散歩みち

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2014年12月1日(月) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
短歌を一首作った。

ホームページも科学の話で
面白くもっと書けるのだが
なぜかそんな事をやっている人がいないので
そんな事を実現する必要も無いのか
私がそんな事をやっていいのか
私には判断がつかない。

誰もやらないからやっていいのかって
上昇するかしないかの株と同じようなものである。

最後は自分がのぞむ未来と合うか合わないか
それしか判断できない。
今のところ
私がのぞむ未来には
直結しないだから今のところ保留である。

古今東西
科学者には面白い人がいる。
それは歴史を見れば必然である。
私のする事は目的が必要である。
闇雲に面白い話しても仕方無い。

いまさら目的なんてあまり無い。
どうすれば幻聴が無くなるのか
ただそれだけであるが
幻聴の女の立場と私の立場には接点が無い。
幻聴の女はひたすらに美貌に結論を見出そうとし
私はひたすらに知性を見出そうとしている。

私が幻聴の女に興味無いのは知性が感じられないからである。
それに抵抗するのは
ほとんど女の損得勘定である。
私には全く関係無い。

もうこれ以上やっても仕方ない。
私の損得勘定は全く考慮されていない。
それを自覚できないのだから
幻聴の女は平行線のままである。

知性は楽しい。
知性は面白い
知性はパワフルである。

そういうのが理解できないなら
そういうのは美貌だと言えない。
ただ残っているのは幻聴の主の損得勘定がそれを許せない。
だけど私はそういう知性に応援したいたちである。

私はそういう人間なのである。

知性と美貌


2014年12月2日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車の中で小説読んだり
ドイツ語やったりした。

最近は家に帰っても
勉強する気になれない。
音楽聞いてビデオ見たりしている。
久しぶりにやる気になっている気もする。

疲れがたまっていたのかもしれない。
段々余裕が出てきた。

今年一年
よくやった。ほめてやりたい。
会社をやめて出来た事もあった気がする。
決断は正解だった。
そういう意味では
いろんな世界を知るのも一つの手段である。
ドイツ語も勉強出来た一年だった。
何よりもホームページが充実した。
私が出来うる最善である。
生活のリズムと自分の積極性という意味で「みちしる沼津」で通わなければ
出来ないことも多々あった。

こたえは私の中にある。そういう風に思えた一年だった。
何事も時間の問題になってきている。

今思うのは
感謝である。

ともかくボチボチやりたい。

2014年12月3日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
昼休みに俳句を六句作った。
ドイツ語と小説を電車の中で進めた。

三島駅でラーメン食べて帰った。
ちょっと元気になった。
昨日は
三島駅で
ソバ食べた。
なんかあたたかいもの食べたくなる。

ダイエットもしないといけないだけに
それはそれで大問題である。

あとは
年賀状もそろそろである。
デザインぐらいは決めたい所である。

短歌や俳句は順調である。

デッサンは絵心募集中である。

出来るだけ時間があれば解決できるように
したい。
ダイエットもそうなのだが
私自身自分の体がよくわからない。
そういった気持ちを他人にどう伝えられるのか
わからない。
原因と結果が私の体には適用できない。
そういう悩ましさを私自身かかえている。

なのに他人に太りすぎだと言われて
そうですねしかこたえられない。
誰にも私の悩みは理解してもらえない。

何かリンパ腺とかいろいろ想像するけど
私の太ももの太さはどう理解していいのかわからない。
筋肉でもない脂肪でもない。
太ももがなんでこんなに太いのか理解できない。

それを医者は私に説明もしてくれない。
何か私に攻撃している奴がいるぐらいしか思えない。

悲しいけれど
ボチボチやりたい。

2014年12月4日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
電車の中でドイツ語やった。
短歌も西行と万葉集を参考に
ストックがたまっている。
俳句も無事ストックがある。

今日は雨だった。
つまらない女より勉強の方が好きだ。
そう思った。
勉強より面白い女じゃなきゃ無理だなそう思った。
そんな見てくれだけで勉強より面白くならないとそう思った。

それを理解できる人も限られている。
つまり私を理解できる人は限られている。
そこまで勉強が好きな奴もめずらしいと思う。
そしてそこまで勉強が実学化しているのもめずらしいと思う。

そんな心境になっている人が
どこまでいるのか私には皆目見当がつかない。
それを理解せずして
私を理解するのは難しい。

ただ私を理解できない人が
私を困らせているだけである。
それに気づいていないから私はがっかりする。
私が応援したくなったり夢中になる女は限られている。
そういうことだと思う。

世間の大半は理解の範疇を超えている。
限られた人しか限られた会話が成立しない。
そういう理解がわからない。
もう話しても無駄である。

そう私は思うのだが
一応世間につきあっていきている。
誰に対しても聞かれれば話はする。
無駄であってもそれなりにこたえる。

それでも私の周りで起こることは
無理解が多すぎる。
結局理解できない人が問題を起こしてるだけにしかうつらない。

あきれて気味悪くてばかばかしい。
それが世間なんだと今も認識している。

世間との対話

2014年12月5日(金) ツイッターより+5_part2



短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2014_12.html 


---> いにしへを声ばかりしてうつつかもいたづらにして過ぎにけらしも 行有 
---> いにしへを偲びつるかもことづてむいたづらにして移りのみゆく 行有 
---> いにしへを声ばかりして思ひきやこの日暮らしつ跡かたもなし 行有 
---> ひさかたの春にはなりぬ思ひきや立ちどまるべくさびしかりけり 行有 
---> このごろのもみぢしにけり出でてみて見れども飽かぬ楽しきをづめ 行有 
---> 仕事場に休みが過ぎてまいもどるこころえるほどつよくなるなり 行有 
---> 雨の中歩く我が身にこらえてるいつまで続くさまよいながら 行有 
---> あおむけに気分すぐれる音楽はこの幸せを届けてみたい 行有 
---> 働けばこころゆくまで休みありこの幸せを届けてみたい 行有 
---> こころよい我が身に風がふいている静かなることいつになるやら 行有 


/*冬来たり*/
/*楽しむものも*/
/*あればこそ*/
/*ボチボチやるか*/
/*明日は俳句*/


他人の人生を楽だなんて言うのは
言ってる本人が楽だ。

私自身そんなに楽になっていない。
そんな苦労もわからずして
どうやって会話が成り立つのか理解できない。
毎日会話は成立していない。

楽をしようとしているから
私は困ってしまう。
もっと自分でどうにかせんと
私の状況は良くならない。

困ったものである。

私の愛と幸福論

2014年12月6日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 短日のせつなさ胸にあとにする 行有 
---> 菊ありてめでたさ募る心かな 行有 
---> 小鳥来て見つめ合うなら愛かしら 行有 
---> 落葉道踏みしめながらあとにする 行有 
---> 冬浅しといえどもなお備えあり 行有 
---> 干柿の手間暇かけて愛かしら 行有 
---> 鍋料理心と体一つかな 行有 
---> ありがたいおでんの季節うれしいな 行有 
---> 冬来たり楽しむものもあればこそ 行有 


/*ぼちぼちと*/
/*一年続き*/
/*師走かな*/

2014年12月6日(土) 近況



今日は午前中
英語の掲示板ドイツ語の掲示板に書き込んだ。
昼間一時間歩いて
親戚の家で昼食後
図書館に行って
帰宅後
USBの無線化をした。
今くつろいで
音楽聞いている。

そろそろ年賀状のデザインでも作りたいなあと思っているけど
今日はやめようかと思っている。
何か疲れた。

限られた人の限られた話も
テレビでも実現していない。
何か民主主義がヘンテコに見える。
偉い人が偉い事言っているぐらいである。

私はどちらかと言うと
偉いより論理的の方がいい気がする。
多分論理的に話したら民主主義が成り立たないから
経営者から政治家まで偉い人が偉いことを言っているだろうなあと思う。
でも論理的にならずして問題は解決しない。
だから大衆は
誤解している。
着実に論理的に事を進めなければいけないのに
そういう論点は欠けている。

だから大衆に話しかけても解決しない。
私にはそういうメディアにしかうつらない。
そういう事が論理的に話が出来る自分なのかも大衆は理解していない。

やたら期待させて
問題を大きくしているだけにしか私には思えない。

私は問題を小さくするのは論理的になるしか手はないと思う。

ビジネスも政治も理詰めで考えるしか無い。
私は現実問題そういうものだと思っている。

2014年12月7日(日) 近況



今日は日守山から志下峠まで歩いた。
三島のSNSに書き込んだ。

今日も良く寝れそうである。
私は私の事情があるのだから
私の事情をかみしないと私の問題は解決しない。
そうなのに女の事情ばかり聞こえる。
そんなの私は知らない。
だって私の問題だからである。

それにつけて私は楽しているらしい。
ほとんど女の問題である。
私にはなんの関係もない。
幻聴聞いていると本当に疲れる。
登山しても聞こえるから
ほとんどストレスのかたまりである。
そんなのどうやってかかわれって言っているのか理解できない。
かかわりたくない。
ただそれだけである。

かかわりたくない連中がかかわっているだけである。
それを私がどうしろっていうのか理解できない。

文句たらたらである。

2014年12月8日(月) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
今日はコンビニとか郵便とか年末調整とか夕食の買い物とか
雑務が多かった。

//2014/12/08 追記
なんか偉そうな話とか
なんか神になったみたいな話とか
する前に
やるべき事はたくさんある。
偉そうとか神みたいとかは
私は避けたい。
えてしてピエロである。
せめて本人が確信を持って偉そうとか神みたいとかならわかる。
本人が確信を持てる努力をせずして
偉そうとか神みたいなんてありえない。
偉そうで神みたいなのに整合がとれないのは
確信を持てる努力が足らない証拠である。
私はそこまでやろうとは思わない。
何も絶対でなくても
過去未来現在の最善の説明ぐらいはできる。
一個人としていろんな事を模索したい。
そういう人間である。
//2014/12/08 end

私の愛と幸福論

2014年12月9日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
相変わらず
幻聴は絶好調である。

こんなに私の気持ちが通じないのに
ありやなしやなんてのに付き合っている。
何の変化ものぞめない。
現状維持しか実現しない。

つまらない女が多すぎる裏返しなのではないかそう思う。

麻生元総理の若者が子供を産まない発言も
年金生活者にだって責任はある。
こんなにニートを増やしたのは
年金生活者だって加担している。
年金生活者のために年配の人の雇用が守られたが
ニートは雇用が守られなかった裏返しである。
それでニート達に子供を要求するなんておかしい。

そういう意味では年金そのものがゆがんでいる。
一方で多額の年金を払い。
一方で雇用が守られず年金も払えないものもいる。
一方で若者はニートの人もいる。
誰も責められない状況になっている。
こんな状況下で正しい年金制度なんて存在するのか疑問である。

本当に若者に子供を求めるなら
年金の少しを若者にまわしてもいいのではないかと思う。
それぐらい年金制度の正義は存在しないように思う。

それもこれも成長率3%にならない日本の不景気のせいだが
ほとんど官僚と政治家の責任である。
学歴社会の罪悪感を感じた方がいい。
一体何のために勉強しているのか聞きたいぐらいだ。

文句たらたらである。

2014年12月10日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
そして今日も幻聴絶好調である。

気分は最悪である。
選挙もある事だし
データを使ってアクションをするぐらいの官僚や政治家であって欲しい。
能書きはどうでもいい。
手足を動かして
インプットとアウトプットを組織で明確化してこそ
問題の認識が組織で出来る。
短所も長所も出るだろう。
そこではじめて人間は考える。
そういうスタートラインにたって
人間は哲学的になる。
ひたすら論理的に文章にして解決を探る。
何度も挫折するかもしれない。
でも哲学とは葛藤の中でうまれる。
どうにかしたいその信念のみである。

その哲学が世に出た時それは目標達成である。
私が出来るのは
そういう環境を作り出す事である。
私が出来るのだから
官僚も政治家も出来るだろう。
私は
それが日本国民でも出来ることが
民主主義なのではないかと思っている。
そういう環境を官僚や政治家が出来ているかと言えば
出来ていない。

だから私は声を大にして
今言っている。

民主主義の今「2014/12」

2014年12月11日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
今日は比較的幻聴が弱かった。

東芝テックの子会社では
毎週月曜日に先週の報告と一週間の計画表をエクセルで書かされた。
そのため
毎日何の仕事をしたか
txt文書でパソコンに残す作業に追われた。
マネージメント管理はまず自分からだなあとは思う。
進捗もエクセルでちょっとだけ記入したことがある。

そういう報告書を書く機会が
個人にあるのは
個人にとって結構ためになる。
修正もきくし目標にもなる。
老若男女問わず有益である。

私は大学院試験の時日記をつけた。
それは良かったけど
報告書の形でも良かったとは思う。
学生時代から
自分の証拠として報告書を書くことは
結構自分をコントロールしやすくなる。

今では
自分自身報告書は書かないが
毎日仕事の内容は記録している。
時々ホームページの計画とか書いたりしている。
家で何をするかの計画も書いた時があるが
最近は雑務に追われて疲れて何も進まず書いていない。
また元気になったら
軌道修正したい。

報告書で記録が残る。
それは個人の財産のような気がしている。
だから
私だったら週に一度若者にそういうものを書かせたい。

毎週一度の報告書を作る


2014年12月12日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 憂き世にもものを思ふに偲ばれて我が心こそ摩訶不思議なり 行有 
---> あぢきなくくゆりわぶともかにかくになさけなくても思ひ立つかな 行有 
---> 今はもうかたらむことのはるけきにくゆりわぶとも人を照らさん 行有 
---> 世をそむき光求める我が道にいづれどこか心通はん 行有 
---> よみがえる家の中にももみじかな深まるほどにうれしい限り 行有 
---> 我が道の思いもよらぬ展開は深まるほどにわびしかりけり 行有 
---> ここちよい音楽流れ背中押す私に出来る何かあるかな 行有 
---> 感謝するあれよあれよと師走かなほめてやりたい年末年始 行有 
---> 感謝して心がおどる休みあり深まるほどにうれしい限り 行有 
---> 横たわり音楽流れ乙だけど時が流れてわびしかりけり 行有 


/*ボチボチと*/
/*師走もせまり*/
/*一つずつ*/
/*あゆむものなら*/
/*明日は俳句*/


許せない
えらそうな声
タコばかり
いつまでこんな
権利あるかな    行有

2014年12月13日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 冬服につつまれてこそきまるかな 行有 
---> 冬日から青空のぞむ元気かな 行有 
---> 短日の悲しさ胸にたそがれる 行有 
---> たらちねの山茶花の歌よみがえる 行有 
---> いよいよか今年も最後冬紅葉 行有 
---> 山道に落葉にこめる音がする 行有 
---> ありふれた機会をもとにみかんあり 行有 
---> さみしくて家に帰ればおでんあり 行有 
---> さいわいに鍋にめぐまれかみしめる 行有 


/*妹の*/
/*帰りを待てば*/
/*師走かな*/

2014年12月13日(土) 近況



今日はJR東海で興津駅でさわやかウォーキングだった。
三島のSNSに書き込んだ。
英語の掲示板に書き込んだ。
年賀状の準備してから夜頃これからゆっくり
ドイツ語の掲示板にも書き込む予定です。

結局のところ
私にこだわって
何の関係もない女の話は
無駄な時間の極みである。
それを無駄と思っていないから
私は気持ち悪いのである。

とっとと他の男性を見つけて
他の男性と話をした方がいい。
たくさんの時間が無駄になっているのに
気づいていない。
時間が過ぎれば過ぎるほど
許せなくなってくる。

そんな気持ち悪い女どうやって
私は対処したらいいのか
理解できない。

そんなの努力でもないのに
許せないなんて
私にはそんな無駄な時間かもしれないもの
おそれてやまない。
それが平気なのだから
手がつけられない。

ほとんど女の責任である。

有効な時間と縁

2014年12月14日(日) 近況_part2



今日は昼間一時間歩いて
水神さんと墓参りに行った。

親戚の叔母と話しているうちに
母親の生き方は
現実にそくして生きろという事だった。
私の大学生活ももっといい人生があったと母は思っていた。
それが私の父と母の口論の元だった。
いまだに
世間のせいで私は困っている。
父は数年前には
大阪府高槻市に住んだのは間違いだったと言っていた。
日教組のやった事は
ただのお荷物を作って私を困らしているだけである。

私以外の立派な人がいたら
私はもっと違った人生を歩んでいた。
だけど
母親の現実はそういうものでは無かった事を示している。
もっと違った人生があった事を示している。
いつまで
そんな不満を私が聞かなあかんのか理解できない。

結局立派な奴を育ててナンボである。
私の場合反面教師でしかない。
こんな奴になったらあかん。それだけである。
そんなんを教育なんていったら
学校いらない。
もっとプラス思考で教育せなあかん。
そういう意味で日教組はおかしい。
政治でどうにかしたいのも私には良くわかる。
もっと立派な奴育てる精神が必要である。

日教組のやる事はただのツジツマあわせである。
そんな精神いらない。
着実に積み重ねて発展していく精神こそ大事である。
神経ねじれた複雑な人間なんてタコである。
骨太の精神こそ大事である。

いつまでそんな低能な先生でいれるのか私には理解できない。
そらあ政治でどうにかしたいのも私にはわかる気がする。

教育の今「2014/12」

//追伸20141214
結局私のやってきた事考えたら
世間の解はあっても私の解は無い。
私の事はおいてけぼりに話は進んでいる。
そういう意味で私はまだまだ現実にそくしていない。
母親の無念が私の無念である。
おかしいがおかしいにならないあたりが
先生方の頭らしい。そういう風に私はこころえている。

2014年12月15日(月) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。

私の子供時代は
妻をもらって子供と一緒に暮らすんだろうなあみたいな
漠然としたおもいはあった。
それが突然不可能になったら
それはそれでショックである。
お坊さんが女をかついで川を渡るより問題である。

でも私は40歳で
あんまり妻と子供が当たり前にならなくなっている。
人生そんなもんだとおもえばそんなもんである。
当たり前も時を過ぎれば変わってくる。
家庭環境も影響するだろうが
自分がそれを良しとすればそれが当たり前になる。

だから人それぞれ
当たり前は異なる。
要は私は何を選択するかである。
人生を満足するのは妻や子供だけでない。
私の母は
健康な子供をもうけるのは当たり前として心配しなくていいと言っていた。
そういう所からすると
すごく一般的な事なんだろうと思っている。
でもそれが出来ないのは
つらいことかもしれない。

結局私は何を当たり前とするかにかかっている。
一緒にいれて良かったと思えれば
それでいい気も私はする。
40歳にもなって私的には
私自身が見てくれが悪い。
なのにかわいいとか美人な女がついてくる気もしない。

四六時中ちゃんと会話が成立して物事が進めば
私は安心する。
独自のアラビアンナイトのような物語をする女性とかも
全然問題無い。
そういう意味で会話自体が
私自身相手する女も男もかわらなくなっている。

何か仕事すればするほど
論理的に話してくれないと困るたちなので
女も男も同じように話すようになってしまった。

お互い仕事ができないと
女も男も私は困る。

そういう意味で私自身クールになっている気もする。

家族論201412

2014年12月16日(火) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
今日は沼津や三島は雨だった。

インフレーション宇宙論って
加速度的に膨張する宇宙論らしい。
親戚の話だと
標準理論になっているらしい。
だったらもうノーベル賞になっているような気もして
私はのりきになれない。
私の5次元の温度の次元を追加するのと比べて
どのくらい膨張率がかわって
その膨張率の違いを証明できるのか判然としない。
多分温度の次元を加えることで
四次元より早く膨張するか遅く膨張するはずである。
太陽の黒点を考えると加熱した部分が遅くなっているから
冷めれば早くなるはずである。
そうするとビックバンから今まで冷めてきたのであるから
膨張率は早くなる。
それとインフレーションの宇宙論との比較を証明しなければいけない。

私的には
5次元の宇宙論の方が実験や観測でまだ物理学的に扱えれる気がする。
そういう意味でインフレーションの特性を
宇宙で観測するしか私の5次元より先に証明出来ない気がする。
それを標準理論と言っていいのか私は半信半疑である。
真空に温度の無いエネルギーがたまるのは
インフレーション宇宙論で無くても場の理論で出てきたような気がする。
それがもとで温度が消えて空間が消えて時間が消えるのではないかと思ったわけで
インフレーション宇宙論でそう思ったわけではない。
そういう一連の自然現象が
統一場理論に導けるのかは私には自信がない。
核力も重力もわからない事が多すぎる気がするためである。
そういう意味でもっと時間がかかる統一場理論である。

今日はだからどうなんだと言われると
私もさあだけど
私も大学にいないでこんな事言っている事自体が
滑稽である。
そんな事出来るの歴史上アインシュタインだけだそうだ。
そう大学院で言われた。
なかなか天才でないとできないらしい。

そういう意味で私も
もしかしたら無駄な時間を過ごす羽目になりはしないかと
恐ろしい思いで
適当なこと言うだけにとどめている。
本当に緻密にやるおそろしさを持って私は言っているのである。

2014年12月17日(水) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
私の仕事はほとんど無償の愛である。
それが私のやる事をやるである。
給料もあるけど
あんまり関係無い。
それも手当たり次第やる事をやっている。

多分仕事って
人がやっていない仕事をするのが仕事なんだと思う。
それって評価なんておかまいなしである。
評価してもらっているのは人がやっている仕事だからである。
だから大半の仕事は
無償の愛である。

それが出来たのは私の家族にある気がする。
そういう意味で子供には
私もそれなりに応えてやる必要があるように思う。
子供は風の子
しっかり応えてやれば自分で何とかするだろう。
なんでも
データをつついたり子供をつついたり
しているうちに良くなるものである。

教師も官僚も政治家も無責任過ぎる。
自分の役目は手当たり次第つつくことなのに
手足が止まっている。

つつくとは本当につつくんじゃなく
導いてやるという事である。
つまり何かを増やしたり減らしたりする事で効果を導くことである。

その何かとはお金だけでない。
いろんなものを増やしたり減らしたりするという事で
導かれるものをリードするという事である。

こんな事を私が言うのも
無償の愛である。
誰も言わないから私が言っている。
それが私の大半の仕事なのである。
だから給料はほとんど関係ない。
生活費ぐらいしか手元に残らない。
日本のどいつが一番仕事しているのか聞きたいぐらいだ。

だから世の中に対して効果的な仕事とは
ほとんど無償の愛である。

効果的な仕事

2014年12月18日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
今日は箱を作ったり箱をしばったりした。
毎日手足動かして
規則正しく生活出来ている気がする。
何か仕事も無いと
いつまでも寝ている気もしたりして
そういう意味では
強制的に目覚まし時計で起きている。

家に帰ると自分の時間が有る。
それだけが私の自慢である。
最低私一人生きていければいい。
そんな生活である。
今年はドイツ語の勉強が良くできた。
自分の時間があったせいである。
語学を勉強するには
繰り返し押し寄せる波が何回も起きることである。
そういう意味では新鮮な気分になる。

短歌も今年は
再度歴史上の他人の古語を使って短歌を作った。
こんなにも作れるのかと思うほど
作った。
意外に自分で作るよりは楽だった。
そういう意味でそれを評価する人がいたら
私のアンチョコは面白いかもしれない。

デッサンは
絵心に苦心した。
何が描きたいのかあんまり案が浮かばなかった。
もっと自由にというのが課題である。

大学を去って
来年15年たつ。
自分の中で未消化な部分は消化できてる気がする。
それはそれで良くやった気がする。
やる事はまだまだある。
出来るだけホームページで示していこうと思っている。
新年もボチボチやりたい。

2014年12月19日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 我こそはうまし国より名告らさね幾代までにか年の経ぬらむ 行有 
---> 山川も住めば都は飽かぬかも絶ゆることなくまたかへり見む 行有 
---> 旅人の夢枕からいつの間に朝越えましていにしへ思ふ 行有 
---> たたかいにあけくれてなお声ばかりはたや今宵も我がひとり寝む 行有 
---> やれやれと一息ついて横わたる一日無事をかみしめながら 行有 
---> 音楽をかみしめながらはいりこむ力になれば別人みたい 行有 
---> 一日を力をためてはじまれば気合十分かみしめながら 行有 
---> 師走から新年のむけかたづける深まるほどにおごそかなりて 行有 
---> のぼり坂力の限り歩くなりさった峠は富士と海あり 行有 
---> 選挙こそ態度を決める心かな軽々しくもあきれはてつつ 行有 


/*いかんとも*/
/*しがたい日々も*/
/*ボチボチと*/
/*師走めぐりて*/
/*明日は俳句*/

2014年12月20日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 納豆の元気のもとがうれしいな 行有
---> 冬リンゴ朝に食べればうれしいな 行有 
---> 小春こそ力がこもる元気かな 行有 
---> 花吹雪まぶたの裏に覚悟かな 行有 
---> 外套をおもいをこめてはおるなり 行有 
---> さよならと期待をこめて冬紅葉 行有 
---> 冬日から元気をもらう気合かな 行有 
---> 師走来て一年過ごす感謝かな 行有 
---> 湯豆腐も家に帰ればありがたい 行有 


/*ひびくかな*/
/*ふところさむい*/
/*クリスマス*/

2014年12月20日(土) 近況



昼間一時間歩いた。
今日は雨である。

「時は金なり」というぐらいだから
他人の時間を金で買える。
それって他人の経験を金で買えるとも言える。

そう考えれば
自分のためになるかという視点で
賢い金の使い方をしたい。

金は使ったけど
自分には残らないじゃあ悲しすぎる。
最低お互い話ぐらいにはなるように金は使いたい。

そういう力がお金にはあるように思う。
だからお金には馬鹿にも出来ない。
お金のために生きているわけでもないという意味で
お金にふりまわされず有効活用したい。
大事なのはお金ではなく自分の目的である。
そのためにお金を使いたい。そう思っている。

私の愛と幸福論

2014年12月21日(日) 近況_part2



今日は
広小路の駐車場に止めて
柿田川を見に行った。
帰りは三島大社に寄った。
最後に車で図書館に寄って帰った。

//20141221追記
お金が無くても
対処出来れば問題無い。
そういうやりくりするのが普通である。
そういったところで何事も0か100では無い。
ホームページだって印刷できる。
印刷すればいつだって読める。
自分で出来る範囲のことは無尽蔵にある。
私も含めてそれに自分が気づいていないだけである。
それを自覚するだけでも
お金に対して賢くなれる。
//20141221end

お金

自分たちの正義が許せない。
例えば
会社とか日本とか世の中とかの正義である。

一方で
自分の正義が許せない、という人もいる。

私には
自分というものがお荷物になっているようにしか聞こえない。
そんな自分をほっといて
自分のやる事をやるぐらいの心構えなくして
今の日本は
生きていけない。
つまり自分から心を解放しなければ
仕事なんて出来ない。

自分なんて関係無く生きていかなければ生きていけない。
自我を持てば持つほど
どちらの正義も許せなくなっていく。

「我を思う故に我あり」というより
「我知れず仕事を無事こなす」のような気がする。

戦争論も得てして自分というものの呪縛にかかっている。
自分を超越しない限り戦争論の仕事は無事こなせない。
そう私は思っている。

正義

2014年12月22日(月) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
帰り際
本屋に寄って
フランス語の本買った。
実はスペイン語とかポルトガル語の本も持っている。
私のできることは
文法を知る事かなと思っている。
単語はからっきしダメである。
やっぱ現地に行かないと無理そうである。
中国語とか韓国語とかアラビア語もしかりである。
私の最終目標は外国語である。

私的には若いうちから
数学とか物理とかをすすめたい。
ドロップアウトした身では
残るは文学か外国語しかない。
それが私の有意義な時間の使い方である。

折角だから自分のために時間を使いたい。
仕事一色で人生としては
価値を見出せない。
折角目標があるのだからそのために時間を使いたい。
ここまできたから
のぼりつめてみたい。

あせらずしげらず
ボチボチやるつもりである。

2014年12月23日(火) 近況



今日は城山登った。
三島のSNSに追記した。

何か私の中学時代と高校時代のペーパーテストも
詐欺じゃあないかと思った。
大学から20年間の私の人生は
そういう伏線があって今がある。
何故に私は世間に翻弄されなければいけないのか
文句たらたらである。
私は着実にする事してやってきたのに
すべてないがしろになっている。
それが私の人生のほとんどなのだと思った。

あんまり世の中が正しいわけではない。
そんなものより
私のすることの方が信じられる。
それが私の現実である。

悲しいかな
他人ほど頼りになるものは無い。
「天上天下唯我独尊」も一つの悟りかもしれない。
そこまでの人間に人間はなれる。
そうブッダは言っているように思う。

天上天下唯我独尊

2014年12月24日(水) 雑記_part2



今日は「みちしる沼津」で仕事した。

インフレーション宇宙論って
宇宙の問題で平坦性問題とか地平線問題とか
解決する魅力的な宇宙論らしい。
宇宙内部で自己完結しているという意味では
美しい理論かもしれない。
でも私には
宇宙外部が起因して平坦性問題とか地平線問題とか宇宙の問題が
解決してもいい気がする。
宇宙外部は三度の熱を持って
宇宙背景放射が三度かもしれないし
宇宙が一様なのは宇宙外部の構造から起因するのかもしれない。
平坦なのは宇宙外部が平坦だからかもしれない。


ここまできて
私はアンシュタインが宇宙論を考えなかった所が気になる。
科学というものを真剣に考えてた天才のことだ。
なんらかの根拠を持たない理論は彼の眼中に無かったのではないか
そういう意味で
私の宇宙外部影響説も
インフレーション宇宙論も
果たしてアインシュタインのお眼鏡にかなうのか私には疑問である。
つまり何でもありの主張にしか聞こえない。
アインシュタインならもっと
根拠のある理論をとなえる。そう私は思う。

ちなみに
インフレーション宇宙理論では
ある粒子が宇宙を加速度的に膨張させるため
そこらじゅうにある粒子が加速度的に膨張するため
親宇宙小宇宙孫宇宙ができるらしい。
私的にはそういうものが観測されたら
信じてもいいかもしれない。
でもそんなに私自身にとって本格的に観測する動機にならない。
そういう意味でアインシュタインもそう思ってくれるような気もする。

インフレーション宇宙論は魅力的だけど私ならもっと確実な仕事がしたい。
今の自分ならなおさらである。

インフレーション宇宙理論とトンデモ説


//2014/12/24追記
金があっても無くても
楽しく生活出来る。
そういう奴にならんと
いつまでたっても貧乏神である。
そういう自覚が無いから
私が困るのである。
生活費は
1日2000円で30日で6万円
1日一万円で30日で30万円である。
そんなに生活費に使っても仕方ないと思うか
思わないかは自由である。
本当に賢く使いたいなら1日何に使うか考えればいい。

楽しく生きるのは
金じゃあない人である。
そういう人に私はなりたい。
//2014/12/24end

お金

2014年12月25日(木) 雑記



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
大場駅で散髪して帰った。

家庭でまともに会話するとは大事だと思う。
そんな機会は外に出てもあまり無い。
教師もこちらをたてあちらをたてするだけで
まともに会話しない。
仕事してもまた同様である。
ちゃんと面と向かって会話できるのは家庭だけである。
そこに人間性が出てくる。
私ができる事は
ホームページでも私の人間性を吐露する事である。

ただそれだけが私を許容出来る部分なのではないかと思っている。
そういうまともな会話が
できない人が結局は私を困らせている。
私はひたすらに私の人間性を吐露しているだけである。
私を困らせている人を許容しているわけでは無い。
だから一方通行なだけである。
もういい加減それに気づいて欲しいものだ。

男のやる事は自分の人間性を吐露するしかない。
それで家庭との会話が成立する。
それではじめてまともに会話できる。
それが不可能になると私は困ってしまう。
それが私の幻聴の元である。

私はひたすらに会話するのに
男は会話が成り立たない。
それを私はどうしろというのか理解できない。
男にとっても家庭しか会話できる人いないのに
なぜか孤立する。
男にとってもちゃんと会話することは大事である。

そういうまともな会話一つとっても
難しい人間社会なのは
私はうんざりする。
そういう意味で子供にはちゃんと会話させる必要が有るように思う。

まともな会話

2014年12月26日(金) ツイッターより+5



短歌十首更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> のぞまないストレスたまる声ばかりあはれかなしききはまりにけり 行有 
---> 毎日のひかりのなかに燃えさかるわれのうまれし心にうかぶ 行有 
---> 声ばかりおとろへはててかなしくもほろびしものはきはまりにけり 行有 
---> にぎはひにひのてるかぎりはたらけどひかりのなかにしたしめるかな 行有 
---> 電話にも笑顔の裏に元気あり父に言われてそんなものかな 行有 
---> 雨降ればわびしかりける心にも力がこもるひかりあるかな 行有 
---> 冬の風全身にうけたえるまで負けてはならぬひかりあるかな 行有 
---> もくもくとおもいをこめて歩く道てらされてなおおもいがつのる 行有 
---> 診察におもいをこめてあとにするいつかどこかでひかりあるかな 行有 
---> 柿田川豆腐ありつきめぐみあり元気を出してあしたにつなぐ 行有 


/*粛々と*/
/*年末むかえ*/
/*ボチボチと*/
/*物事進む*/
/*人生かしら*/


謀略術数で一点突破できるのも
大切かもしれないが
私の場合は
気分的に王道を歩むである。
学歴社会の影響も父から受けたというより
私がこんな学歴だから父は親として
子供に対してそういう対応をしていると思う。
私がもっと違った学歴ならまた別の対応をしているように思う。
それと私の学歴にもまた違った王道があったような気もする。

私は常にそういう王道を私の中で心配している。
それを理解せずに
私の話は理解できない。
なんでこんなに悩むのかといったら
私が王道を進む道をのぞんでいるからである。
いかなる事があっても私は王道をのぞんでいる。
それが私の本心である。

私の愛と幸福論

2014年12月27日(土) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 冬草や一休みする我が身かな 行有 
---> 見渡せばいつの間にやら冬木立 行有 
---> 枯葉にも生命宿る心かな 行有 
---> 一年をあれよあれよと十二月 行有 
---> 冬の日にぐっとこらえてたちあがる 行有 
---> 塩鮭の愛がこもれば父かしら 行有 
---> かくれてるどこにあるかな冬帽子 行有 
---> 手袋を探して見つけうれしいな 行有 
---> マフラーも風が強くてあればこそ 行有 


/*おごそかに*/
/*年末むかえ*/
/*あらたまる*/

2014年12月27日(土) 近況



今日は昼間一時間歩いた。
水神さんと墓参りした。
明日も俳句をアップする。
そして雑巾がけする予定である。

大槻教授のブログも笑っちゃう。
大槻教授が馬鹿なのか日本の女性が馬鹿なのか
と言った感じがした。
そういう批判を平気でしているように思う。
日本国を守るという意味では
自衛隊にも基本的人権はある。
私は大槻教授よりはかっこいい気がする。
もちろんそういう批判も承知しているから言っているんだと思う。

大槻教授は自衛隊なしで
この国が成り立つ自信があるのだろうか
そして
大槻教授は自衛隊なしでこの国を守れる自信があるだろうか

そこまで言っているのだから
大槻教授は自衛隊に助けてもらう覚悟はしていないのだろう。

私なんかより
自衛隊の方が責任感がある。
そういう意味では私よりかっこいい。
だけど大槻教授は
自分の方がかっこいいから
日本女性をバカだと言っているようにしか聞こえない。

そこまで私はおろかでない。
私には大槻教授の方が無責任にしか聞こえない。
そういう意味で
日本女性の方がかっこいいそう思う。

2014年12月28日(日) ツイッターより+3



俳句九句更新 ---> wakkii.umu.cc/poem_road/2014… 


---> 雑炊の幸せ届くうまさかな 行有 
---> 冬の雨元気をよそにたえしのぶ 行有 
---> はれやかな元気をよそに冬の空 行有 
---> 狩野川の水鳥うつるこころかな 行有 
---> 冬籠負けてはならじうちやぶる 行有 
---> 冬の空あおげばどこか元気出る 行有 
---> 冬日から背中押されて気合かな 行有 
---> 待ち構えここまできたか冬至なり 行有 
---> 父親と男二人でクリスマス 行有 


/*掃除して*/
/*年末むかえ*/
/*かたづける*/

2014年12月28日(日) 近況



今日は午前中掃除した。
雑巾がけもした。
その後昼間に一時間歩いて
家に帰って
掃除と雑巾がけをした。

ようやく今ひと段落した。
汗も流れた。

良い新年がむかえられそうである。
何かここんところ数年はそんな気分にもならなかったので
大みそかは夜ふかししようかと思ったりしている。

今年も明日の午前で仕事が終わる。
掃除するだけみたいである。

年末年始はフランス語の文法本を読もうかと計画はしている。
英語の掲示板とドイツ語の掲示板にも追記する予定である。
後は短歌に俳句である。

世の中にとって大事なことは
どんなシステムであれ
立派な人を生み出す事である。
そういう日本になれるのかそれが新年からの命題である。

私もボチボチやりたい。

2014年12月29日(月) 雑記_part2



今日も「みちしる沼津」で仕事した。
仕事と言っても掃除である。
本屋でフランス語辞書買った。
家に帰宅後
午後梅名に妹とおじゃました。

今年は私の出来うる限りの事はやった気がする。
私は唯物論なのか自信がない。
ただ教育とか子供の事を考えたら
精神論とか愛と幸福論とかになる。
それが結実した年だった。
物理をやる時は唯物論であるが
教育とか子供とかだとまた違った対応になるように思う。
そういう意味で
唯物論とか観念論とかでひとくくりできるのか疑問である。
それが人間の悩ましい所である。
ただ言えるのは
人間として何をなすべきか考えた時
唯物論になったり観念論になったりする。
それが一般的な人間なのではないかそう思う。

ただひたすら唯物論とか
ただひたすら観念論とか
教育者としても物理学者としても生きる場合
成り立たない。

近大、東大、早大、何て関係無い。

私としては
権力志向に敵対する方である。
だって私は無関係だからである。

俗世間はそういう人が大半ではないかと思う。
そういう意味で経歴聞いても
あんまり効き目は無い。

だから私の大部分は善意でしか動かない。
権力や経歴は
何の参考にならない。
科学者ももっと論文を書くぐらいの覚悟で
説明してほしい。


権力や経歴なんか通り越している経済状態の日本である。
そういう危機感が無さ過ぎる。

2014年12月30日(火) 近況



今日は
親戚の家で昼食後買い物して帰った。
庭の雑草を抜いてその後
英語の掲示板ドイツ語の掲示板に追記した。

今年はよく頑張った。
ホームページもあまりにも私の予定外だった。
新年はいつもかわらず
今年のやった事を展開していこうと思っている。

明日は大みそかである。
年が明けるまで起きていようかと思ったりしている。
ボチボチやりたい。

2014年12月31日(水) 近況_part2



昨日から
何となくテレビつけては消ししている。

テレビ見るもん無かったら
たまったビデオでも見ようかと思っている。

今日の大みそかから
ようやくフランス語する時間があった。

師走らしく
あんまりのんびり出来なかった。

これから
テンションあげていきたい。

短歌と俳句は
正月を待つのみである。

世の中いろいろ問題はあるけど
まずは自分が何とかするのが大事なので
ひたすら自己努力するしかない。
そうしないと誰も相手にしてくれない。
別に相手をしてくれなくてもいいが
仮にもそう思って新年をむかえれそうである。

少なくとも自己努力はした一年だったように思う。
新年はどうなるのかわからないけれど
そういう姿勢は見せたいと思っている。

他人には
人生なるようになる。
そう言いたいし
そういう人生を送ればいいと言いたい。
私のホームページ見ればわかってくれるそう信じている。

明日は元旦
ボチボチやりたい。


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