散歩みち

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2015年2月1日(日) 近況_part2



今日は小田急線の秦野駅から渋沢丘陵に行った。
三島SNSに追記した。
英語の掲示板ドイツ語の掲示板に追記した。

正しい事を継続するのと
仕事を継続するのとどういう違いがあるのか
私にはわからない。
仕事が成り立たないのに仕事は継続しない。
その仕事が正しいか正しく無いかは
正しい事は何かに等しい。

そのため正しいと思えることを
どちらもやろうとしないと継続しない。
どちらも結果的に間違っていたら
結果は残らない。

私は結果を残すのであれば
自然にまかせる選択を取る。
自然に正直になる。
自然のための仕事をする。

だから私にとって正しいとは
人そのものでは無い。
自然と共に私の信じる道を行く自然選択である。
そういう意味では
自然を信じている。
必ず自然は正しい方向を示すそう信じている。

なんでそう思うのかと言ったら
科学からして神様はそういう世界を作ったからである。

正しいことの継続

2015年2月2日(月) 雑記_part2



今日の「みちしる沼津」で仕事した。

大場駅で
馬鹿笑いしている女子高校生と
幻聴で馬鹿笑いしている女とで
ストレスたまった。

多分私の中でバカつながりなんだと思う。

もしかしたら賢い女なんていないのかもと思った。
結局そういう話が
女同士で出来ないだけなんだろうと思う。

つまらない女が活躍する時代なんだろうと思う。
私には
賢いって事が共有できない事自体が
女のつまらない人生をあらわしているように思う。

なので女同士で話がまとまる気がしない。
従って期待していない。

男もそんなに賢いわけでもない。
それで私はますます困る。
一体こんな無意味な状態を繰り返すのか理解できない。

あんまり生きた心地がしない。
それが今の日本をあらわしている気もする。
こんなんでいいのか
正直に思う。

テレビのせいなのか
ゲームのせいなのか
携帯電話のせいなのか
スマートフォンのせいなのか
はたまた教育のせいなのか
私としても課題山積である。

どういう風に世の中にアプローチすべきなのか
真剣に悩んでいる。

国語教師としても
私ならどうするだろうかとか
悩んでいる。

そういう意味では
現状に不満である。

2015年2月3日(火) 雑記



今日は「みちしる沼津」で仕事した。

電車の中で
フランス語とドイツ語と小説を進めた。
短歌も一首作った。
何となく短歌や俳句も変化している。
他人の和歌が影響しているように思う。
私が国語の教師なら
自分の文章が変わるような
取り組みをさせたい。
そして他人に説明するときも経験させてみたい。
一連の過程で
メモをとらせたい。

私的には今までに無いもっといい短歌が作れると思っている。
そう思える過程を
提案してみたい。

結局の所みんなが認識できるのは
国語しかない。
その国語でも実現できる希望を
与えてみたい。

案外それで人が変わるかもしれない。
そう思ったりする。
なのに国語教師はわかっていない。
やっぱりいろんな世界を見ないと国語教師はつとまらない気がする。

そういう意味で国語教師に不満である。
私もボチボチやりたい。

2015年2月4日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

邪悪な心を捨て
もっぱら豊かな心を育む。
そこにぶっち切りの格差が生まれる。
競争してたら豊かさに気づかない。
ぶっち切りに出来る人は
ぶっち切りを避ける。
ぶっちぎり自体に豊かさを感じないからである。
だから東大には天才は生まれない。
だから東大はくだらない。

多分私が大学受験に真剣に取り組めても
ほどほどで満足してた気もする。
そういう意味では私自身ほどほどに競争に勝てればいいやみたいな所はある。

資本主義は
持てるものと持てないもので成り立っている。
最終的に持つのは本人の価値基準だけど
そんな権利があるのが本当に正義なのか私には理解できない。
でもそういう権利を持って
金が循環する所もある。

その権利は王とか天皇とかぐらいしか思いつかない。

ぶっちぎりと王とは結びつくのか
東大と王とは結びつくのか
そう考えるあたりが邪悪なのか
私は考えたくもない。

やっぱり自然が一番やと私は思う。
そういう発言をできた事自体が
私にとって結果的にぶっちぎりなつもりである。
あんまりこんな事いう奴おらんやろなとは思うからである。

そんな事が出来たのは
東大にいなかったからのような気もする。
そういう意味で競争ばかりしていなかったのが幸いしている気がする。

私もボチボチやりたい。

邪悪な心を捨てる

2015年2月5日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

電車の中でフランス語と中国語と小説をやった。
なんかお疲れモードだった。

今日はよく寝ようかと思っている。
昨日は水曜日で「相棒」見て遅かった。
今日は雪でも降るのだろうか
何かここんとこ寒い。
これが峠ならいいんだが
今年はセーター来なかった。
だけどチョッキのウールみたいなのは着た。
ホッカイロで最近はごまかしている。

最近の仕事はある人の仕事をかわりにしている。
6ヶ月ぐらいやって
今までのもとをとりかえしてやらねばと発奮している。
それまでにある人が元気になればいいのにとは思っている。

別に私は
東大京大行かなくても
東大京大には出来ないことはしたつもりでいる。
だからあんまり東大京大には興味ない。
そういう事が実現できないから東大京大なんだと思う。
学歴で決まる以上の事を実現したと思う。
勉強そのものが私の場合異次元である。
だから追随を許さない。
基礎学力が中高一貫と違う人生である。
だから比較にならない。

私もボチボチやりたい。

私の愛と幸福論

2015年2月6日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2015… 


---> 天雲を日の目も見せず常闇に天知らしぬり鎮まりましぬ 行有 
---> 照る月の雲隠るごとしくしくに常にと君が思ほせりける 行有 
---> もめてなお隠れた君を三島にて雲立ち渡れ見つつ偲はむ 行有 
---> ただ逢はば逢ひかつましじ待つ君は我ここにいて誰か告げけむ 行有 
---> アナログと言われてさめる愛かしら難しい道険しそうなり 行有 
---> 憂いあれ心に花がともるかないい知れぬもの深くきざんで 行有 
---> 疲れつつ寒さにこたえ帰宅する春をえがきて明日をおもう 行有 
---> 喜びは食う寝る遊ぶあきたらず求めるものは久しからずや 行有 
---> カゼ声の体をおして今日も行くあの青空に負けてはならぬ 行有 
---> めでたくも二月をむかえ梅も咲くエンジンかかる心こそあれ 行有 


/*ボチボチと*/
/*エンジンかけて*/
/*花は咲く*/
/*めぐりめぐれば*/
/*明日は俳句*/

昨日は万葉集から短歌を四首作った。
土日は俳句を十二句作る予定である。

無駄な労力かけずして得しない。
損して得取れである。
急がば回れみたいに
学歴もそれに似た所ある。
したがって基礎学力が東大生にあるとは限らない。
それが私の現象である。
何歩も後退してもそれだけ前進すればいいだけの話である。
前進のみなんてありえない。
それだけ基礎学力が乏しいと言わざるおえない。
私にとって豊かさと基礎学力は同義語である。

だから東大は基礎学力に対してなんの比較対象にならない。
結局の所
自分を際立たせようとするなら
他人と違う時間を持つことである。
他人と同じ時間を持ったって損なだけである。
そういう意味では私は東大と違う時間を使ったという事である。
だから異次元である。
それでも私の方が良く見えるなら
私の勝利である。

学歴

2015年2月7日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2015… 


---> 通勤の冬の朝こそまぶしいな 行有 
---> おいしくて表情豊か冬の空 行有 
---> 冬草や神通力はなんのその 行有 
---> 冬草や希望をたくす光かな 行有 
---> ネーブルや一息ついてふりかえる 行有 
---> 湯豆腐の熱さ伝わる家族かな 行有 
---> 冬の朝元気をこえて外に出る 行有 
---> 冬の夜音楽流れ夢うつつ 行有 
---> 冬の昼弁当食べて気合なり 行有 


/*春隣*/
/*知らず知らずに*/
/*おどるかな*/

2015年2月7日(土) 近況



今日は富士川駅でさわやかウォーキングだった。
三島のsnsに追記した。

英語の掲示板ドイツ語の掲示板に追記した。

//邪悪の心を捨てる   から

資本主義は
持てるものと持てないもので成り立っている。
最終的に持つのは本人の価値基準だけど
そんな権利があるのが本当に正義なのか私には理解できない。
でもそういう権利を持って
金が循環する所もある。

その権利は王とか天皇とかぐらいしか思いつかない。

ぶっちぎりと王とは結びつくのか
東大と王とは結びつくのか
そう考えるあたりが邪悪なのか
私は考えたくもない。

//邪悪の心を捨てる エンド

//学歴           から

何歩も後退しても
それだけ前進すればいいだけの話である。
前進のみなんてありえない。
それだけ基礎学力が乏しいと言わざるおえない。
私にとって豊かさと基礎学力は同義語である。

//学歴           エンド

経済学だけで豊かさははかれない。
そこに私の問題がある。
私のやってきた事は経済学だけで語れない。
東大とも違う。
私にしか出来ない事をした。
こんな不公平な話は存在しないぐらいだ。
どこに正義があるのかと言ったら
東大には無い。
それが現実だと思う。
いつまでたってもそこから逃げている。
つまり豊かさが東大に無い証拠である。


経済

2015年2月8日(日) 近況_part4



今日は昼間一時間歩いた。
図書館に寄った。
一冊カバンの中で雨でぬれてしまい。
かわかして持ってこいと言われた。
もしかしたら弁償らしい。
こんど雨の時はビニール袋に入れて持ってこないといけない。
そのためあんまり良い気分でない。

私自身は政治家の正義は国民を不安にさせない事かもとか
私の正義とは別の正義のような気がして
まともに政治家と相手をしようと思わない。
だからあんまり
政治家はどうでもいい。
ただ税金使って政治家しているのだから
責任はある。
ただ私とは違うというだけである。
そういう意味でさめている。

教育は
小中高やら大学で税金を使っている。
そういう意味では還元していくメカニズムが大事だ。
つまり還元してこそ
普通の人である。

私もボチボチやりたい。

世界観

小学校の頃から
塾の国語のテストが悪かった。
よく江戸川乱歩とかシャーロックホームズとかズッコケ三人組とか伝記とか読んでいた。
今思えばもっと書く量が足らなかった。
でも作文は授業で良くやった。
それでも足らなかったのである。
他人が思う以上に書かないと効果が無い気がする。
私の勝手読みだと
大学受験の時点で私の方が作文の量は多い方だったような気がする。
それでも私自身書く量が足らなかった。
それぐらいの書く時間が必要な気がする。
高校まで本はよく読んだ。
親父の読む本も家に帰って読んでいた。
それで体の倦怠感をごまかしていた。
中学の時にも倦怠感があって
堕落してこりたせいである。
そういう意味では頭を使えば
健康でいられる感覚があった。
今は書く量が足らなかったと思わせるのは
自分にクセがあると思ったり
あまり使わない助詞があったり
短文に終わる事が多かったりするからである。
そういう意味で自由になってはじめて効果があった気がする。

読書と作文

2015年2月9日(月) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

私の話がSTAP細胞みたいにならないのは
それなりに真実を語っているつもりだからなのか
よくわからない。
多分蚊帳の外だからだと思う。
何言っても私は統合失調症だからになっている。
本当に統合失調症はつらいよ。
いつになったら私の言っていることは
真実になるのか私にはわからない。

これだけやって
尋常では無いと思って普通のような気もするだけに
多分世間の収拾がつかないのかもしれない。
私はそんなの知らない。

私のやる事が細かいというよりは
大体自然とあっているのが私の感覚である。
そんなにはずれていない。
そんな感じである。

効果絶大という意味で私の永久機関はSTAP細胞に似ている。
私の永久機関は数学的にはありえる。
重力や核力を考えたら
同じように解釈するのは難しい。
でも私の永久機関を理解できたら
重力も核力も理解できるかもしれない。

そういうコペルニクス的転回である。

私の科学論

2015年2月10日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

私も40歳で
いろんな事を経験して生きてきた。
私の事を色々取り上げても
私の事は知り得ぬぐらい
経験の方が知識をうわまわっている。
女の話も同じである。
女は色々知りたいことがあっても
経験抜きに語れない。

それが二十代とか三十代前半なら
まだ許せるけど
四十歳になってまだそんな事やっている正義なんてあるのか
私には理解できない。
ほとんど罪と罰で女の話が出来ているようにしか思えない。
女の罪悪を私はどうしようもない。
ほとんど私には無関係な話にしか聞こえない。
女のいい加減さが如実にあらわれている。
女一人では何にも出来ないそういう人間にしか思えない。
そういう意味ではパラサイトである。

そんな女が何人いても私は困る。
やっぱ女は子供がいてなんぼじゃあないのかと思う。
なのにくだらない話を続けるのは
子供に対する不安なのだと思う。
結局女は産んでこそ女であって
それを捨てたら私としては女の話についていけない。

結局ここまできて
不毛な議論をしているように思う。
私にはそうとしか思えない。

そう決断できないのは
女の罪悪である。
私には何の関係もない。
子供は立派に成長するのに
女のわがままなんて聞く必要は無い。
そう私は感じている。

女の罪悪

2015年2月11日(水) 近況



今日は親戚の家まで
昼間一時間歩いた。
図書館に寄って水神さんに行って墓参りした。

朝方
柿本人麻呂から短歌を四首作った。

本当に女の話はまいる。
私に出来ることは子供の成長を助けることぐらいしか出来ない。
あとは人それぞれ工夫して乗り越えるしかない。
そういう意味ではみんな同じスタートラインに立っているんだから
何を私の話から掘り返さなあかんのか理解できない。

あとはほとんど女のわがままである。
いくら私を取り上げても
私の経験上そうなっているだけで
何の問題にもならない。
人間の経験とセットで考えないと解決しない。
子供も同じである。
子供の経験が大事であって
子供に問題があるわけではない。

だから私としてはこれ以上女の話につきあいきれない。
ただ同じスタートラインに立っているんだから
あとは自分でどうにかしましょうとしか言えない。
あきれ果てて
女ってくだらないそう思わざるおえない。

悟りには程遠い人種らしい。

愛らしい少女には
屈託がない。
なのに女はどこで堕落するのか私には想像を絶する。
損得で勘定することしか出来ない。
本当に俗物である。

女の罪悪

2015年2月12日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

帰り際
散髪したため書き込みが遅れた。


今日も性懲りもなく幻聴が聞こえた。
一体いつまでこんな
生産性の無い話を続けるのか理解出来ない。
幸せになれない人が叫んでいるようにしか聞こえない。
何で一緒になって私もバカみたいな気持にならなければいけないのか
理解出来ない。
もうちょっと賢い生活したい。
ありえない人がありえない事言って
私はそれを聞かなければいけない状況って一体なんなんだ。
ストレスの何物でもない。

状況判断も出来ない女が
子供なんて育てられるのか聞きたい。
馬鹿な子供にしかならない。
どうしてそれが私の要件に入るのか理解出来ない。

馬鹿な女が馬鹿な事言っている。
それで私が何で関係があるのか理解出来ない。
ありえない女がありえないこと言って他人を困らしている。

大体叫ぶ暇あったら
何か学習した方が賢い。
そう思わないのなら私のホームページなどの話は通じない。
通じない人が通じない事言っているだけである。

それでは子供は育たない。
学習とはそういうものである。

私もボチボチやりたい。

女の罪悪

2015年2月13日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2015… 


---> 荒波にもまれてなおも君を置きて思ひつつあれば生けるとも 行有 
---> いつまでも見上げる空に居る雲の常にあらむと我が思はなく 行有 
---> 喜びの春に至ればあたたかい風につつまれ桜花あり 行有 
---> 雨雲を日の目も見せず常闇に行き通ひつついや常世まで 行有 
---> 二月より期待をかけてのぞむかななるようになるそんな気分で 行有 
---> 梅が咲くめぐりめぐっためでたさにほこらしげにもえりをただして 行有 
---> 立春のめぐりめぐった朝が来るすこぶる元気やがて来るはず 行有 
---> 少しずつ元気になって春隣一日一歩かけめぐるかな 行有 
---> ちらちらと雲にかくれて富士がある母の心があらわすように 行有 
---> 土曜日の雑務をこなしやれやれよ休みの日こそそんなものかな 行有 


/*ボチボチと*/
/*初春をむかえ*/
/*梅がある*/
/*いつかどこかで*/
/*桜咲くかな*/


女の話聞いているより
勉強している方が楽しい。
私も40歳で中年である。
女の叫びがストレスである。
合理性の無い話聞いても面白く無い。
よっぽど勉強の方が合理性がある。
そんな女に時間かけるほど暇ではない。

そんな判断ぐらい私にも出来る。
ボチボチやりたい。

2015年2月14日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2015… 


---> 寒くても元気を胸に外に出る 行有 
---> つめたくて外気にこたえ家の中 行有 
---> 日に日に春待つ心は強くなる 行有 
---> 心こそ三寒四温にもまれる 行有 
---> いつかくるたえぬくものは春隣 行有 
---> 冬惜しみあはれなれどもいつくしむ 行有 
---> 立春の期待を胸に気合かな 行有 
---> 初春から確かめながら一歩かな 行有 
---> 早春の元気を胸に光あり 行有 


/*過ぎ行けば*/
/*初春めぐまれ*/
/*光あれ*/

2015年2月14日(土) 近況



今日は下曽我駅でJR東海さわやかウォーキングだった。
三島のSNSに追記した。

短歌を二首作った。
デッサンしようかとギリシャ彫刻検索するも
あんまり私のやりたい事が達成できる気がしなかった。
結局今日の梅を描いた。




画像集

2015年2月15日(日) 近況



今日は日守山から大平山まで登った。
三島のSNSに追記した。

英語の掲示板ドイツ語の掲示板に追記した。

私は一歩一歩前進しているのだろうか?
私は統合失調症で何の効力もない。
私がおかしいより社会がおかしいんじゃないかと思っても
誰もうけあってくれない。
そんなんで前進していると言われても
専業主婦の不満と同じである。
マネージメントがなっていない。
そういう意味ではマネージメントって大事だよなと思う。
私がマネージメントをするとはどういう事か
考え始める時期にきているのかもしれない。

2015年2月16日(月) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
帰り際マルサン書店によってマネージメントの本探したが
結局kindleの電子書籍にした。

フランス語と中国語をちょっと勉強して
小説を少し読んだ。

弁当屋で弁当買って帰った。

自分自身をマネージメントして生きてきた。
それが他人の場合どうしたら
導けるのだろうかと思ったりする。
私の気持ちと他人の気持ちは違う。
それも大人となると
ほとんど難しい。
別世界の住人みたいになって
共有できるのは仕事ぐらいである。
仕事の話ぐらいまともにやらないと話は合わない。
その他は全然通じない。
別世界の常識と礼儀であって
私の常識と礼儀では何の効力も無い。
だから仕事としての常識と礼儀しか共通項が無い。

結局マネージメントも仕事に徹するしかない。
仕事の上のマネージメントである。
つまり目標だったり成果物だったりのためのマネージメントである。

私もボチボチやりたい。

マネージメント

//追記
一冊今日読み終えて
書評を追記した。

2015年2月17日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
帰り際
旅行代理店に行った。
パンフレットもらって帰った。

何となく毎日忙しい。
あんまりヒマな時間が無い。
歳をとるとはこういう事かもしれない。
日に日にエスカレートしているような気さえする。
慣れればそれが普通になる。
テレビ見たり音楽聞くのも仕事のような気がしてくる。
それだけにその時間の重みに慎重にもなる。
光の最短距離は人生の最短距離に似ている。
私が人生の最短距離で判断出来たのなら限りなく真理に近づいている気がする。
私がこれまで述べてきたのは
私の人生の最短距離で判断してきたような気がする。
それこそが真理に近づく方法のような気さえする。
細切れでたくさん人生の最短距離で判断した結果が
私の背中を押しているような気がする。
それこそが真理に近づく最短の方法のような気がしている。

真理

2015年2月18日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
中国語、フランス語、ドイツ語、小説、マネージメント
による読書を進めた。

気分的には
私がおかしくて統合失調症だからか
私に対して電磁波攻撃による基本的人権を無視した社会がおかしいか
のどちらかである。
私はもうどっちでもいい。
好きなように判断してくれといった気分である。
どっちにしたって正義は無い状態のように私は思える。
私にだって正義はあるのにそれを否定し
否定した社会にはことごとく私の正義が無い。
だからどっちにしろ正義は無い。
言うなれば正義をとるかとらないかぐらいしか無い。
そして私は正義のために生きていない。
それは社会が私に強いた結果である。
精神的に正義のために許せないなんて次元を超えている。
それでも正義にこだわるかこだわないか
私には何の問題にもならない。
好きなようにすればいいそう思っている。

正義

2015年2月19日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

私自身世の中に失望している。
私自身正義のために生きていない。
私自身一日の楽しみのために生きている。
私自身40歳にもなって
20代と同じように仕事できるわけがない。
同じスキルなら若い奴にまかせて当然である。
20代とは違うスキルを持たなければ勝てない。
経歴よりスキルである。
そんな消耗戦のために人生使いたくない。

私は私の別路線しか手段が無い。
他人と同じ事やっているようでは
意味が無い。
世の中に失望しているのは
総じて消耗戦をやっているからである。
そこに私の正義は無い。

一日が楽しい。
それが私の羅針盤である。

世間との対話

2015年2月20日(金) ツイッターより+5_part2



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2015… 


---> 苦しくも降り来る雨かバスの中ながめる身にも伝わるほどに 行有 
---> ふりかえりおもひをはせて白雲のたなびく山を越えて来にけり 行有 
---> ふみしめる一歩のためにしのはずて我が越え行けば木の葉知りけむ 行有 
---> 我が思ひくり返すほど今見ればいよよさやけくなりにけるかも 行有 
---> 通勤のおもいはめぐる春の日にこれでいいのかうれうものなり 行有 
---> 二月から本を読む時あればこそおもいはめぐるおもいあるかな 行有 
---> 我が部屋でネーブル食べて時流れゆっくりすればおもいはめぐる 行有 
---> 自由にも心はめぐる朝ありて目にするものはまぶしい限り 行有 
---> さわやかに歩き疲れてかぐわしい記憶に残る梅の花なり 行有 
---> 青空に映える富士にも梅の花いろどりそえておいしい限り 行有 


/*春の夢*/
/*こたえ求めて*/
/*かけめぐる*/
/*ボチボチやれば*/
/*明日は俳句*/

幻聴も未だに聞こえる。
叫ぶ仕事なんてあるんだろうか
それで頑張っていると言われても
私は納得しない。
つまらない奴が頑張っているようにしか聞こえない。
中身の空っぽな奴が叫んで満足しているようにしか聞こえない。
もっと中身のある女いねえのか不思議でならない。
そんな事を肯定すれば
私の努力がどこに行くのか理解できない。
真面目に仕事をするって
叫ぶことなのか理解できない。
真面目に考えるだけでもバカバカしい。
それを肯定する女がいて
私はどうしろというのか理解できない。
まともな関係にもならない。
何にも出来ない人が出来ないように叫んでいるだけにしか
思えない。
それで頑張っていると言われても
私はふざけているしか思えない。
それで一体いつまでこんなバカな事するのか
私にはわからない。
いつまで続けても
同じである。
どうしようもない人がどうしようもないように言っているしか
思えない。
それで何がしたいのか理解できない。
好きなように言って好きなように叫んで
一体どうしたいのか理解できない。
どうしようもない女ですと宣言しているようにしか感じない。

それで私はどうしたらいいのでしょう。
私はどうしようもないようにしか感じない。

処置無しである。

私もボチボチやりたい。

世間との対話

//追記
文学の短歌や俳句の作り方
「文語と口語」について編集した。

2015年2月21日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2015… 


---> 浅き春あちらこちらで目にうつる 行有 
---> 春寒く今しばらくの我慢かな 行有 
---> 二月からいろんなものが動き出す 行有 
---> つゆ知らず探し求める春の色 行有 
---> 古草の名残惜しさも胸にする 行有 
---> 田んぼから蛙の声がこだまする 行有 
---> 春の日に出かける心おどり出す 行有 
---> 叫ぶなりこたえてくれる春の山 行有 
---> 寝ぼけつつうかがい知れぬ春の夢 行有 


/*人知れず*/
/*おもひはめぐる*/
/*春の夢*/

2015年2月21日(土) 近況



今日は水神さんと墓参りした。
つるべ落としの滝に行こうとしたが
雪があったので
断念した。

家に帰って
源実朝から四首作った。

土日に自作の短歌を二首作りたいと思ったので
もう二首作った。

明日は雨のようである。
もしかしたら
昼間一時間歩こうかと思っている。

なかなか他にもやりたい事があるのだが
時間が足りない。
特にWordとExcelの勉強してみたいのだが
後回しになっている。
後はおおむね順調である。

結局の所
足りない部分は本で済ますしかない。
そういう事を痛感している。

ボチボチやりたい。

2015年2月22日(日) 近況_part3



今日は昼間一時間歩いた。


競争に最初から逃げないで立ち向かう。
最初から逃げると後々大変である。
競争自体から離れてさらにもっと遊んで楽しんでいるぐらいが悟りの心境である。
STAP細胞事件もそういうエンターテイメントが無いのが悪循環の始まりである。
大体の線を追及できなかったのも大きな要因だけど
もうちょっと愉快で楽しい仲間たちであったら
こんな事にならなかった気もする。
本質に迫れなかったのは
本質を目指そうとする愉快さが共有出来なかったせいのような
気がする。
科学データの誤差をどう処理するかは
本質が見えていないと不可能である。
結果的に本質に迫れなかったから
私が言っているのかもしれないが
それも歴史のなせる技である。
結局歴史がものがたるようになってしまう。
それでも本質に迫る愉快さは競争の先にある。
だから競争してても面白い人が出てくる。
面白いものでどの世界の競争もデメリットとメリットがある。
簡単だから競争がはげしいというのもある。
難しいから結果が出るのに時間がかかるというのもある。
私は最初から競争しないのは
どんどん自分を追い込むと思う。
そういう意味で立ち向かう勇気も必要である。


そして最後は神が作った自然が決める。
私たちはその自然がなぜそうなのかは解釈不能である。
自然に自然法則がある。
それに支えられて科学がある。

競争

読書と作文

2015年2月23日(月) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車の中でいろいろ活動した。

私の中で出来る事と言ったら
電子書籍ぐらいかもしれない。
だからと言って
何を書きたいのかあんまり案が浮かばない。
理系だからか書くんだったら
書いて良かったものを書きたくなる。
希望を見出す本って何だろうなあみたいな感じである。
ホームページとは違って
ホームページを宣伝できる本なのがいいかもしれないが
あんまり妙案が浮かばない。
「やがてやって来る伝説の男」ぐらいである。
それも何か書く動機に乏しい。
自伝も私自身がマイナーだからちょっとパスだし
他人が読みたくなる本ってハウツーもの以外では難しすぎる。
「私の教育原理」ってのも
他人が読みたくなるようにも思えない。

やっぱハウツーしかないかとも思うが
年齢別に並べるぐらいしかできない。
あんまり斬新な案に思えない。

そんな具合にあんまり妙案が無いのが実情である。

ボチボチやりたい。

2015年2月24日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

アンドロイドのスマートフォンで
アマゾンの電子書籍読んでいる。

最近は
キンドルとスマートフォン以外に
MAC,WINのPCでもアマゾンの電子書籍読めるようになった。
いつでもどこでも電子書籍で
本当に便利な世の中である。

この所のIT技術を使えば
感覚的に勉強出来る可能性もある気がする。
少し間違えれば勉強にもならない事もあるかもしれない。
だけど効果的に使えば
スゴク優秀になるかもしれないポテンシャルがある。
要は道具として使いこなせるかという所である。
感覚的にブレイクスルーすればするほど
道具としては魅力的である。

そういう意味では
私自身良くIT技術とつきあってきた気がする。
IT技術無くして今の私はいない。

自分の苦手な事にIT技術を使ってもいい気がする。
苦手だからこそ感覚的にやらずして
会得しない。
そういう事がIT技術にはある気がする。

私もボチボチやりたい。

IT技術

2015年2月25日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

最近は
段々ネタが尽きてきた。

私自身どんな女が好きなのか考えるけど
考えた通りにいかない。
結構賢い女好きかもとか体型で選り好みするのか
考えるけど気持ちがのらない。
一緒に生活してて楽しいと思わなければ
考えた通りにいかない気がする。

女が様々に選り好みしても
イメージだって幻想かもしれない。
テレビのような事考えたら女も男も
本当にそれで解決するのか私にはわからない。

ただ私に出来ることは
私は私で最善を目指すという事である。
それが出来ないパートナーはありえない。

結局好きか嫌いかというよりは
自分が最善を目指せるかぐらいしか手段が無い。
他人の最善を許容出来てパートナーかもしれない。

私もボチボチやりたい。

知性と美貌

2015年2月26日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
帰宅するときには雨が降っていた。

今年は大学を出てから15年である。
何かこんな事になるんじゃあないかと思って
後輩の女の子に
夕食をともにして忠告みたいな事言った。
どのようにとったのか私にはわからなかった。
でもそんな現実が今も続いている。
あの時は我ながら緊張して
声が裏返ったけど
私の本音は言えた。

今はその女の子は何をやっているのかわからない。
でも何か15年も待っているなんてありえないよなと思う。
大阪でえらい大変な事になるかもしれないみたいな事は言った。
現在も本当にえらい事になっている。
だから私は大阪は嫌いだ。

私の学歴が良くないのも大阪のせいである。
自分の軟弱さを棚に上げて私を批判する根性はどこから来るのか理解できない。
そんな気持ち悪い大阪なんて疫病神である。

私の人生は大阪で育ったのが運の尽きである。
弱者の理論で私を批判している。
私には何の関係も無いのに振り回されている。
そらあ大阪は最悪である。
本当にそれで平成維新が起こるのか信じられない。

民主主義なんて機能しない大阪が結果を導ける気がしない。
仮にあの女の子がそんなのに振り回されてたら
私は気がくるいそうである。

一応十五年前から私も手は打っているのだが
うまくいっていない。

私もボチボチやりたい。

大阪の疫病神

2015年2月27日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2015… 


---> あきもせぬ三島にあれば富士山の絶ゆることなくまたかへり見む 行有 
---> いかさまに思ほしめせか春草の茂く生ひたる見れば悲しも 行有 
---> 草枕いも寝らめやも野に宿る古思ひて月は傾く 行有 
---> 千万神の天の河原に神集ひ天見る如くさやにも見えず 行有 
---> ありがたくいろんな本にめぐまれて人生捨てた気もしないかな 行有 
---> 雨の中カサをさしつつたえしのぶこれでいいのかおもいはめぐる 行有 
---> 何事もやたらむやみに時がたつ先立つものは心こそあれ 行有 
---> 深まればやればやるだけ時がたつこたえきれないおもいを胸に 行有 
---> 人知れず何がどうしてこうなるの業の深さが身にしみるなり 行有 
---> 人の世の業の深さが身にしみるつきあいきれぬくだらなさかな 行有 


/*めでたくも*/
/*ボチボチ進む*/
/*春なのね*/
/*思ひはめぐる*/
/*明日は俳句*/


今日も性懲りもなく幻聴が聞こえた。
どうしてそれが言語活動になるのか理解できない。
助けようのない弱者にしか聞こえない。
どうしてそんな人が私に関係があるのか理解できない。

このまんまズルズルいって
私の人生が良くなる気がしない。
結果は出ているのに結果が出ない私になるのが
コワイ。
そんな正義が成立するのか私には理解できない。

したがってよほどおかしい頭の話にしか聞こえない。
最後は女ってくだらないのねぐらいしか思えない。

どうしてそんなくだらない女の話が
大手を振って歩くのか理解出来ない。

私自身あんまり良い人生で無い。
何か母親が死ぬより私が死んだほうが良かったと思う。
せめて安らかに死にたい。
ストレスを感じるたびにそう思う。
生きていてあんまりメリット感じない。

これで結果も出ないなら
死んだ方がましな気がする。
それぐらい世の中くだらない。

母親の死

2015年2月28日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2015… 


---> 春つげるうれしさ募る日々ありて 行有 
---> 梅の花あまいかおりがさそうなり 行有 
---> 梅の花めでたさ募る景色かな 行有 
---> 水仙のめずらしさこそ忘れてる 行有 
---> 春の日にこれでいいのかうれうなり 行有 
---> 桜舞いこれでいいのかうれうなり 行有 
---> 春寒くもうしばらくの我慢かな 行有 
---> もう少し二月楽しむおもいあれ 行有 
---> とどくまで春を求めてまちわびる 行有 

/*そこそこに*/
/*梅見楽しむ*/
/*心かな*/

2015年2月28日(土) 近況



今日はJR東海のさわやかウォーキングで
修善寺駅から出発した。
三島のSNSに追記した。

これから音楽聞きながら
短歌と俳句三昧しようかと思う。
ビールも飲んでいい気分である。
女を除いて何事も順調である。
女の災いには閉口する。
いつまでこんな不毛な議論を続けるのか理解できない。

貧乏神が貧乏な事言っている。

それで私と何の関係があるのか理解できない。

私もボチボチやりたい。

私の愛と幸福論


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