| 過去ログ[0001] |
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(訳)夏目 大
この本に高校生の時に読んでたら
物理を専攻しなかったような気もした。
そういう意味で衝撃的である。
私の環境でエピゲノムが反応している可能性があるかもと思った。
小鳥が一定の距離で近づいてくるのも
共生としてのウイルスが働いているのかもと思ったりしたが
やっぱり核心には
ほど遠い。
わかっている事が少なすぎる。
それだけ活躍の場があるという事かもしれないが
かえって活躍するのも難しいという所もある気がする。
いずれにせよ
生物は困難を乗り越え水平方向全体が
過去現在未来とつながっているという事である。
だから
私の困難も何かしらの影響が体で起こっているのかもと思えた。
子も孫もまた同じである。
そういう意味では
どのレベルでも試練に耐えてる気がした。
(著)エリヤフ・ゴールドラット
この今回のシリーズの本は
いかに自然科学の手法がビジネスに使えるかを中心に
話が展開している。
自然科学って言ってもたくさんの分野がある。
それだけたくさんの物語がある。
そういう意味で
ビジネスにもたくさんの物語がうまれるはずである。
何もこの本に書かれている事だけが
物語になる気はしない。
でもビジネスも科学になりうると思うか思わないかは大きいかもしれない。
それだけ論理的にビジネスとして
とらえられるかとらえられないかは大きい。
そういう意味では
ビジネスとして勇気付けられる面がある気がした。
何もこの本が全てでは無いが
理路整然としたビジネスが成り立つと考えられる人にこそ
この本の面白さがわかるのかもしれない。
(著)エリヤフ・ゴールドラット
コンピューターシステムで
ビジネスをコントロールする話だった。
なかなか現実では利益を出すのは難しいように思えた。
日本の不景気考えたら
なおさらである。
なので小説の終わり方も
あんまり好転しつつあるけど
未来はどうなるのだろうみたいな感じで終わっている。
でも本全体はシリーズに見られるような
理詰めで展開している。
今回もそういう意味では
ビジネスとはこういうものだみたいな感じも受けた。
でも複合的な要素をからんで
コンピュータシステムを一貫して構築するのは
至難の技ではないかそう思ったりもした。
巡回セールスマン問題のようなNP完全問題が解けたら
複合的な要素が少しでも
計算できるなあとは思った。
それだけに結構一貫したコンピュータシステムは
今も難しいのではないか
私にはそう思えた。
そういう意味で
人間が考える所もコンピュータシステムには
あるような気がする。
今度は
「ザ・チョイス」を読もうかと思っている。
もうシリーズも残すところ一冊になった。
いい勉強にはなった気がする。
ボチボチやりたい。
(著)エリヤフ・ゴールドラット
今回は小売のビジネス話だった。
いかに品切れを減らして在庫を少なくして在庫を効率的に活用する話だった。
つまり在庫の運用がテーマになってた。
品切れを減らせば
それだけビジネスチャンスになる。そういう話だった。
あんまり物理とか科学とかには
関係無い話だった。
でも経営してみたいと思わせる所は
この本にもあったような気がする。
哲学的にビジネスをとらえられるかが
経営の手腕なんだろうなと思ったりする。
そういう意味で良く物事を論理的に考える人が
経営者に向いている。そう思える。
でも日本のメディアでの経営者の話は
なんかすごく政治的に聞こえる。
私はその辺はついていけない。
本とメディアのギャップがうめられない。
科学者とメディアもギャップがあるから
日本のメディアは大丈夫なのかそれはそれで問題である。
(著)エリヤフ・ゴールドラット
プロジェクトマネージメントにおける
プロジェクト管理についての本だった。
その管理が
クリティカルパスからクリティカルチェーンに発展した。
クリティカルチェーンに対してボトルネックなどで
どのところでバッファを置けばいいか書かれている。
そしてwin-winの法則が成り立つように
条件を設定する事が大事なようである。
私自身の雇用もwin-winでなければいけない。
そう思った。
向こう側とともにそういう条件に私自身が努める事が大事である。
ビジネスを理詰めで考えるのも
面白いかもしれない。
そう思わせるところがこの本のいい所かもしれない。
マネージメントは理詰めで考えられるかにかかっている。
そう考えれば
結構興味深い分野かもしれない。
あんまり真剣に読めなかった。
何かネコの生命力を感じる詩みたいな歌が並んでいて
斜め読みしてしまった。
ネコはネコで生命を謳歌している。
私も謳歌しないといけないかなとも思った。
本当の所
動物は何のために生きているだろう。
人間もしかりである。
考えれば考えるほど不思議である。
そんなゆとりがなければ
こんな本を落ち着いて読めない。
そんな気がするだけに
不思議な戯曲のように私にはうつった。
(著)エリヤフ・ゴールドラット
何か久しぶりに物理的な科学的な話を聞いたような気もした。
経済学を学んでいる人から見れば
数学的という意味でもっと違う視点で読んだかもしれない。
私自身もっと奥の深い事が経済にはあるような気がして
そんな簡単にいくかなとも思ったが
話の内容は面白かった。
結構大学時代の知識を引っ張り出した手前
本筋何だけど
まだまだその他のテクニックは複雑さを増して
本のようにはうまくいかないかもしれない。
でもとっかかりとしてはいいのではないかそう思った。
二か月ぐらいかけて読破した。
個人的には小保方さんに推薦する本だったような気がした。
私も
何となく私自身に関係あるようにも感じた。
国家というシステムに翻弄されて
主人公は戦った。
上巻はその伏線で下巻は本質に迫っている気がした。
私自身報道さえ信じられない気持ちがしている。
もっと異なる事が
日本で起こっているのではないかそう思ってしまう。
そういう意味で私はこの本を読んで
納得したわけではない。
でもそういう風に日本を認識すれば
まあしゃあないかと思ったりする。
ありていに言えば
見て見ぬふり出来る。
私の向こう側も同じな気がする。
だったら
私もそれでいいかなと思った。
東京裁判が終わって
日本自身が東京裁判を振り返る事になる。
それがプラスだろうがマイナスだろうが歴史に刻まれる。
その当時より
人権の重みが変わってきているように思う。
人の命をかけて
人間がなそうとするものは
もっと複雑である。
それに比べれば戦争なんて単純である。
そう考えると
戦争している地域は
もっと複雑なことを考える余裕が必要である。
複雑なことをこなすには
愛なくして前進も困難である。
そういう意味で戦争なんてする暇があったら
やる事はたくさんある。
なのに利害関係が対立して
目の前の複雑さに気づいていないのではないか
そういう意味では悲しい世界だと思う。
愛なくして前進しないそう思う。
お医者さんの考え方が聞けたような気がした。
どうしてお医者さんは
強いのか少しわかった気がした。
でも私の人生は
お医者さんの考えとは別次元かもしれないと思った。
そういう意味でお医者さんのいう事は
生死に対して根源的だが
私はまだむきあえていないのかもしれない。
ただ今を楽しむ。
そうすれば過去も未来も違って見える。
それはそれで
環境や自己努力が必要である。
我が身の困難さを考えると
いつになったらおかげさまと思えるのか
悩ましかった。
父親に言われて
本屋で買った。
「バカの壁」よりまともに書かれている気がした。
インターネットをあんまり良く言っていない。
でも私はそんなに悲観していない。
どんどん書いていくべきだと思っている。
そのうちに新しい発想が浮かぶ。
インターネットは
受け身より能動的である。
そして人生は決して前進もあるが後退もある。
困難な状況に後退しかない場合もある。
そんな時は本当にしんがりみたいな気持である。
その後うってかわって新たな第二の人生が始まる。
世界がかわれば自分もかわる。
そうすれば自分の文章もかわる。
そういう意味では判断として逃げるも時には大事な気がする。
そうして人間は
備えをする動物のような気がする。
あの時こうすれば良かったのだと考える人間のような気がした。
数学は論理でわかるものである。だから
ちゃんと論理で書かれた本があってもいい気がする。
その論理構成は数字の計算なのだけど
論理と数字と計算をうまく図式化したり言葉にすれば
感覚的にわかる。
そういう感性は大学に行っても必要である。
私にはその感性がかけがえのないものにうつる。
国語の主語が日本語として何なのかというのが
戯曲のテーマになっている。
私だったら宇宙とか自然かなあ。
それでみんなが通じ合う。
そのために気持ちを大事にしたい。
あんな気持ちこんな気持ちが
宇宙と自然をあらわしている。
主語の概念は西洋から来ているらしい。
私は何となく
私もあなたたちもこんな感じみたいな日本語使っている気もする。
読み手も私もそうかもと考えてるような気もする。
そうでもない場合
そこで会話が始まる気もする。
話のきっかけが主語のような気もする。
そういう意味では
短歌は
普遍性のある詩なのかもしれないと思った。
私にもあるかもしれない。
あなたがたにもあるかもしれない。
そういう主語なんだと思った。
小林多喜二が主人公で
「蟹工船」の作家と
警察に対するやりとりが戯曲になっている。
やっぱり作家の影響力は社会性がある気もした。
そういう意味では
私も闇の世界の住人な気がした。
テレビに出るなんてありえないかもしれない。
そう思って論文を書こうとは思えない。
こんな電磁波浴びて
それすら報道されず、幻聴でストレスをため
まさしく闇の住人である。
報道は何のためにあるのか皆目見当がつかない。
私の情報は抹殺されているしか思えない。
なので全く論文書く気にならない。
奴隷とはそういうものである。
ホームページで最後の抵抗である。
それで市民権を得れるとも思えない。
私がのぞんでいるのは権力じゃあない。
庶民としての人間の尊厳である。
だから私はホームページで横のつながりを
求めているのである。
ロシアと和平協議する外務省と対する陸軍と海軍の話で
舞台は箱根強羅ホテルである。
人間がそのままあらわれている。
いくら偉いこと言っても
人間の本性には勝てない。
現代は
どちらが人間の本性か良く考えされる。
困れば困るほど素直になった方がいい。
素直な先に解決策があるかもしれない。
そういう意味では洗いざらい良く考えないと
思いつかない。
そんな事をやっている人が多分偉い人なんだと思う。
東北新幹線で
闇の業者と悪質な一人の中学生が暗躍する話だった。
ついてない業者七尾が主人公で
最後に回顧録があって話が終わっている。
悪質な中学生と私自身正反対な青春時代を送った気がする。
そういう意味では
私はあんまり悪質な中学生の気持ちが
よくわからなかった。
そういう意味で消化不良だった。
私だったらこんな悪質な中学生を
相手にしたくないから遠ざかる気もする。
私の中学生時代にかけて
そういう奴は多かったように思う。
水谷淳(訳)
物理って数学者ありき何だなと思ったりした。
そういう意味では私は風変わりな人間に思えた。
人工知能みたいに
私の戦略もそういう意味では数学的なのかもしれないが
ガウスのような数学的厳密さは欠けているような気がするし
今までの物理学とこれからの物理の橋渡しの中で揺れている自分が
戦略的に行動を起こそうとしているという点で
生物学的感性の物理のような気もする。
ともあれ
数学はともかく数学的戦略なら私も出来るだろう。
ボチボチやりたい。
文系の人が読む人工知能の話だった。
入門としては良かったように思う。
もうすでに二冊目の人工知能の本を買ってある。
それはもうちょっと数学的になっている。
私自身RPGとかゲームがこんなに人工知能で作られているとは
知らなかった。
プログラムの戦略としては
生物学的な競争を取り入れているのがよくわかったけど
まだまだ昆虫とか比べても
賢くないらしい。
もっと環境に順応している生物を
どういう戦略を持っているのか難しいらしい。
でも機械的なプログラムに
戦略を持たせるのは
面白いなあとは思った。
ある意味戦略的ってところが
数学的でもあり科学的だなあとも思った。
私にも何か出来るかなあと思ったりしているけれど
頭冷やして考えたい。
今週はこの本で楽しんだ。
また次につなげたいそう思っている。
東京裁判についての戯曲である。
殿様を守るため家臣が責任をとる狸合戦の紙芝居の話が
東京裁判で現実になってしまう話であった。
そういう意味では
アメリカもこの戦争は語りつくせないものが
あったのかもしれない。
一応東京裁判で決着させたが
日本人の私にとっても
何かやりきれないドロドロした戦争だったような気もする。
今後こんな事しないように
してもらいたいけど福島の原発とか考えると
人間思うようにはうまくいかない。
私自身もこんなはずじゃなかった。
バンカーショットのようにうまく
リカバリできるとは限らない。
けれどそんな風には持っていきたい。
一歩一歩である。
江戸時代をむかえ
武蔵と小次郎が再び対決する事に
それをやめさせる話だった。
結局太平の世に
命があるという事に意味がある気になった。
武蔵と小次郎は
それぞれの人生を求めてわかれた。
私のこんな解釈でいいのかあんまり自信が無い。
何かもっと他の意味もあったかもしれない。
私は何となく消化不良である。
剣の道を求めていたんだから
何かしらの悟りが無ければ
双方納得しそうに無い気がする。
案外そういう意味では
武蔵が絵を描いたいたのは
剣の道とは違う時代に入ったのを認識したのかもしれない。
そして五輪の書を残した。
そんな気がした。
父と娘の葛藤劇だった。
場所は広島で娘と父は原爆にあった。
葛藤する娘の結婚話を父が応援する話である。
思い出すのは私と母の関係である。
ある意味違うと言えば違う。
似てるといえば似てる。
何とも雲をつかまえるようである。
そういう葛藤が私にもあり母親にしてみれば
どうだったのかわからない。
そういう意味では私もいい人生では無いのかもしれない。
重たい人生をいきている。
そう感じた。