が好きになった。私が勉強が面白いと感じた原点である。
算数の偏差値だけはそれなりだったような気がする。
小学四年の夏に隣町の高槻に転校する。
- 高槻の小学校時代
- 勉強の努力をしてはいけない小学校だった。
それでも落ちこぼれはいた。理想と現実がかけ離れていた。
勉強以外でいろいろな取り組みをさせられて
塾に行く頃にはクタクタになってしまい。塾をやめてしまった。
それでも塾に行った経験は貴重だった。
世の中はものすごく勉強している人間がいる事を知ったからである。
みんなで何とかする、あまちょろい理想は幻想に思えた。
サッカーで未完成ドライブシュート開発する。
翼くんのようなシュートじゃあないから未完成なんだけれど
とりあえずドライブシュートができるようになった。
テレビで翼くんのドライブシュートのような
Jリーグのシュートをテレビで見たが
ある意味であれもまだ未完成ドライブシュートじゃあないかと思ったりもした。
小学五年に寝ているときに発作が起きてテンカンだと診断される。
この時から暗黒の時代に入る。
今思えば私の体に電気を流す前段階だったと思う。
小学5年生から高校3年生までテンカンの薬を飲んでいた。
薬のせいで運動会とかハードルとかで緊張すると筋肉が萎縮するようになる。
水泳大会である人のピンチヒッターで2回泳いだのが他の組で批判されたが
現実問題として今でも妥当だったと思う。
水泳もだんだん早く泳げなくなっていた。
高校時代にもいまだに根にもっている奴がいて
私の人間性が悪いみたいな感覚の方が
余程どうにかしていると思うんですけどあきれかえるばかりである。
だんだん困難が増していく時代がこれから始まる。
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- 高槻の中学校時代
- 中学2年の頃、体がだるくなってきてウツ状態になってくる。
高校受験をひかえ頭が一気に活動し始める。
頭がスッキリした感じがした。
頭を使わなければウツになる危機感がめばえる。
英語も勉強したが外人のrunとlearnの区別がつかず
初めて英語教育の偏差値に問題を感じた。
それでも英語の読解と文法を中心に勉強した。
学研のテストで社会か理科で70を越す偏差値をとった。
社会か理科どちらか必ず70を越していたし
片方が超えてなくても68とか67だったので
トータルで私の本当の偏差値はもっと高かったはずである。
この時からすでに私の状況は悪くなってくる。
まわりの不満と連動するようになるのである。
野球ボールでカーブを投げれるようになった。
私の方法を使えば野球ボールを投げれればカーブが投げれる。
今ではカーブと同じく野球ボールを投げれれば
無回転の変則フォークが投げれると考えているが試した事は無い。
高校進学の基本理念は地元集中制だった。
私にはどうしても無理だと思ったし今でさえ無理だと思っている。
私の高校のテストと妹の高校のテスト見たら差は歴然としている。
テストの中身を見れば授業内容自体も全然違うはずである。
なんで現実感覚のない理想を掲げるのか理解できない。
なかには理想に囲まれて自我の希薄な奴もいて
かわいそうとしか言いようがない。
本当はそういう奴ほど賢いかもしれない
仲間の事を考える奴が損をして自分の進歩を考える奴が得をする。
そんな中学時代だった。だからこそ頭のいい奴には
自分の進歩を中心にして仲間の事を考えろと言いたい。
自分の事も考えられない奴が仲間の事も考えられるわけないからである。
理想の危険性に問題を感じて高校に進学する。
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- 高槻の高校時代と一浪時代
- 高校でバトミントン部に一年在籍した。
上りや下りの坂道で走れない。手首の方向がわからなくなる。
結局やめてしまった。他には腕の痛みでバレーのサーブができない。
ストレスと緊張の伴う事は全然出来なかった。
そのため不安定な性格だったと思う。
ウツにもなりたくなかったので出来るだけ本を読んで頭を使った。
3年生の時高校の図書館で科学の雑誌で永久機関の話を知った。
新しいエネルギーに興味のある自分になんとなく頭に残る程度だった。
また我が家の冷蔵庫に永久磁石があって星の核エネルギーみたいに
永久磁石にもエネルギーがないのに磁石が永久なのが不思議だった。
その不思議な磁石で永久機関が出来ないか
私の一浪時代に発案したのである。
結局それが我が20代にわたって頭を悩ませてしまった。
大学受験は困難を極めた。幻聴で全く頭にインプットできなくなってしまった。
英単語は忘れていく一方である。
こんなに後ろ向きにテストを受けるのは拷問だと思った。
どのように勉強すれば良いかわかっても
実行できないうしろめたさは最悪である。
心がすたれているのが良くわかった。
いやされたいその一心で山口に行った。
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- 山口の大学時代
- 幻聴でまた一浪時代から違う薬を飲むようになった。
数学のテストの直前に他人に教えていたら
本番で混乱してしまい他人は合格したが私は不合格になったりした。
一人でいると気が遠くなったりした。
大雨の日に太ももから血が吹き出たかさぶたが出来たりした。
そんな事がありながら図書館で浪人時代の永久機関の事を調べてみると
どうやら実現しそうな事がわかってきた。
パソコンで数値計算してみたがやはり実現しそうである。
どうして実現するのか検討もつかなかった。
当面今のある物理を学んでいくしかなかった。
大学院試験は気分をかえて図書館とアパートと研究室を駆け巡り
日記を書きながら一日を振り返る日々を続けて試験を受けた。
最後のほうは追い込みで日記を書けなかったが作戦はとりあえず成功した。
自分が出来そうなパソコンを使った物理に手がかりを求めて
別天地福岡に行く。
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- 福岡の大学院修士時代
- 福岡では毎日夜3時頃まで寝られなかった。血便も何回も出た。
こんな体の状態で研究できないと思った。
けれど2年間だけ頑張る事にした。
山口大学白石先生の研究室のホームページを見ていると
相対論の多次元化についての研究を目にした。
確かに素粒子の分野ではそんな研究もやっているらしい。
多次元化すれば新しいエネルギー保存則が見つかるかもしれないと思った。
平行して自分の研究つまりビッグバン元素合成の数値計算を進めると
温度の計算が不思議な気がした。
そんな中何の物理量が相対論の次元になるのか考えてみようとした。
結構ありふれた物理量なのではないかそう独断した。
そして温度は宇宙の歴史を現している。
温度と時間が同じように宇宙の歴史を語っていた。
それに気がついた時、温度が多次元化の一つだと確信したのである。
その後私たちは日光を浴びて温度を感じる事とか
光のエネルギーが温度であらわされるとか
太陽の黒点が磁場に影響されているとか
見事に説明できるのではないかと感じている。
浪人時代の永久機関は宇宙のエネルギーに特異点があるように
永久機関のエネルギーにも特異点があるかもしれない。
当時は現実が見境なくただ恐ろしくて怖かった。
天変地異でも起きたような気がした。
この頃日本語の文章でさえ読むのが困難だった。
英語の論文はなおさらだった。
ベルギーの先生と駅で会った外人と英語で話す機会を持った。
どうにかして英語を勉強する必要を感じた。
2年間の最後の方はほとんど毎日の時間を
寝て過ごす寝たきりになってしまった。
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- 津
- 我が家族は一応転勤族なので修士終了後、津に過ごす事になった。
周りの風景が灰色に見えた。歯が抜け落ちそうな気がした。
寝たきりを回復しながら
情報処理について整理しながら静岡の親戚と仕事をした。
しばらくは集中力がなくて本を読むのが大変だった。
けれどだんだん図書館で本を読むようになる。
関心は物理とは何かまたは科学とは何かと移ってゆく。
短歌も作るようになる。
「経済は設備投資すべき」とか「自然は生物の実験場である」とか
だんだん自分の頭で考える事やら文章が世の中に活用され始める。
それで違和感を感じ始める。
少年時代から経験したサッカーと野球についても
自分の簡単な理論を展開した。
今ではどうなっているのかわからないけれど
結局難しい理論になっていると思う。
水泳も津と名古屋と三島でやったけどクロールが早く泳げなかった。
平泳ぎは津と名古屋と三島でそれなりに泳げた。
クロールや平泳ぎも自分の体つきや筋肉や薬などに
左右される気がなんとなくする。
それでも津にいる時は寝る時間は長かったと思う。
そんな3年間を過ごして名古屋に引っ越す。
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- 名古屋
- 名古屋にいたのは1年間足らずである。
自分の寝言で目が覚めて薬を飲むのが怖くなってしまった。
薬を拒否して和歌山に旅をした。
催眠状態におちいり自分の行動が他人の意図だと疑心暗鬼になるうちに
今だけではなく今までの自分の環境が劣悪である事に気づいてしまった。
要するに私の体は実験道具だったのだ。
まぶたはひかり、布団がひかった。
電流計は数百ミリアンペアを複雑に変化した。
そうこうするうちに幻聴と対話し始める事になってしまった。
オーバーアクションで原子核のなかに
波長の長い光があるんじゃあないかとか言ったら
レーザーで冷やして中性子が取り出せるようになったらしい。
それって常温核融合できるようになったという事だ。
私とつながりがあるのかわからないが
たまにはオーバーアクションも必要かもしれない。
私はMC^2という保存則だけを考えたら
安定した光そのものが質量なんじゃあないかと思ったわけである。
もちろん仮説の次元が増えれば話はそう簡単ではない。
そうして三島に引っ越す。
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- 三島
- 最初は誰かに襲われている感覚があって幻聴とともに生活する。
結局苦痛に耐えかねて薬を再び飲むようになる。
何かされている恐怖はとりあえずなくなった。
それが何の解決になるのか私にはわからない。
自分の体を実験道具にされている事実はなくならない。
結局幻聴とつきあいながら今のホームページを作り始める。
物理とは何か科学とは何かからもろもろの自分の過去を清算する。
「大学受験」と「花のある生活」を試みる。
短歌と俳句と詩も試みる。
三島の駅でアジアの外人に話しかけられる。
うまく対応できず他人にまかしてしまった。
仕方なく英語の勉強を再開する。
とりあえず英語の基本は読む書く聞くである。
書くではホームページの日記や掲示板を使い。
聞くではTOEICのCDや音楽CDを携帯プレーヤーに保存して使っている。
読むではいくつかの本を使って
文章の順番通りで理解できるように努めている。
一年ほどあゆみ橋デイケアに通う。
デイケアでは朝が起きれるよう規則正しい生活が目標だった。
その後一年半ほどサニープレイスかんなみに通う。
サニープレイスでは農作業や惣菜の調理が中心であった。
この期間中に基本情報技術者とソフトウエア開発技術者を取得した。
初めてドラムを教えてもらう。発表会に2回出席する。
現在家に電子ドラムがあるが思わぬ変な力が入って
神経がグニャグニャになるからドラムは休止中である。
ドラムは幻聴がなくなったらまた機会を作って練習したい。
その後2007/08/01から東芝TECの子会社にアルバイト勤務する。
東芝の子会社ではCOMの作成、COMの利用、DLLの作成、MFCの作成、
WFの作成、ASPの作成、PDFの作成、二つのCSVファイルの編集、
CSVファイルとINIファイルの作成と編集、
WORDとEXCELとPOWERPOINTとACCESSの使用、
Visual StudioとSQL ServerとNotesの使用、
デザインパターン、JSTQBテスト技術者試験Foundation_Levelの取得、
ソフトウエアとハードウエアのテストとテスト仕様書作成、
ネットワークの活用、データベースの活用、他には技術情報の収集などを行う。
特に関数の分割が勉強になった。
COMの作成に関数の分割が会社のソースコードから可能である事を発見した。
OFFICEによるWORDとEXCELとPOWERPOINTとACCESSのマクロが便利な事を知る。
マクロは使う事が多いが今の所自分自身が作る事はない。
大学院で参考になった知識は
UNIXは自動処理のShellでも手打ちのコマンド入力でも
コマンドと引数と標準入力と標準出力とエラー出力だけで動く。
Windowsのバッチファイルとコンソールも同じ原理である。
2010/03量子論の確率の不思議について新発想を思いつく
電子の対になるスピンの向きが2つありその確率が1/2であり
スピンの情報が確定する早さは
光速を超えているのではないかという話に何気なく不思議になってしまった。
どうしたらそれを説明できるのか考えているうちに
電子のスピンは上と下を交互に繰り返して軌道しているのではないかと考えた。
二対のスピンは互い違いに↑↓と↓↑を交互に繰り返して軌道しているとしたら
量子論における二対のスピンの確率による因果関係が一気に解決する。
量子論の難解な確率の因果関係は
何対かで互い違いに状態を交互に繰り返して軌道していると考えられれば
因果関係をハッキリできるのではないかそう思いついた。
2010/08 Androidアプリの仕事を始める
ビンゴゲームやWifiのアプリを作成する。
コーディングの機会が増えた。
2011年3月に動いていたコードが動かなくなって途方にくれた。
飲む薬の関係で仕事が出来なくなった。
コーディングの仕事で無いと仕事は評価できないと説得された。
私が役に立てる事があるのか自信がない。
今のところコーディングでやりたい事がない。
iPhoneやiPadだけでなくWindows 8も出てきてAndroidが有力になるかわからない
東芝でAndroid製品を出している間は仕事はあるかもと漠然と考えている。
2012/03 AndroidアプリとFlashのアクションスクリプトとホームページの仕事
結構あんまり他人がやらないAndroidアプリが出来たように思う。
当時は7インチのタブレットが
3.1とかだったので4.0以上だったらもっと違っていたかもしれない。
でもタッチパネルぽっくはなった。
Flashのアクションスクリプトもオブジェクト指向なのでそんなに苦にはなんなかった。
あんまし何やったか記憶がないけれど
ソースコードを読んだ記憶はある。
2012/04 LinuxのPinpadによるC言語標準化ミドルウェアの仕事とEdyの動作確認とRFIDの設定とテスト
結局いろんなLinuxのPOSの作業を一年かけてさせられた。
あまりにも多岐にわたるので周りの影響と自分自身の勉強がいきたような気がする。
後半はWindowsがらみのシブイ仕事だった。
2013/04 郵政のWindows7対応、HTTPファイルのアップロードダウンロード、インストーラーの調査
郵政のWindows7対応でコードの解析にまいってしまった。
あまりにも細かくて理解できなかった。
他にはVisual Studio2005のコードのためか私の2010の本では理解できなかった。
結局上司に言って
私の出来る事を全うした。
本当は有給休暇とりたかったけど最後の最後まで仕事をして退社した。
2013/09 テックインフォメーションシステムズ退社
あんまりにも症状が良くならなくてもっと自分の人生をよく考えたくなって退社した。
やっぱり六年間在籍したが相当なストレスで仕事してた。
いい経験になったが私としては良かったのかは不明である。
ただ無駄に時間を費やしたのかもしれないと思ったりしてしまう。
勉強なんて会社にいてするもんじゃあないとしみじみ感じるからだ。
その後
プロジェクトマネージャーの本読んだり3Dプリンターのアプリの本を読んだり
ACCESS 2013とVisual Studio2010のプログラム組んで印刷したりした。
2014/04/10 「みちしる沼津」に本採用
私としては仲間が出来ればいいなあと思っている。
何でも形になるそう思っている。
一人の力では何ともしがたいが
「みちしる沼津」さんの判断とともに出来る限りの事をしたいそう思っている。
私の時間で勉強ができるのがすごく気に入っている。
テックじゃあ考えられなかった事である。
自分が勉強してきたこともホームページで形になっている。
このままなるようになるのではないかとそう思っている。
2018/04/29 「みちしる沼津」
あんまりプログラムと関係ない仕事をしているのが気になるけど
なかなか仕事を見つけるのは難しい気がする。
メリットは自分の時間が持てる事である。
今まで数回プログラム関係の仕事した。それでもフルタイムじゃあないと
プログラムの仕事は難しいと言われた。
そんなに仕事したいかと言われるとあんまり仕事したい気にならない。
なので現状は読書が主になっている。
それでもフルタイムよりはマシである。まだ当分読みたい本があるので
今を継続している。やりたい仕事をするのは難しい。それが私の本音である。
とりあえず健康と元気がバロメーターである。
「11次元まとまる」
その間超弦論の11次元を見つけてしまった。
確か青色の発光ダイオードのノーベル賞を取った数日の時
たまたまザゴールの続編読んでたら分類を思いついて
次元になる気がした。
既存の四次元に温度に電場と磁場と強い力と弱い力と重力と重力の対である。
もしかしたら宇宙空間にこれらの次元が漂っていたら
ダークマターとかダークエネルギーとかになって
残りの90%あまりを説明出来るかもしれない。
そんなこんなで私もよくやっていると思う。
これ以上どうしたらいいのかわからない。
これでなるようにならなければ人間を疑う気持ちである。
エネルギー保存則も流体力学も変わる。
なんか私は夢のような未来が来る気がする。
私がする事はただひたすら読書して待つだけである。
ともかくボチボチやりたい。
「外国語をやり出す」(2014〜)
最初ドイツ語やり出して一年ぐらいやってた。
そしてももう一つ言語やりたいなあと思って
世界の構成人口考えたらフランス語になった。
フランス語も半年とちょっとやって
それに韓国語と中国語が加わった。
最終的にアラビア語がゴールだけどアラビア語はとりあえず保留している。
なんか日本語から見ると気分転換にはなる。
英語もそれなりにやっている。ヒアリングまでやっているのは英語だけである。
それだけ終わりはない底なし沼みたいである。
「色んな仕事を出張する」(2017〜)
国の法改正で単価の高い仕事をやらざるおえない状況になった。
体力使ったり指が疲れたり筋肉痛になったり
重労働が多くなった。もっと障害者にやさしい日本になった方が良いと思う。
それなのに法定雇用率の詐欺までやって
私達はどこまでコケにしたらいいのかわからない。
それでも四時間労働で満足しているのが実情である。
なかなかフルタイムは難しい。
人生かけて仕事する気にならない。
もっと他の人生があるように思えてならない。
あんまりいい仕事はないなあというのが実感である。
経営者も利益を上げなああかんからココらへんが限界なのかなあと思ったりする。
なかなか利益を上げる難しさを感じている。
そういう意味で行政はもっと仕事を増やしたほうが良いと思う。
巷には単価の低い仕事しかない。
どうしたら便利な社会になるのか考えて仕事を作ったほうが良い。
あまりに仕事が無さ過ぎる。
「プログラムの状況」(2017〜)
2017年の春の時社長にプログラムは趣味にしたらと言われている。
2017年度ぐらいからPythonをやり出している。
2018年度はディープラーニングも少しやっている。
R言語も2018年度からやり始めた。
関数型言語も2018年度に一通り読書した。
PowerShellやGo言語も2018年度に初めている。
UMLはlevel2に突入している。linuxやjavaの資格の本もやっている。
そんなんでやり尽くしていると思う。
それで私は何をやりたいのかなあと思っている。
それはそれで問題だけどとりあえずソースコード読むのが今の所の関心事である。
何かチャンスはないかとは思っている。
そういう意味で物理と変わらない気はする。
物理>プログラム>仕事みたいな気はする。
「近況」(2020〜)
最近のプログラムはPythonとGOとRustになっている。
セキュリティの本も読み始めている。
UMLとJavaの本は読み終えてやめてしまった。
あんまり資格をとりたい労力が惜しくなった。
多分プログラムの仕事していないからかもしれない。
利休に関する本も読み始めている。
民主主義の本も読んでいる途中である。
そんなこんなでまだ当分やる事がある。
仕事もマルコフーズ、日和屋、川口化成、今は睦に移って色々外注をやっている。
色んな仕事して何の意味も無いけど外の世界を感じる程度である。
そんなこんなで憲法前文草案が出来てきた。
色んな苦労の結晶である。あとはワビサビの俳句と短歌ぐらいしか本丸はない。
全体的にやり過ぎかなと思う。それでもやらなあ生きている意味ない気がする。
外国語も英語ドイツ語フランス語中国語韓国語アラビア語が一週間の日課に組み込まれている。
あんまり外国語が解決しない気がする。そのためやる事だけはイッパイある。
そのため後悔しないほどやる事がある。それが最近の状況である。
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- 現状
- ここのページに書いてない事もやってきた。
それが私の当面の課題である。
だから将来このページを何回も書き直しする予定です。
**2009/12/31** 新規作成
**2009/12/31** 中性子の話追加
**2010/01/01** 地元集中制の話追加
**2010/01/01** 津の話追加
**2010/01/01** サッカーと野球と水泳の話追加
**2010/01/02** 三島での仕事の話追加
**2010/01/03** 三島での仕事の話一部追加
**2010/01/04** 三島での仕事の話一部追加編集
**2010/01/04** 三島でのドラムの話一部追加
**2010/01/09** 英語の話追加
**2010/03/21** 量子論の確率の不思議の話追加
**2010/03/21** OFFICEによるマクロの話追加
**2011/06/14** Androidアプリの仕事を始めるの話追加
**2012〜2014** 仕事と勉強の話追加
**2018/04/29** 「みちしる沼津」と「11次元まとまる」
**2018/09/01** 「外国語をやり出す」と「色んな仕事を出張する」「プログラムの状況」
**2020/01/18** 「近況」
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